特別企画:完全収録 

アフガニスタンと日本の詩人による知性対話
言論の自由と女性の地位、社会の解放について

2023年12月19日 (火) 午後4時~
於: 横浜市ことぶき協働スペース

 

ソマイア・ラミシュ(Somaia Ramish )

ソマイア・ラミシュさんはアフガニスタン・ヘラート州出身、元ヘラート州議員。詩人・文学者・アーチスト。2021年8月、カーブルが陥落した日、ヘラートから国外へ身を移し活動を継続。「亡命詩人の家 バームダード(ペルシャ語で夜明け)」((https://baamdaad.com/https://www.baamdaad.net/)を立ち上げる。現在はオランダに在住。

2023年2月、詩作を禁止するターリバーンの弾圧に抗して、詩による抗議を世界中のすべての詩人に訴えるアピールを発する。
同年8月15日「詩の檻はない」日本語版発刊同年11月フランス語版発刊。

フェイスブックアドレスhttps://www.facebook.com/somaia.ramish

<『ウエッブ・アフガン』での主な発言>
ガニーを逮捕せよ/Interpol Arrest Ghani
アフガニスタンは今や真の全体主義軍事国家
「アフガン女性への抑圧をやめよ!」
「ヒジャブ着用命令の義務化に反対」

 

12月19日、横浜市ことぶき協働スペースで、シンポジュウム「アフガニスタンと日本の詩人による知性対話 言論の自由と女性の地位、社会の解放について」が来日中のアフガニスタンの詩人・人権活動家のソマイア・ラミシュさんと日本の詩人や作家、ジャーナリスト、出版関係者などがあつまり、開催された。パネリストは詩人の佐川亜紀さん、大田美和さん、岡和田晃さん(パネラー兼司会)。

 Zoom版 完全アーカイブはこちら (北海道詩人協会事務局柴田望さん提供)

 

このシンポジュウムの成功を企画・実行の裏を支えた高細玄一さんは次のようにレポートしている。

12.19ソマイア対談は「ヒョウタンを駒にして」実現した
高細玄一(詩人。横浜詩人会、横浜詩人会議、日本現代詩人会所属)

12月19日、アフガニスタンの詩人で人権活動家のソマイア・ラミシュさんと日本の詩人佐川亜紀さん(前・日本現代詩人会理事長)岡和田晃さん(文芸評論家・詩人)大田美和さん(中央大学教授・詩人・歌人)による対談は、参加者に大きな感動とある意味「衝撃」を与えた。ソマイアさんは「詩には力があり、今回の日本とフランスでの詩集出版によって、アフガニスタンの詩人は大きく励まされている。」という発言に続いて「自由を失うことは死に等しい」と発言。これを聞いた文芸評論家の神谷光信さんは「背筋がピンと伸びる思いがした」と感想を語っている。登壇者のひとり大田さんはソマイアさんとの出会いを「本当に、これが、人間として生きる喜びだという思いを、ソマイアさんと共有できた」とその感動を語った。佐川さんは「アフガニスタンの現実はすぐに日本でもそうなるかもしれない」と日本の言論の状況に危機感を表明し、岡和田さんは「ソマイアさんは日本の言論界を覆う『冷笑主義』とは真逆」と指摘した。

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 ソマイアさんへの質問と回答=基調発言にかえて 

シンポジュウムの運営は、時間の制約もあり、事前にソマイアさんに質問を提出し、それへの回答をいただき、シンポジュウム開催時に参加者にプリントして配布し、それをソマイアさんの基調スピーチに代える、という用意周到な形で実施された。(その準備過程と実行委員の問題意識は高細玄一さんのレポートに詳しい。)

パネラー兼司会をかねた岡和田さんに、はじめに今回のシンポジュウムの位置づけをおこなってもらい、そのうえで事前の質疑ノートをベースに「ソマイア・ラミシュさんへの質問とその回答」の形で当日の討議のまとめをしていただいた。以下がその全文である。

 

「アフガニスタンと日本の詩人による知性対話 言論の自由と女性の地位、社会の解放について」へ参加して
――付:ソマイア・ラミシュさんへの質問とその回答

岡和田晃(現代詩作家、文芸評論家、東海大学講師。北海道生まれ、著書に『「世界内戦」とわずかな希望』『反ヘイト・反新自由主義の批評精神』『掠れた曙光』ほか多数)

 

