(2024年1月15日)

 覚悟を迫られる年 

~2024年の展望~

 

厳しい年明け

高校時代の恩師から、「今年で年賀状は終わりにする」との賀状をいただいた。
あわせて「寸鉄」もいただいた。題して「首相の被災地視察」

被災者の方々に少しでもあんしんをお届けできたら
特に随行する政治屋のおじさんたちにお願い
泥水たまりがあっても現地の方々の背を借りることなく
自分で歩いてほしい
被災者の方々の飲料水や食料を貪らないこと 切に要望します
なるべく少人数でおおきな効率があげられないと視察は大きなお荷物

元旦からの大地震、翌日、現地に救援に向かう海保機がJAL機と衝突炎上。5名が亡くなった。哀悼が新年のあいさつになってしまった。

 

自分の頭で考えよ

恩師には、「自分の頭で考えること」と「努力」を教えられた。勤勉な勉強をサボって試験結果の高低が激しかった僕は夏休みに先生の実家のお寺に閉じ込められて勉強三昧の日々を強制された。おかげで2年生になって成績が上昇した。郷里鹿児島で「ニュールンベルグ裁判」と「エクソダス 栄光への脱出」とを観たのはそのころだ。

「ニュールンベルグ裁判」では、裸にされ毒ガスで殺傷された男女ユダヤ人の死体の山や、男に「うさぎ 猟師 森 鉄砲」などの単語を与えて物語をつくらせる断種試験など、ナチスの残虐さに身が震えた。「エクソダス 栄光への脱出」は長年の民族・宗教差別に苦しみ、ホロコーストを生き延びたユダヤ人の青年男女が苦難の地ヨーロッパを脱出し自分たちの国=イスラエルを建国する姿を描いたハリウッド映画。「国づくり」にかけるポール・ニューマン主演の青年男女らの情熱に、嫉妬にも似た感動を覚えた。戦争に負けてアメリカの言いなりになっているニッポンの現実と爆撃に苦しむベトナム人の映像をこれでもかと見せつけるニュースの数かず。短歌はつくったが、なんの活動もせず受験勉強とクラブ活動に明け暮れていた。

ベトナムもラオスもカンボジアも
テレビの中のみ
味噌汁すする

ガザ・イスラエル戦争が勃発した昨年、「イスラエル建国75年」が枕詞としてさんざん使われた。考えてみれば、その年に後期高齢者となった僕はイスラエル建国の年に生まれていたのだ。イスラエルと「同じ歳」なんだな、と妙に感慨にふけった。いまも、テレビを見て味噌汁をすするくらいしかできないけれど。

 

未来への試練

入試に無事に受かって東京に出てきた僕を襲ったのは、反戦運動と学生運動の嵐。自分の頭で考えた結果、大学の民主化と日本の米国従属からの独立と世界の平和はひとつながりのもので、自分も「栄光への脱出」を図ろうと思った。

大学に入学した1967年に中東戦争が起きた。イスラエルの奇襲を指揮し6日で勝利に導いた片目のダヤン将軍の姿に驚愕した。イスラエルのキブツが、そこにこそ未来社会のモデルがあるのでは?と日本の青年の心をとらえていた。そのころ、第2次世界大戦を勝利に導いたソ連の栄光は、すでになく、1968年のチェコ事件や69年のダマンスキー島での中国とソ連の軍事衝突。田舎の高校生生活とは天地の差の情報反乱。いろいろな事件の裏表の情報を必死に読み漁り、自分の頭で考えようと苦闘した。

そんな中の69年沖縄返還デー。前年の新宿騒乱事件など警察と学生側の衝突が激しさを増していた。破防法の適用も予告されていた。そのデモに参加し、逮捕された。完全黙秘を貫いた結果、起訴され非転向組の一員として8年間裁判闘争を闘った。

学生運動は下火になったが、自分の生き方を支える思想の追究は止めなかった。世の中の既存の政党や反体制組織や新左翼と呼ばれる組織には飽き足らず、自分たちで調べ、大学でも独自に社会科学研究部を足場に研究をつづけた。裁判闘争を継続しながら卒業後もその活動をつづけた。その結果、イスラエル建国の秘密も知ったし、キブツ体験者の話を聞き、キブツの実態が、イスラエルによるパレスチナへの入植であり、パレスチナ人の土地や財産を奪う行為であり、外国からのボランティアによって、イスラエル人の男性が軍務に着くのをバックアップしていたのだという皮肉な事実を知るようにもなった。

そのような実態を踏まえて、日本の赤軍派はパレスチナ左派の軍事活動に参加し、1972年にはテルアビブ事件を起こした。唯一の生き残りであった岡本公三は1歳年上。僕が東京にいる同時期、鹿児島大学在学中に赤軍派の活動を始めている。彼も「栄光への脱出」を観て感動したとの話をどこかで聞いたことがある。どこかの時点で真実の側に身を転じたのだろう。転じ方に問題があったにしても。

 

