2026年10月4日
野口壽一
英語の文章やインタビューを翻訳していて、ときどき手が止まる。「われわれ」、すなわち We の使われ方に出会ったときである。
本サイトでも紹介しているアメリカの論者、クリス・ヘッジズ氏は、ガザを論じたエッセーでこう書いている。
“Israel’s barbarity is our own.”
「イスラエルの蛮行は、われわれ自身の蛮行である」
(2025年3月22日「The Last Chapter of the Genocide」)
国際政治学者ジョン・ミアシャイマー氏も、欧米のウクライナ政策を批判するインタビューで、こう述べている。
“We have led them down the primrose path”
「われわれは彼らを、甘い期待で破滅へと向かう道に導いてしまった」
(2023年7月30日公開、アーロン・マテ氏との対談。「彼ら」はウクライナ人を指す)
2人とも、自国政府の政策を厳しく批判している。それなのに、政策を進める側を「彼ら」と呼んで切り離すのではなく、自分を含む「われわれ」として語るのである。
ただし、2人の We は同じではない。ミアシャイマー氏は、自国や西側陣営の政策を内側から批判している。ヘッジズ氏は、武器や資金を供給し、あるいはそれを黙認する社会の責任を、自分と読者にも問いかけている。どちらも、政府と同じ意見を持ち、同じ行為をしたと告白しているわけではない。
そこに私が読み取るのは、政策への反対と、その政策を生み出す国の一員であることを、同時に引き受ける姿勢である。「私は反対した」というだけで、国の行為と自分との関係を断ち切ることはできるのか。短い We が、その問いを突きつけてくる。
慰霊碑の前に立つ「われわれ」
これは英語と日本語の違いなのだろうか。
英語では通常、主語を明示する。日本語では省略できる。しかし、英語の筆者は「米国政府は」と書いて責任からのがれられるところを「われわれは」と書くケースをよく見かける。文法だけでは説明できない。
この問題を考えるとき、広島の原爆死没者慰霊碑の碑文が思い浮かぶ。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
誰が、どの過ちを繰り返さないと誓っているのか。原爆を投下したアメリカか、戦争を続けた日本の指導者か、それとも戦争を止められなかった人々か。主語が書かれていないため、読み手は問い返したくなる。
広島市は、この碑文を、すべての人びとが犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを繰り返さないと誓う言葉だと説明している。そこにあるのは、国境を越えた「われわれ」なのである。
人類全体の誓いによって、原爆投下の決定と実行、日本の侵略や戦争遂行など、それぞれの行為の責任が曖昧になってはならない。具体的な責任を明らかにすることと、再発を防ぐ責任を広く共有することは、両立する。責任を引き受ける We には、この区別が欠かせない。
「当事者ではない」という線引き
そのことを考えるうえで、忘れがたい発言がある。1995年3月16日、衆議院外務委員会で、高市早苗氏はこう述べた。
「少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております。」
当時、高市氏は野党・新進党の議員だった。質問の相手は、村山富市内閣で外相を務める自民党総裁・河野洋平氏である。戦後50年の国会決議をめぐり、高市氏は、栗山尚一・駐米大使が日本国民全体の反省を語ったことに異議を唱えていた。河野外相は、その見解に同意しないと答えた。kokkai.ndl.go.jp
この発言について、現在まで高市氏の明示的な撤回は確認できていない。
高市氏の言葉を、「あらゆる責任を否定した」とまで読み替えるのは慎むかもしれない。しかし、戦争の当事者ではなかったことを、反省しない理由にしたことは明確である。
もちろん、戦後に生まれた人が、自分の生まれる前の行為について、実行者と同じ罪を問われるわけではない。だが、それで問題は終わるのか。
過去の行為をした責任と、その行為が残した傷に向き合う責任は違う。歴史を学び、被害を受けた人々の記憶に耳を傾け、同じ過ちを繰り返さない条件をつくることは、後の世代にもできるし、その責任はある。そして、国の政治を担う者には、そのために果たすべき仕事がある。
ここで問いたいのは、「私がしたのではない」という事実の、その先である。
国を担う者の言葉
首相は、支持者だけの代表ではない。自らの政策に反対する人々を含む社会を統治し、国外に対しては日本政府を代表する。
政権が交代しても、国の歴史が白紙になるわけではない。過去の指導者と同じ考えを持たなくても、その国の名で行われたことが、他国の人々の暮らしや記憶に残っているという現実には向き合わなければならない。
憲法改正(修正)や防衛政策について意見が分かれるのは当然である。だが、選挙で多数を得ることは、反対する人々の懸念を無視してよい理由にはならない。なお、憲法改正の発議には、衆参両院それぞれの総議員の3分の2以上の賛成が必要であり、さらに国民投票による承認を要する。通常の多数決より重い手続が設けられていることにも意味がある。
国を担う者の「われわれ」は、賛同者だけを囲い込む言葉であってはならない。異なる意見を持つ人々と、過去から続く国の歩みをも視野に入れる言葉でなければならない。
歴史とのつながりを断たない
政治的責任とは別の次元で、歴史とのつながりを考えさせるのが、皇室の慰霊と和解への歩みである。
昭和天皇は1975年を最後に靖国神社を参拝せず、1978年のA級戦犯合祀後も参拝を再開しなかった。富田朝彦・宮内庁長官のメモには、合祀への不快感と、参拝しない理由を結びつけた発言が残されている。ただし、この一事で、昭和天皇自身の戦争責任という別の問題に答えが出るわけではない。
上皇・上皇后夫妻は、皇太子時代のフィリピン訪問から、在位中のサイパン、パラオ、フィリピンなどへの慰霊の旅まで、戦争が残した傷に向き合ってきた。本サイトでも、その歩みを取り上げている.
現在の天皇も、2024年6月25日、英国での晩餐会で、日英の友好が損なわれた時期に触れ、祖父と父の訪英、そして和解のために尽力した人々を振り返った。祖父が願った心を開く交流と、父が願った相互理解と平和への協力を、自らの言葉で受け継いだのである。
戦後生まれの天皇は、戦争を決定した当事者ではない。それでも、過去を自分とは無関係な出来事として遠ざけてはいない。私はそこに、歴史を受け継ぐ「われわれ」の姿勢を見る。
むろん、天皇は憲法上、日本国と日本国民統合の象徴であり、国政に関する権能を持たない。皇室の行動を特定の政権への批判と決めつけるべきでも、政治家が負う責任を皇室に肩代わりさせるべきでもない。慰霊や和解に込められた姿勢を、政治を担う側がどう受け止めるかが問われている。
高市氏は、一個人、一議員ではなく、首相という国を代表する立場であるならば「当事者ではない」という線引きは許されない。自分が行っていない過去の行為について、個人として罪を告白せよといわれているのではない。日本政府を代表する者として、その歴史が現在に残した問題を受け止め、和解と平和のために何をするのかを示すべきなのである。それが職務である。
そして、この問いは首相だけに向けられるものではない。政府を批判する私自身も「We」の一員として、その政府を生み出す社会の外に立っていられるのではない。
翻訳の途中で私の手を止めた We は、結局、批判する側の足元にも返ってくる。「私はしていない」の言辞に代えて、われわれは何を引き受け、何を変えていくのかを自問しなければならない。
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