・ソマイアさん来日

2023年12月19日、来日していたアフガニスタンの亡命詩人ソマイア・ラミシュさんを囲む「アフガニスタンと日本の詩人による知性対話 言論の自由と女性の地位、社会の解放について」(以下、「知性対話」)が、横浜・寿のことぶき協働スペースで執り行われた。詩人で日本現代詩人会元理事長の佐川亜紀さん、歌人・詩人で中央大学文学部教授の大田美和さんがパネリストとして参加、私・岡和田がパネリストの末席を汚し、かつ全体の司会進行を担当した。

「知性対話」が開催されたのは、その二か月前の10月15日、同会場で「『詩の檻はない』朗読会 〜横浜・寿からアフガニスタンへ、世界へ〜」が催されたのがひとつの契機となっている。今回のイベントをオーガナイズしてくださった詩人の高細玄一さん、そして司会もつとめた詩人の遠藤ヒツジさん主宰の企画で、私はミニ講義を担当させていただいたのだが、関係者の贔屓目を除いても、確かな手応えがあったのだ。

ターリバーンによる詩の禁止へ抗する声は、日本でも周知の事実となりつつある。そうした動きが、広告代理店や政府の主導する「クールジャパン」ではなく、あるいは「詩壇」における内輪の馴れ合いとは別のところから立ち上がってきたのは特筆に値しよう。

仮に、これが動員を主としたものだったなら、たちまち「政治的」というレッテルを貼られ、ターリバーンに抗するどころか、むしろ親和的ですらある面々の姿勢と対立し、あるいは「サヨク」の絵空事として無力化されてしまったに違いない。

岡和田さんの原稿のつづきを読む

 

  パネラーとして思うことー1  

世界の夜に詩人の星座を求めて

佐川亜紀(詩集『死者を再び孕む夢』『押し花』『在日コリアン詩選集』『日韓環境詩選集 地球は美しい』など。日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会、日本社会文学会、各会員)

 

まず、いろいろな困難を乗り越えて来日してくださったソマイア・ラミシュさんに深く感謝いたします。じかに接し、お声を聞くことができたことがうれしく、ご尽力された皆様に心からの敬意を申し上げます。

12月19日のことぶきでのシンポジウムで一番、痛感したのは、アフガニスタンにおける芸術表現、女性の活動に対する弾圧が想像を超えて厳しいことです。「ジェンダーのアパルトヘイトを意味します!」とまで、ソマイアさんは言い切りました。教育、就業からの排除は、女性の失業率を劇的に高め、社会の構造として、女性を貧困と隷属におとしめます。
大田美和さんが指摘したように、女性専用の監獄が作られているとは、まさに女性にとって社会が牢獄化していくことです。19日に私は「フラジャイル」第19号に掲載されたファルフンダ・シュウラさんの詩「(あの事件の怒りと血のせいで私は心が塞ぐ)」(中村菜穂訳)を朗読しましたが、「自由よ!自由よ!」の連呼に、自由がどんなに切実に求められているか胸に染みました。日本でも女性の参政権が実施されたのは戦後にすぎません。戦前戦中は、女性の集会の自由も治安維持法で禁止されていたのです。日本もすぐ牢獄化しそうです。

岡和田晃さんが、日本のアジアへの侵略の歴史を振り返ることなしには、アフガニスタンとの新しい共生への道を探せないとの教示は、深い洞察です。
私たちは、過去にアジアに侵略しただけではなく、9・11の時に、大半の日本人がアメリカに同情し、イラク戦争に加担し、アフガニスタンへの爆撃を許したのです。

ソマイアさんは、タリバンを告発するだけではなく、米国NATOの甘い汁を吸って腐敗し逃亡したガニー政権を糾弾しています。最初に私がウエッブアフガンで読んだ詩は「ガニーを逮捕せよ」だったことを思い出します。「ターリバーンを承認するな!インターポールはガニーを逮捕せよ!」と訴えています。ここに、現時点の世界の困難が凝縮されています。

自国利益追及的な米国の凋落と、中世的な保守権力の復活のはざまに押し込められていく女性たちや犠牲者たち。「自由は階層化されるべきではありません。人権を政治や利益のために犠牲にしてもなりません。不幸なことに、今日の我々は、暴力や戦争、差別の常態化に直面しています。これらに沈黙を続けるのだとしたら、私たちは歴史によって裁かれることになるでしょう」とのソマイアさんの言葉は、現在の世界の不条理に立ち向かう勇気を与えてくれます。