覚悟を迫られる2024年

10・7のハマースの行動が現在のガザ・イスラエル戦争の発端であるかのような誹謗が一時叫ばれた。いまもそれは続いている。が、しかし、国連事務総長までもが、パレスチナ・イスラエルの75年の歴史を直視しなければならないと指摘する現実がある。にもかかわらず戦闘は止まない。ガザの住民の死者はすでに人口の1%を超えている。空のない監獄と言われたガザは建物やインフラが破壊されただけでなく、生活そのものが破壊され、域外からの支援物資がなければ市民は生きていくこともできない。イスラエルの最強硬派は、ガザだけでなくヨルダン川西岸からもパレスチナ人を追い出そうと企図している。

『ウエッブ・アフガン』では、2021年のアフガニスタンからの米軍撤退の狙いを、ロシアと中国、特に中国を封じ込めるためである、と分析し、批判してきた。アメリカはそのためにターリバーンと手打ちをし、ターリバーンを利用して地域の安定を図り、力を残して世界支配の継続を図ろうとした、とわれわれは判断したのである。
そのアメリカの策謀に横やりを入れたのがハマースの10・7攻撃だった。ターリバーンやイスラム過激派のイスラム国などが繰り返してきた自爆テロに似た突撃だった。米トランプ大統領の在任期間中、アメリカとイスラエル・ネタニヤフ首相らがすすめてきた「アブラハム合意」はパレスチナ人民を窮地に追い込む可能性が見え見えの政策であった。ガザに対する封鎖と締め付けによってガザの経済や市民生活まで破壊される現状の中でハマースの危機感は深まり、一発逆転の危険な暴挙に追い込まれていった。

自衛権の行使という国際基準をかかげてガザに侵攻するイスラエルの欺瞞を、アラブ世界や「西側世界」だけでなくユダヤ世界でさえ信じなくなっている。かたくなにイスラエルの肩をもつアメリカに対する批判も高まってきた。結果として、侵略者ロシアや台湾への武力侵攻を企む中国に対して「法と正義を守るアメリカ」という虚構の仮面もはがれ落ちた。ウクライナ戦線の膠着もあり、アメリカのウクライナ支援にも陰りがでてきた。ガザ・イスラエル、ウクライナ・ロシアのふたつの戦争が、今年のアメリカ大統領選挙に大きな影響を与えている。

ロシアのウクライナ侵略には反対しながら、イスラエルのガザ侵略を支持するアメリカの2枚舌外交は世界舞台で隠し様もなくなった。

 

日本の行く末は?

かつて、60年安保とか70年安保とかの言葉で政治や日本の行く末が語られていたころ、外交的将来像や国家ビジョンはいくつかのイメージで明確に語られていた。一部新左翼の「世界革命のなかの日本革命」といったカリカチュアは論外としても、「安保条約にもとづくアメリカとの連携」から「非武装中立の全方位外交」までの間に日本の将来像に関して様々なバリエーションが、国会に議席をもつ政党の間でも議論されていた。ところが現在はどうだろうか。防衛費は国家予算の1%の枠を守れ、などと国会でああだこうだと永年議論していたのに、アメリカが「2%」と叫んだその一言で、日本政府は国会の議論もせず2%支出を「瞬間的に」決めてしまった。大した抵抗もなく。他のG7諸国も大同小異。ひたすらアメリカに縋り付く政権与党に外交方針どころか国家ビジョンもない。対して、国の防衛や国の将来像を提起して政権論争をいどむ野党はない。政権党の揚げ足を取るかせいぜい税金の使い道についての議論に終始。それ自体は国会の重要な仕事ではあるのだが、国、ひいては国民の行く末が厳しく問われている現在、なんとこの国は平和ボケしているのかと嘆きたくなる。うかうか味噌汁をすすってもいられない。

 

分岐点に立つ2024年

米国の調査会社ユーラシアングループは今年1月8日に「2024年世界10大リスク」を発表した。その第1位は米国の分断、第2位は瀬戸際の中東、第3位はウクライナの事実上の割譲、だとしている。

この数年間のアメリカの政策の破綻が現在の世界を大混乱に落とし込んでいる。

アフガニスタンでは20年の介入の後に放り投げた。ウクライナではロシアを挑発して引きずり込んではみたものの窮鼠にかまれて逃げごし。イスラエルでは、英欧に押し付けられた75年の負債を背負い込んで四苦八苦。ソ連崩壊後に一国超大国、歴史の終わり、などとおごっているうちにグローバルサウスの台頭により世界は多極化。トランプが放棄した、世界の軍隊・保安官・リーダーをいま一度やろうと「アメリカ・イズ・バック」のはずだったがその実力はとうになく、化けの皮がはがれてしまった。

世界リスクは日本にとってもリスク。ユーラシアングループの見立てのように、アメリカの分断は日本にとっても第1位のリスク。アメリカべったりの日本は米国大統領選の結果次第で国の行く末がどうなるかわからない。原油の輸入の92.5%(2021年度)を依存する中東問題では若干アメリカと異なりパレスチナ寄りの姿勢も見せる日本だが、中東・ウクライナ・中国問題で日本の主張をしっかり打ち出して国際舞台で行動する度胸は持っていない。分かれ道にある2024年は、日本にとっても正念場。しかし、国家の将来ビジョンは不明。となれば、国民それぞれが「自分のあたま」で考えて決断するしかない。覚悟の年になる予感。

野口壽一

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