イスラエルの入植者植民は単なる占領ではない
(WAJ:この論文が、言葉の正確な使用を冒頭で要求し、そのうえで論を立てていることは誠に重要である。バレスチナ問題として生じている現在を正確に理解するためには、言葉の、正確な定義がまず求められなければならないからだ。本稿の論者は、従来のスペイン、ポルトガル、イギリス、フランスなどがやってきた植民地主義「colonialism」に対して、それをさらに先鋭化させ「土地財産略奪」「アパルトヘイト」を主たる構成要素とする新しい植民地主義として入植植民地主義(セトラーコロニアリズム)「settler colonialism」の言葉をつかっている。注目すべき論点である。)
MIDDLE EAST MONITOR
November 25, 2023
by Akram Al Deek
中東モニター
2023 年11月25日
アクラム・アル・ディーク
私たちは、パレスチナ人に対するイスラエルの不法な存在と行動を、正しい用語を使って理解しなければならない。そうすれば帝国的枠組内の植民地から脱脚し、言語と文化が下支えする権力の帝国的呪縛から解き放たれることが出来る。なぜなら、心の脱植民地化が第一にもたらされるからだ。
いわゆる「和平プロセス」が予想通りに死を迎え、「2国家解決策」が必然的に終了に至ったことから、いわゆる「占領」さえ解決すればいいという議論から、より大きく、より深い問題へと焦点が移された。つまり、パレスチナ全土におけるイスラエルの植民地的抑圧がいま問題視されている。コミュニティがヨルダン川西岸地区、ガザ地区、イスラエル国内、亡命先、ネゲブ砂漠に分散されてしまったことで、パレスチナ人は国民国家としてまとまることがより困難になった。ヨルダン川西岸地区をアルファベット順にAゾーン、Bゾーン、Cゾーンとモザイク状に分割し(訳注:A=パレスチナ暫定自治政府が支配、B=行政はパレスチナだが治安はイスラエルが担う、C=イスラエルが支配)それぞれ異なる政治的・軍事的管轄下に置くことは、国際法(訳注:1949年に発効した国際法であるジュネーブ条約は入植活動そのものを違法と規定)をまったく改正する以外みとめられない。パレスチナの領土は植民地化されたのであって「占領された領土」とは呼ばれてはいけない。なぜなら占領とは、単に他国民の土地を軍事的・政治的手段によって首尾良く横取りするだけのことで、この場合のように他国民を追い出し、あまつさえその文化を根こそぎ盗み出すこととは全く異なるからである。
<参考サイト>
・イスラエル占領地の不思議な地図
https://seichi-no-kodomo.org/2017/02/21/blog-170221/
・“入植地問題”ってなに? アメリカの政策転換の先にある現実
https://www3.nhk.or.jp/news/special/new-middle-east/jewish-settlements/
占領が駐在という形を取り地理的空間のみに重点を置くのに対し、植民地主義はもっと奥深くかかわって、文化的、経済的、心理的に作用し支配する。占領が単に統治者の交替を意味するのに対し、植民地主義は破壊を旨とする。定義上、占領とは一時的で、植民地主義は長期的である。占領は、結果として無償の労働力や天然資源など若干の経済的搾取を伴うかもしれないが、植民地主義は元からそれらを糧としている。歴史的な占領の例としては、ヨルダンによるヨルダン川西岸の占領、エジプトによるガザの占領、インドによるゴアの占領、インドネシアによるニューウェストギニアの占領などがある。歴史上の植民地主義の例は、イギリス植民地主義、フランス植民地主義、スペイン植民地主義、ポルトガル植民地主義である。
<参考サイト>
・「入植者植民地主義」と「植民地主義」との違い
https://toumaswitch.com/5kf4caqtge/
従って、イスラエルの「入植地」として誤って知られているものは、実際には入植者の植民地である。イスラエルの占領として誤って知られているものは、実際には入植者の植民地主義である。そこでは民族浄化とアパルトヘイトによる抑圧が常態化し、パレスチナ人を追い出し、他の集団が後釜に座る。イスラエルとは、とどのつまり入植者による植民地プロジェクトであり、その歴史はわずか126年しか無い(訳注:1897年ハンガリーのユダヤ人新聞記者の提唱で初のシオニスト会議が開かれた)。つまり19世紀末になってやっと出てきたシオニズムとシオニスト運動がその起源で、彼らはユダヤ人「集団」のためだけの祖国をパレスチナに建設しようとした。もちろんそこに暮らす人々のことなどお構いなしに。
