(2024年6月5日)
善意の循環
~困ったときの助け合い~
世界の難民1億人超え
世界の難民が1億人をこえたのは2年前。本サイト「トピックス」コーナーでは、2022年5月23日付け「ウクライナ、世界各地の紛争により、強制移動の数が史上初の1億人超え」のタイトルでその事実を伝えた。出典はUNHCR(国連高等弁務官事務所)日本。
発表にあたって国連は「1億という数は実に厳しく、私たちに衝撃を与え、警告を発するものです。決して記録すべきではなかった数です」(フィリッポ・グランディ国連難民高等弁務官)と強調した。2021年末まで9000万人に迫る勢いで増加していた世界の難民が世界人口の1%以上の1億人を一挙に超えたのは、22年2月に起きたロシアによるウクライナ侵略がきっかけだった。
1億人といえば、ほぼ日本の人口、世界の国別人口ランキングでは14位に相当。この避難民数には、難民と庇護希望者に加え、国境を越えずに紛争により避難している5320万人(IDMC:最新の報告)の国内避難民も含まれている。
西側世界ではウクライナからの避難民を最大限受け入れる姿勢を示した。それまで難民をほとんど認めてこなかった日本ですら、翌年2月までに2000人を受け入れ、今年5月31日現在速報値では2631人を受け入れている。しかしこの数字はウクライナ人向けの特例が生んだもの。
アフガン難民の状況は?
他方、それに先立って、2021年8月のアフガニスタンでのターリバーン復権を受けて始まっていたアフガン難民の受け入れ状況はどうか。日本では2022年12月末で「特定活動」(就労が認められるビザ)329人、難民認定者147名。23年度は難民237人が認定されている。(2024年3月26日 出入国在留管理庁)。正式に難民として認められる人数は極めて少なく、2022年と2023年の2年間に難民申請が認められた505人のうちアフガン人は(384/505=)76.0%でトップ。ちなみに2位は、ミャンマー人で(53/505=)10.5%。両方合わせて86.5%。アフガン人が多いのではなく、難民として正式に認められる人数がいかに少ないかが歴然と示される数字でもある。逆に、ウクライナ人への対応がいかに政治的に優遇された特例であり、他の難民との処遇の差がいかに大きいかも浮き彫りになる数字だ。
われわれウエッブ・アフガン・ジャパン(WAJ)では、イーグルアフガン明徳カレッジ(EAMC)を始める前までは、戦争や政治やその他避けることのできない災害から避難せざるを得ない人びとへの人道的な共感・同情・支援の立場からの情報収集と報道に取り組んできた。アフガニスタンのケースを中心に。
難民の定義にはいろいろある。各国は一般的には国際的な難民条約に従っている。日本もこの国際条約を批准しているが独自の解釈をおこなって世界でも最低水準の難民受け入れしかしてこなかった。国際平和と人道主義の観点からこの問題は引き続き改善すべき課題として取り組むべきだ。
人類は移動する生物
一方、日本には、そして外国には、その国における外国人(外国籍人)が存在している。あらゆる種類の危険に迫られたり、経済格差や社会格差、さらには文化格差があれば、合法・違法にかかわらず、人は移動する。もともと人類とは歴史的に移動し続けてきた生物であり、国境とはそのときどきの都合で引かれた境界でしかない。日本は、海に囲まれた島国として、境界の人為性に対する認識が希薄である。そこに排他的なナショナリズムが入り込む余地があり、異邦人排斥の国民的傾向が助長されがちだ。
われわれWAJは、戦前からの諸事情により日本に存在する朝鮮人、中国人との共存共栄を主張してきた。その延長線上にあるものとして在日アフガン人との関りも維持してきた。在日にいたる理由は、非合法、犯罪的なものでないかぎり在日の理由は不問にしてきた。おなじ日本列島にすむ人間として協力し生きていく存在として、他の国の出身者と差別や区別はしない。
