Requiem for America on the Fourth of July
The con of neoliberalism has gutted our democracy and paved the way for fascism.
新自由主義という欺瞞は、我々の民主主義を蝕み、ファシズムへの道を開いた
(WAJ: クリス・ヘッジズは、米国の独立記念日に寄せてアメリカ民主主義の崩壊とファシズムへの傾倒を痛烈に批判している。その元凶として彼が挙げるのが、新自由主義(抑圧なき剥き出しのキャピタリズム)という「毒」である。新自由主義は億万長者や巨大企業に対してイデオロギー的な免罪符を与え、結果として労働者階級の困窮化と容赦のない緊縮財政をもたらした。本来であれば国民を守るべき民主主義のシステムやインフラは空洞化し、社会の底辺にいる人々から尊厳や経済的安定を奪い去った。この機能不全が、既存の政治体制への深い絶望を生み出し、右派ポピュリズムやファシズムが台頭する土壌を完成させたと警告する。独立記念日の華やかな祝祭の裏で、かつての革命の理想は反動的なオリガルヒ(寡頭支配層)にハイジャックされており、現状の打破には欺瞞を見抜き、服従を拒む真の対抗の意志が必要であると訴えている。これは、日本の現状に対しても鋭い渓谷となっている。高市現象は、高市氏にまつわる個人的な現象ではない。)
クリス・ヘッジス
7月3日

パンと弾丸 – 作・ミスター・フィッシュ(ネオ リベラリズム、クリスチャン ファシズム、MAGAニア、インペリアリズム、ジェノサイドと刻印された弾丸が充填されている。)
新自由主義、より率直に言えば「熾烈な資本主義」こそが、我々の民主主義を破壊した毒である。それは億万長者階級と大企業に、労働者階級を貧困に陥れ、過酷な緊縮財政を課し、民主主義制度を空洞化させ、2大政党を買収し、裁判所を企業と富裕層の付属機関へと変質させるためのイデオロギー的口実を与えたのだ。
新自由主義は、権利を剥奪され、絶望した何千万もの人々をキリスト教ファシストの手に追いやった。彼らは人々の絶望につけ込み、魔法のイエスという幻想を売りつけた。新自由主義は彼らを陰謀論者や右翼の詐欺師の手に追いやった。そして、アルコール依存症やオピオイド中毒、ギャンブル依存症、家庭内暴力や性暴力といった、自己破壊的な落とし穴へと彼らを陥れた。これらは、個人の停滞、無力感、そして無価値感、挫折感、深い絶望感の必然的な結果であった。
新自由主義は、犠牲者の叫びを無視する。彼らの苦しみと怒りを、非合理的で無知で人種差別的だと一蹴する。自由主義改革を骨抜きにし、見せかけだけの無益なものにしてしまう。新自由主義を擁護する自由主義者たちは、もはや経済的正義に関心を持たず、小規模な活動に逃げ込む。彼らは多様性や政治的正しさについて空虚なスローガンを口にしながら、1970年代以降世界中で繰り広げられてきた容赦ない階級闘争が存在しないかのように振る舞う。新自由主義的脱工業化の犠牲者、米国では大規模な人員削減で3000万人が職を失ったが、彼らは自分たちの不安定な生活が、新自由主義の支配者たちの関心事ではないことを理解している。
ドナルド・トランプのような右派の評論家や政治家は、伝統的な新自由主義体制に対して下品で卑猥な罵詈雑言を浴びせるが、政治的な茶番劇を暴いたとして、権利を剥奪された人々からは称賛される。こうした扇動家たちは、裏切られた人々に対し、道徳的・経済的な再生を約束するが、それは非現実的な考えに基づいている。
新自由主義者たちは、独自の形の非現実的な思考を売り込んでいる。新自由主義は、キリスト教の携挙(訳注:イエス・キリストが再臨する際、生きている信者たちが一瞬のうちに空中に引き上げられ、キリストと出会うとされる作り事)や「アメリカを再び偉大に」(MAGA)運動と同じくらいばかげていて幼稚だ。トランプは息をするように嘘をつくが、ジョー・バイデン、バラク・オバマ、ビル・クリントンといった歴代大統領もそうだった。トランプは空想にふけるが、彼らもそうだった。トランプは、民主党の歴代大統領と同様に、自分と家族を富ませているが、そのやり方ははるかに派手で貪欲だ。彼もまた、彼らと同様に、億万長者階級による略奪行為を助長している。トランプは、新自由主義の詐欺のファシスト版なのだ。