カカ・ムラードこと中村哲医師について親しみの感情が今も続いていることがありがたく、業績の偉大さをあらためてかみしめました。「カカ・ムラードは日本とアフガニスタンをつなぐ友好の象徴です。私は彼の思い出を、心から大事に思っています。」。また、詩についても中村哲医師が深い理解を示していたことに驚きました。「彼はアフガンの農民が、畑仕事をしながら詩を読んでいるのを見てきました」「現在、詩とはまさしく日常会話になっているのです。どの家でも、ハーフェズやルーミーの詩集があり、冬の長い夜に一家の長が読んで聞かせるわけです」ソマイアさんは、ハーフェズから一作品を朗唱してくださり、美しい調べに魅せられました。16日のKOTOBA Slam Japan 全国大会でもペルシャ語で書き歌うことの重要性を強調されていました。
中村哲氏は、アフガニスタンに水路を引いただけではなく、憲法9条があることで、日本人の支援が平和的に受け入れられていると国会で証言しました。今その憲法9条を空洞化している日本政府に対し、私たち市民が十分な抗議をしていないのは悔しいことです。
参加された評論家の神谷光信さんは、非常に抑圧的な時代に、詩人がどうふるまうか、どう発言するか、問われていると、私たち自身の問題として、受け止めていました。
野村喜和夫さんは、自由の問題を、ソマイア・ラミシュという個人名で詩人としての実存を賭けて、私たちに提起してくれたことに感謝していました。個人として受け止め、つながることも大切だと考えます。
ソマイアさんの呼びかけを、アフガニスタンにとどまらず、アジアや沖縄での日本軍の性暴力や軍事暴力についても合わせて考えていくことが今後ますます必要だと感じました。
詩の力、詩の役割とは、何か、あらためて考えさせて頂きました。

今回のソマイアさんの呼びかけを受けとめて寄り添ってきたウエッブアフガンの野口壽一さん、金子明さん、圧倒的に大きく広げることに奮闘され「詩の檻はない」を編集された柴田望さん、来日と発言に多大に貢献されたKOTOBA Slam Japanの三木悠莉さん、遠藤ヒツジさんら、19日のことぶきの会を企画開催して下さった高細玄一さんとことぶきの皆様、ご参加された皆様に深く感謝いたします。

 

  パネラーとして思うことー2  

「人間的な行い」と、協働する喜び

大田美和(歌人・詩人・中央大学教授(英文学)、著書に、既刊四歌集・詩・エッセイを収録した『大田美和の本』、エッセイ集『世界の果てまでも』、『大田美和詩集二〇〇四ー二〇二一』、研究書『アン・ブロンテ二十一世紀の再評価』、第五歌集『とどまれ』など。)

 

2023年2月に、ソマイア・ラミシュさんの世界の詩人たちへの呼びかけが日本にも届いた。矢も楯もたまらず作った英語の詩を、メールの添付ファイルでバームダード(亡命詩人の家)に送った。そのときには、その年の暮れまでにこれほど大きな手応えが次々と得られるとは思わなかった。8月の日本語版『詩の檻はない』の出版と旭川での出版記念の朗読会、10月の横浜・ことぶきでの朗読会、11月のフランス語版の出版、そして12月のコトバスラムジャパンによるソマイアさんの招聘と、横浜・ことぶきでの対談。パウル・ツェランの言った「投壜通信」が届いたという手応えがあった。そこで出会った人たちが互いに詩の力、言葉の力を実感し、言葉を持っている者の使命を確認し合った。

12月19日には、ソマイアさんと朝から横浜港観光、対談、夜の懇親会をご一緒し、同時代を生きる歓びを共有した。そして、名残を惜しんでお別れした後、「投壜通信」という言葉を教えてくれた、尊敬する年上の友、作家の徐京植さんの急逝を知った。ロシアによるウクライナ侵攻、ミャンマー政府による民主派活動家の公開処刑、イスラエルによるガザでのジェノサイドに苦悩を深めていた徐さんに、この日につかんだささやかな希望を伝えることはできなくなった。その代わりに、この希望と手応えをどのように他の人々に伝えていくかを考え、実行したいと思う。

私の知っていたアフガニスタンは、イラン人の映画監督モフセン・マフマルバフの書物『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない。恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(現代企画室、2001年)と、サミラ・マフマルバフの映画『午後の五時』(2003年)、中村哲医師の活動についてのドキュメンタリーを編集した劇場版『荒野に希望の灯をともす』(2022年)、中村哲と澤地久枝の対談『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』(岩波現代文庫、2010年)を通したものだった。映画『よみがえれカレーズ』(1989年)のような未見の作品からインスピレーションを得て、短歌作品にした経験もある。

読んだことさえ忘れた本の真下にも速やかに白く地下水路(カレーズ)走る 大田美和 歌集『飛ぶ練習』(北冬舎、2003年)