そのような観点と偶然とから、昨年から在日アフガン人女性とその子弟にたいする日本語と生活支援を始めることとなった。
「国際開発ジャーナル」の特集
前置きが長くなったが、「国際開発ジャーナル」が「難民1億人時代」と銘打つ特集をかかげ、われわれが進めてきた活動を取材してくれたことに感謝し感銘を受けたのは、ここで述べたような理由があったからだ。しかも、その特集の副題は「地域が変える”鎖国”日本」とある。これもわれわれが試行(思考)してきた活動のミッションとまったく共通のものだった。「国際開発ジャーナル」は1967年に創刊され、以来57年の長きにわたり日本の国際開発に関する話題を取り上げてきた日本で唯一の国際協力専門誌。
支援活動をしてきた人なら誰でも感じることだろうが、支援活動をしていると、実は支援対象者から支援をしてもらっていることに気づく。障がい者支援活動をしている人にとってはまさにそうだろう。ハンディを抱えながら生き抜く人々からは限りない勇気と元気をもらえる。多くを説明する必要はないだろう。
EAMCにきている在日アフガン人女性たちの生き生きとした姿からもわれわれは多くの喜びを分けてもらっている。最初、通い始めた女性たちの不安と期待がないまぜになった表情を忘れられない。なぜわれわれが無料でこんなことをするのか。しかもこれまで通うことを夢に見たこともない立派な学校・校舎で勉強できる。夫の説得までしてくれる。国では学校に行く、といっただけで熱湯をかけられたという女性までいたのに。
半年たった現在、「国際ジャーナル」がレポートしてくれた喜びのシーンが毎週生まれているのだ。私も、他の活動(昨年末のアフガン詩人の来日アテンド)以外は欠席もせず皆勤だ。やってくる子供たちの世話と受付で女性たちに登下校の挨拶しかできないけれど、充実感をもらっている。
支援するとはされること
「国際ジャーナル」は特集のなかでわれわれのEAMCだけでなく、実例を3つ挙げている。宮崎県(牧場などで活躍するアフガニスタンの元留学生)、熊本県玉東村(ウクライナからの避難民支援)、埼玉県草加市(商工会議所による難民就労支援)。いずれも、支援する側が支援されている。就労支援しているつもりが自分たちの労働者不足を解消してもらっている。もともと日本赤十字社の発祥の地に住む現代の人びとがなんと百数十年前の歴史体験をさせてもらっている。草加モデルを生み出した商工会議所の人びとは参加企業の人材不足解消という利益をいただいている。
「情けは人のためならず」という言葉があるように、支援とは「人助けではなく助けられること」でもある。
<視点>ではこのことを何度も強調してきた。それでももう一度<視点:095>「アフガン日本語学校開校に向けて支援のお願い~異文化共生から融合への取り組み~」に触れさせてほしい。ここで強調したのは、難民問題の解決や対処法を大上段に構えるだけでなく(それは国や行政の仕事だろうが)それに命を与えるのは、下からの、市民や諸団体(中間組織)による自発的な活動である、ということである。そのことの重要性は、「国際開発ジャーナル」がわれわれの活動の他に取り上げた3つの事例の中でも、また、その他の論文やエッセーのなかでも、繰り返し述べられていることでもある。
国連などの国際組織が呼びかけるSDGsなどの掛け声も、下からその建前をうけとめて建前に命を吹き込む活動が必須だということを、「国際開発ジャーナル」は教えてくれた。日本では、ヨーロッパやアメリカのように「移民」を受け入れた結果生じている問題でもないのに、イデオロギー的に外国人を排斥する感情が存在する。お友達のバイデン大統領にさえ日本は「外国人嫌悪」で「移民を受け入れたがらない」国だ、とイジメられたりしている。
「国際開発ジャーナル」が特集の副題に掲げた”鎖国”状況、国民的精神性をどのようにして克服していくか。それはわれわれの次の課題としたい。
【野口壽一】