<参考サイト>
・シオニズム運動の創始者ヘルツル
https://www.y-history.net/appendix/wh1401-079_0.html
・ユダヤ教徒も含む「反シオニズム」の動き(Wikipedia)
https://x.gd/2ogDK
占領はやがて、併合で終わることもあるが、植民地主義はそうは行かない。植民地主義は、脱植民地化、独立、植民地支配国の打倒によってのみ終わる。これは、経済的、文化的、心理的な自決と自治によってのみ達成される。
たとえば、イスラエルの帰還法(訳注:国外のユダヤ教徒がイスラエルにアリーヤー(移民)することを認めるもの。イスラエル独立宣言(1948年5月14日)から約2年後の1950年7月5日に制定され、1954年と1970年に改定された[wikipedia])と市民権法(訳注:アラブ系イスラエル人に市民権を与えない人権剥奪法、参考サイト参照)は人種差別の典型である。一方では、イスラエルの帰還法は、世界中のユダヤ人にイスラエルつまり植民地化されたパレスチナ領土に移住すれば、自動的にイスラエル国籍を取得する究極の権利を与えている。他方、イスラエルは、ユダヤ人ではないという理由で、追放された先住民のパレスチナ人が故郷に戻る法的権利を否定している。さらに悪いことに、イスラエルという国に住むパレスチナ人は「アラブ系イスラエル人」とも呼ばれ、イスラエルの人口の20%以上を占めるが、二級市民として扱われている。エチオピアからの移民の多くは、数世代前にキリスト教に改宗したものの本来はエチオピア系ユダヤ人の子孫だと主張している。帰還法に基づいてイスラエルに入国できる者もいれば、人道上の例外措置としてしぶしぶ受け入れられ、収容所で暮らす者もいる。ユダヤ人の先祖を持つ他の大きなグループとしては、旧ソ連からの移住者たちがいる。イスラエルという国の中におけるこうしたさまざまな集団を束ねるのは実に難しい。
<参考サイト>
・イスラエルによるパレスチナ人へのアパルトヘイト、残虐な支配体制と人道に対する罪
https://www.amnesty.or.jp/library/report/2022/apartheid_202202.pdf
イスラエルの市民権法はさらに、パレスチナ人家族の統合に拒否権を行使し、イスラエル市民権を持つパレスチナ人がヨルダン川西岸地区とガザ地区のパレスチナ人と結婚しても、市民権もそれに付随する権利も認めない。また、シリア、レバノン、イラク、イランを含む「敵国」の配偶者との結婚も禁止されている。ここでの差別は国家、宗教、民族に基づくものだが、イスラエルはいまだに自らを民主主義国家だと考えている。このようなアパルトヘイト法が撤廃されるまでは、イスラエルは民主主義国家とは言えない。 シオニズムとイスラエルはイコール人種差別なのだ。
<参考サイト>
・イスラエルにおけるパレスチナ市民権
https://www.palquest.org/en/highlight/10585/palestinian-citizenship-israel
パレスチナのオリーブオイル、パレスチナの教科書、文芸本の代金をイスラエル・シェケルで支払うことは、空間的な占領を超え、パレスチナ人の精神の核心に深く入り込んでいる。イスラエルがLGBTQ+のコミュニティに対し、さまざまなジェンダーやセクシュアリティの実践を通じて自分たちのアイデンティティを表現する完全な権利と選択肢を認める一方で、パレスチナ人はいまだに水、電気、移動といった人間の基本的なニーズに苦しんでいる。これは占領の実践を反映したものではない。100年以上にわたる追放、強制移住、ノスタルジア、実現しない帰還の夢、難民キャンプ、入植者の植民地、文化的帝国主義、世代を超えたトラウマ、人種差別的シオニズム、ヨルダン川西岸、東エルサレム、ゴラン高原における入植者の植民地、集団的抑うつ、非人間化、文化的変容、殺人、次から次へと起こる大量虐殺、植民地的偏見、集団的・個人的な投獄は、占領ではない。卓越した植民地主義なのだ。今日、私たちは政治的物言いを言語的に再定義する。それはパレスチナ人であることの意味を再定義することになる。
https://www.middleeastmonitor.com/20231125-israeli-settler-colonialism-not-occupation/