(2026年8月23日)

 強権なき国際正義を守れ 

~ICC所長らへの米国制裁を批判する~

 

結論から述べる。トランプ政権が国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長らに科した制裁は、単なる外交上の対抗措置ではない。司法機関の判断を経済力と国家権力によって妨害しようとする、法の支配への攻撃である。

一般的には、ICCの各々の事件への判断は批判されうる。管轄権や証拠、法解釈をめぐる異論も当然ありうる。しかし、それに対しては法廷で争うべきであって、裁判官や検察官個人を制裁し、沈黙させてはならない。

2025年2月、トランプ大統領は、米国やイスラエルなどICC非加盟国の関係者を捜査・訴追する行為を米国の安全保障上の「異常かつ重大な脅威」とみなし、ICC関係者の資産凍結や入国制限を可能にする大統領令に署名した。背景には、ICCがガザでの戦争犯罪および人道に対する罪の容疑で、イスラエルのネタニヤフ首相らに逮捕状を発付したことがある。

制裁はその後、検察官、副検察官、裁判官、人権団体などへ拡大された。そして2026年8月18日、ルビオ国務長官は、ICC所長の赤根智子氏と、セネガル出身の上級法廷弁護士アブドゥライ・セイ氏を新たに制裁対象とした。赤根氏らの米国内資産は凍結され、米国の金融制度から事実上排除される。これにより制裁対象となったICC職員は13人、うち裁判官は9人に達した。

赤根氏は日本人である。1982年に検事となり、法務省、検察庁、国連アジア極東犯罪防止研修所などで長く刑事司法に携わり、2018年にICC裁判官、2024年に所長となった人物である。日本人が国際司法の最前線で国家権力の圧力にさらされている以上、日本社会はこの問題にもっと強い関心を持つべきである。いまのところ、日本政府は今回の米国の措置を批判する国際的な流れに乗らず、今回の制裁を「極めて遺憾」と表明するのみである。米国へのおもねりを捨てなければならない。

だが、赤根氏が日本人だから米国の対応を批判するのではない。もし制裁されたのがセネガル人、ウガンダ人、ペルー人、スロベニア人の裁判官だけであっても、同じように反対すべきである。逆に、日本人裁判官が重大な誤りを犯したなら、国籍にかかわらず批判しなければならない。守るべきものはひとりの日本人裁判官ではなく、国籍や大国の意向に左右されず、裁判官が法に基づいて判断するという原則である。

それぞれの国家は、ホッブズのいう「リバイアサン」、すなわち法を執行する合法的暴力(強制力)を所有しそれを行使する権限を有する。だが、世界には世界政府も、世界警察も存在しない。国連安全保障理事会でさえ、常任理事国の拒否権によってしばしば機能を停止する。大国が力を行使したとき、それを強制的に取り締まる、より上位の権力はない。

この無政府的な国際社会において、ICCは「強力なき正義」を体現する制度である。ICCは軍隊も警察も持たず、容疑者の逮捕を締約国の協力に頼っている。しかも国内の司法制度が真摯に犯罪を捜査・訴追している場合には、原則としてその国に介入しない。それでもICCが必要なのは、国家自身が犯罪に関与し、国内司法が動かないとき、被害者が訴える最後の場所となるからである。

ICC非加盟国である米国とイスラエルは、同意していない裁判所に自国民を裁く権利はないと主張する。しかしICCは、非加盟国一般に無制限の管轄権を主張しているのではない。ローマ規程締約国であるパレスチナの領域、すなわちガザ、ヨルダン川西岸、東エルサレムで行われたとされる犯罪を対象としている。プーチン氏への逮捕状発行の理由もウクライナ国内でなされたのも①占領地からの住民の不法な追放、②占領地からの住民の不要な移送、のふたつである。この法的判断に異論があるなら、証拠と法理によって争うべきだ。経済制裁で裁判官を脅すことは、法的反論ではなく力による威圧である。

しかも、トランプ政権の姿勢を「米国民の意思」と同一視することはできない。2026年7月のエコノミスト/YouGov調査では、ネタニヤフ首相が米国を訪れた場合、ICCの逮捕状に基づいて逮捕すべきだと答えた米国人は49%で、反対の27%を大きく上回った。また47%が同首相を戦争犯罪について有罪だと考えている。

米国内にも、権力者を法の外に置くべきではないという強い世論が存在する。人権団体や法律家は制裁を違憲として提訴し、国連、オランダ、ドイツをはじめ各国もICCへの支持を表明している。その中で、日本の対米忖度姿勢を問題とすべきだ。

ICCは完全な制度ではない。捜査の地域的偏り、政治的選択、逮捕能力の弱さなど、改善すべき問題を抱えている。しかし不完全な司法を改善することと、司法そのものを威圧して破壊することは正反対である。大国に不都合な事件を扱った瞬間に裁判官が罰せられるなら、国際法は弱小国だけを裁く道具に転落する。

世界の歴史を振り返れば、奴隷制の廃止も、植民地支配からの独立も、アパルトヘイトの克服も、初めは軍事力や富を持たない理念から始まった。理念はそれだけでは勝利しない。しかし、苦難を受けた人びとの声、司法官の勇気、市民の連帯が積み重なるとき、権力を規制する現実の力となる。

世界にリバイアサンがいないからこそ、われわれはICCという「強権なき国際正義」を守らなければならない。最後に歴史を動かすのは、制裁する者の強大さではなく、誰も法の上に立たせないという理念への、人類の粘り強い信頼なのである。

野口壽一