これはアフガニスタンの伝統的な地下水路を比喩として使った歌だが、映画『荒野に希望の灯をともす』には、干ばつによってひび割れた荒野が、中村たちの土木工事によって、花に蜜蜂が集まり、少年が泳ぐ用水路を持つ緑の耕作地に変わる映像が出てくる。

今回、対談の準備として、アフガニスタンの女性作家たちの短編集『わたしのペンは鳥の翼』(小学館、2022年)を読んだ。この中には、高等教育を受けて働く女たちが、金持ちで学問を見下す男たちから、ハラスメントを受け、搾取される話や、夫と他の妻たちから虐待される嫁と子どもの話や、家族に認められないトランスジェンダーの少女の話などが入っている。その中でも、聡明で強い意志を持つ働き者の女が、夫と死別した後、ツルハシとシャベルで水路を掘り、他の女たちの協力も得て、村を洪水の危機から救った物語「アジャ(おばあさん)」は、忘れがたい。

これらの女たちの物語は、ソマイアさんが、「私は(欧米の先進国に留学せずに)、アフガニスタンで高等教育を受け、英語運用能力と専門知識を身につけて、詩人として政治家として活動するようになった」と誇らしげに語り、「教育の機会さえ与えられれば、自分のようになれる少女はアフガニスタンに何万人もいるだろう」と語ったことに、まっすぐにつながった。ソマイアさんが、オランダから日本への15時間の旅路について、「今度は子どもたちを連れて来たい」と語り、ピカチューのグッズ等のお土産を選ぶ一方で、「久しぶりに一人きりの旅ができて嬉しい」というのを聞いて、共感した。私も二児を育て詩歌を作り、フルタイムの仕事を続けてきたからだ。ソマイアさんは13世紀の詩人ルーミーについての博士論文に取り組んで、ペルシャ語の神秘主義詩人の専門家にもなろうとしている。やりたいことがあり、それをやり通す力が自分にはあるとわかれば、何もあきらめず、自分の可能性を追求するという人生は、自由があればこそのものだ。

ソマイアさんと出会うまで、私はアフガニスタンのダリー語がペルシャ語の一つであることを知らなかったし、インド亜大陸とその周辺を支配したムガル帝国の創始者がアフガニスタン出身であることも知らなかった。ケンブリッジ大学のフィッツウィリアム博物館で見た、フィルドゥーシの『王書(シャーナーメ)』のロステムとスフラブの物語の各地への伝播と変奏、中でもインドでの絵画表象が目に浮かんだ。アフガニスタンは、青いラピスラズリの輝きと、詩の文化を持つ国として再認識された。

対談の中の発言でもっとも印象に残ったのは、マーティン・ルーサー・キングの「われわれは友の沈黙のほうを覚えている」という引用と、「沈黙に加担するな」、「声を出せないことのほうが死よりも恐ろしい」という言葉だった。「時間を共有し、意見を共有し、連帯するというのは、実に人間的な行いである」というソマイアさんの言葉も、忘れられない。この「人間的な行い」こそ、私たちが、生まれ育った環境や言語や文化の違いにかかわらず、出会い、ともに生きる喜びであるからだ。

対談の終わりに、会場の提供と準備と当日の運営を担って下さった、ことぶき協働スペースの責任者の徳永緑さんの挨拶があった。自由を脅かすものに対する抗い、つながる力、社会に対する責任を考える場を持つことの意味。ソマイアさんに英語に訳して伝えたところ、一々うなずいていた。日本社会の光と陰、陰の部分の人たちを支える人たちの仕事と、詩的抗議が一直線につながった。これは他の招聘行事には見られない特徴だったと思う。

日本では詩を読む人も、詩の力を信じる人も少なく、詩人ができることはほとんどない、という言い訳は、ソマイアさんの詩の力を疑わない力強い発言によって、吹き飛ばされた。そして、欧米の二重基準があるから、欧米の人権思想、フェミニズム、反植民地主義などの理念に価値がないのではなく、欧米の二重基準を批判することによって私たちは、地球上のどこにいても、人類に普遍的な人権をすべての人に広げていく努力を怠ってはならないと、あらためて気づかされた。「あなたはどの時間帯にいるのですか?」というソマイアさんの詩「世界のどの地域も夜」の一節が胸に響いた。

いつかソマイアさんが戻ったアフガニスタンを訪問したい。

 

文学を両手で握りしめるだけ 無力なわたし「無名者の歌」

切れた油に思いのたけが注がれて煤けたランプが光り続ける

大田美和 歌集『とどまれ』(北冬舎、2023年)

※「無名者の歌」は、短歌の師 近藤芳美の著書の表題。

 Zoom版 完全アーカイブはこちら (北海道詩人協会事務局柴田望さん提供)

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