富を世界的な寡頭支配エリートの手に集中させること――世界で最も裕福な12人の億万長者が、世界の最貧困層半分の富を合わせたよりも多くの富を所有している――は、莫大な所得格差と独占権力を生み出すことを目的としている。これは民主主義的平等とは正反対のものである。政治的過激主義を煽り、社会的・文化的分断を助長するように設計されている。民主主義制度を空洞化するように設計されている。経済合理性は重要ではない。デイビッド・ハーヴェイは新自由主義を「収奪による蓄積」と呼んでいる。
支配イデオロギーとして、新自由主義は輝かしい成功を収めた。1970年代以降、それまでの主流派であったケインズ主義派は、学界、国家機関、そして国際通貨基金(IMF)や世界銀行といった金融機関から疎外され、あるいは追放された。メディアも同様である。ミルトン・フリードマンやニューヨーク・タイムズのコラムニスト、トーマス・フリードマンといった従順な廷臣や知的気取り屋には、著名な発言の場と潤沢な企業資金が与えられた。彼らは、フリードリヒ・ハイエクや三流作家アイン・ランドによって広められた、市場自由放任主義は異端の経済理論という公式のスローガンを盲目的に広めた。
国が市場の命令に屈服させられ、政府の規制が撤廃され、富裕層への課税が大幅に削減され、資金が国境を越えて自由に流れるようになり、労働組合が弾圧され、メキシコや中国の劣悪な労働環境の工場に雇用を移転させる貿易協定が締結されたとき、世界はより幸福で、より自由で、より豊かになると、これらの偽善者たちは断言した。それは詐欺だった。しかし、それはうまくいった。そして、道徳的・政治的な泥沼から吐き出された扇動家やファシストたちの、ライバルとなる詐欺ゲームを煽ることになった。(訳注:新自由主義批判は宇沢弘文『自動車の社会的費用』『社会的共通資本』など参照)
メディアには大きな責任がある。客観性、より正確には中立性の名の下に、メディアは階級闘争から身を引いた。富裕層、大企業、そして買収された政治家たちの増大する不正行為を調査せず、新自由主義の不条理さを暴かず、被害者を不可視化した。あらゆる民主主義の重要な柱であるメディアは、議論から自らを締め出すことで、自らを無力化し、軽蔑される存在となった。
新自由主義が最高の善として掲げる個人の自由と社会正義は両立しない。ハーヴェイは著書『新自由主義の簡潔な歴史』(訳注: David Harvey “A Brief History of Neoliberalism”)の中で、社会正義には社会的な連帯と「個人の欲求、ニーズ、願望を、例えば社会平等や環境正義といったより一般的な闘争のために犠牲にする意思」が必要だと述べている。新自由主義のレトリックは、「リバタリアニズム、アイデンティティ政治、多文化主義、そして最終的には自己愛的な消費主義を、国家権力の獲得を通じて社会正義を追求する社会勢力から切り離す」ことができるのだ。
エジェ・テメルクランが著書『国を失う方法:民主主義からファシズムへの7つのステップ』で述べているように、新自由主義は公共生活から道徳を追放する。それは道徳を個人の私的な空間に閉じ込める。そして、宗教が「市場に適した『精神性』へと切り詰められ、歪められる」一方で、道徳は「宗教という檻」に閉じ込められる。正義と慈悲はもはや共有された概念ではなくなり、個人的道徳と公共的道徳は切り離される。彼女は問いかける。「法執行機関が存在しない公共生活の領域で、人々が悪事を働かないように、どうすれば説得できるだろうか?」
彼女はこう書いている。「人間は、自分たちを結びつけ、一定の価値観を維持する良い物語がなければ、共に機能し、共に生きることができない。だからこそ、新自由主義における物語の欠如、意味と大義の欠如は、人間の精神にとって耐え難いものになり得るのだ。人間は、新自由主義体制にとって不可欠な、許容範囲内の反感という、穏やかな反感の状態の中で生きることを強いられているため、何が善で何が悪かを判断するための中心的な三角測量点、つまり大義を常に切実に必要としている。新自由主義の倫理的空白、つまり人間の本性が意味を必要とし、生きる理由を必死に求めるという事実を無視する姿勢は、大義の発明、そして時には最も根拠のない、あるいは最も浅薄な大義の発明にとって肥沃な土壌を作り出すのだ。」
