凧のごと黒き糸をば背につけて友かなしくも巷さすらふ

100年前の夏に監獄で死んだ金子文子が残した短歌である。人が凧になって空に舞う・・・と考えるとどこか爽快で滑稽だ。ふと、石田徹也の「ビアガーデン発」という宣伝画を思い出した。もっとも石田の飛行士はやがて飛べなくなって憐れを誘うのだが。

 

飛べなくなった人(石田徹也/静岡県立美術館蔵)

同じ画家の作品に「社長の傘の下」という風刺画がある。社員たちは率先して又はあきらめて、吊り輪を両手でつかみクルクルと宙を舞う。一方、金子の凧は「黒き糸をば背につけて」とあるから、黒幕に踊らされていることに気づいていないようだ。

 

そんな同志が面会にでも来たのか。面会者が同志の近況を伝えたのか。不敬罪で死刑を宣告された作者は、その過酷な環境にもかかわらず、妙な余裕と慈悲をもって、友人のシャバでの苦労に思いを寄せる。

 

テロ/啓蒙/地下活動。いずれにせよ、彼(ら)のスッタモンダは報われるのか。当時、無政府主義者として断罪された金子たち一派が企んだのは、差別と不幸の根源たる帝国支配を打ち倒すことだった。ならば背後から凧の糸を引く黒幕は民衆なのか。そうであれば物騒極まりない。そんな危険分子を当局が見逃すわけはない。こうして金子の「かなし」さは募った。

 

以来100年。当時20代前半だった作者の同時代人は、そのすべてがこの世を去った。彼女が残したこの歌は今もなお「巷さすらふ」同志を求めているのか。それとも、上記の帝国が敵国の手によって滅び、ぱっとみ平和な今時、死刑囚の秀歌を愛でて、「あ〜よかった」と思う具材に成り下がったのか。

 

にしても「凧の糸を引いているのは誰かしら」と思いながら通勤電車に乗っていたら、こんな広告に出くわした。いらんことは考えず、しっかり治療さえすれば、みんな大空を飛べるらしい。

 

自信喪失に効果?

 

(金子文子が残した短歌から個人的に好きな5本を選び、無手勝流のエッセイのネタとします。これはその1本目。思いは、歌を歌として味わい、今の時代に何を受け継ぐかを考えたい。短歌の表記は以前書評した大田美和著「金子文子 獄中のうた」に準拠しました。金子明)

 

金子 明