2026年10月4日
金子 明

 

ころころと蹴りつ蹴られつ地球をば、
揚子の水に沈めたく思ふ。

かつて「地球を大切に」と声高に世の中で叫ばれたとき、だれか西洋人の作で、「地球の直径がもし1メートルだったなら」という詩に出くわした。地球は尊いなあ、でもでっかすぎて有り難みがよくわからないのよね、という文脈。まことに万人受けする正論である。

しかるに、上の短歌はとっつきにくい。地球をもっと小さくして蹴っ飛ばす? ナンセンスか狂気か。こりゃ! もっと地球をありがたがらんか、と外野の声が聞こえてきそう。そして声高に尋ねる、誰じゃ、こんなけしからんことをほざくのは?

「それは、ふーさんですよ」と草葉の陰から金子文子が答えるかな。彼女は100年前に監獄で自殺した。自暴自棄になった挙げ句にそう詠んだ、と解釈もできよう。だがここまで敵味方なく、地球そのものを滅ぼしたいと言い切られると、いっそのことすがすがしい。

彼女がこの歌で伝えたかったのはおそらく無念。しかし自分としては「蹴られつ」に注目したい。そう、この歌には一緒に地球を蹴りたいと思う誰かが詠みこまれている。金子はその者へバトンを託しているようだ。死んで歴史となった金子には、いずれそのバトンとは無縁の誰かが記念碑を建てるだろう。

しかし、大事なのは一見不条理なこの歌だ。金子はここで自らの死後も一緒に地球を蹴る仲間を誘った。この道に進む者には、信奉者も、協力者も、ましてや金も利益もない。それでも君はふーさんの後へ続くか。もしくは、孤独で虐げられ悶々とする君たちを、ふーさんが導いてやる。不条理なのはどっちだ。その意味で、これはまことに危ない歌なのである。

金子文子短歌の私的5選は以上で終わる。どれも、死刑囚が詠んだとの能書き抜きで、十分にとんがった名歌だと感服する。

最後に余談。この最終回を書いていたとき、テレビではサッカーの試合が流れていた。すると、ボールは「ころころと」どころか、「ばしーん」と飛んでゴールにつきささった。勝利を収めたのは金子文子ゆかりの韓国からやって来たチーム。優勝おめでとう。

(金子文子が残した短歌から好きな5本を選びエッセイのネタとしました。これはその5本目。改行や句読点などの短歌の表記は大田美和著「金子文子 獄中のうた」に準拠しました。金子明)