カール・ポランニーは著書『大転換』の中で、悪い自由と良い自由を区別している。新自由主義の下では、悪い自由は神聖視されている。それは、権力者が労働者や自然環境を搾取し、疲弊させるか崩壊させるまで、それらを容認する。例えば、製薬会社や医療会社は、法外な価格を支払えない人々の命を危険にさらしている。化石燃料産業は、人類を絶滅へと追いやっている。
良き自由――良心の自由、言論の自由、集会の自由、結社の自由、職業選択の自由――は、悪しき自由によって消し去られる。多数の自由は少数の自由へと変質する。その結果がファシズムである。
ファシズムは、高まる不安を抑え込むために、恐怖、威嚇、暴力という粗暴な手段を用いる。国を愛国者と国家の敵という対立する派閥に分断し、共通の価値観を抹殺する。そして、過剰な男らしさという残酷さを賛美する。異議を唱える者は国内テロリストの烙印を押され、国家安全保障の名の下に市民の自由は剥奪される。
テキサス州でICE反対デモに参加した8人に言い渡された30年から100年の刑は、法廷で「反ファシストテロ組織」と描写されたが、常態化しつつある。9人目の被告、デビッド・ロランド・サンチェス・エストラーダはデモには参加していなかったが、政治的なジンやその他の資料の入った箱を移動させた際に文書を隠匿した罪で有罪となり、30年の刑を言い渡された。より広範なプレイリーランド事件の2番目の被告グループは7月1日に判決を受けた。司法取引に応じた6人は2年弱から15年の懲役刑を言い渡されたが、司法取引を拒否して裁判に臨んだイネス・ソトは50年の刑を言い渡された。
トルコ、ロシア、インドなどの国々では、市民的不服従をテロリズムと同一視することが常態化している。そして、ヨーロッパでもその傾向が強まっている。テキサス州で起きたことと同様の判決で、イギリスの裁判官は最近、パレスチナ・アクションのメンバー4人をテロリストと認定し、5年から9年の懲役刑を言い渡した。彼らはテロ行為で起訴も有罪判決も受けていないにもかかわらずである。
ドナルド・トランプ、レジェップ・タイイップ・エルドアン、ナレンドラ・モディ、ウラジーミル・プーチン、ナイジェル・ファラージが消え去ろうとも、それは問題ではない。テメルクラン氏は、「彼らのメッセージに熱狂した何千万人もの人々は依然として存在し、同様の人物の命令に従って行動する準備ができているだろう」と書いている。「そして残念なことに、トルコで非常に破壊的な形で経験したように、たとえあなたが政治の世界から距離を置こうと決意していても、手下たちはあなたを見つけ出し、あなた自身の個人的な空間にまで入り込み、独自の価値観を携え、自分たちに似ていない者を片っ端から追い詰めるだろう。」
かつて私たちが知っていたこの国は、もはや存在しない。新自由主義の詐欺師たちによって、組織的に破壊されたのだ。かつて私たちを専制政治から守ってくれていた制度や法的保護は、もはや機能していない。開かれた社会を擁護する者は孤児となり、裏切り者として中傷され、「過激左派」として非難される。私は、私たちが失ったものを嘆き悲しむ。そして、これから失うものも嘆き悲しむ。この社会的孤立は、やがて物理的な孤立へと変わるだろう。私たちは犯罪者扱いされるか、国外追放されることになるだろう。
トランプとそのファシスト的な一味、ピーター・ティールやイーロン・マスクといった億万長者たちは、マフィア国家を築き上げようとしている。ギャングとカモの国。彼らだけが略奪と搾取を無制限に許される国。政府が民営化された国。私たちが企業のテクノロジーに奴隷化される国。私たちに居場所のない国。
今年の7月4日には、敵を明確に名指ししなければならない。彼らは権力を掌握したファシストたちだ。そして、新自由主義という欺瞞を私たちに売りつけ、彼らを権力の座に就かせた者たちも彼らなのだ。