Fear of Captivity and Torture: The Plight of Afghan Women’s Rights Activists in Pakistan

 

(WAJ: 本サイトのトピックス欄(https://webafghan.jp/topics/)でお伝えしているように、アフガニスタン本国での女性の活動に対する弾圧とパキスタンからの難民強制送還の動きは一般の国民だけでなく、特にアフガニスタンの女性や女性活動家には二重三重の困難を引き起こしています。下記のレポートはその一端を示しています。)

By: Frough
Hasht-E Subh Hasht-E Subh 29 January 2024

フロウグ
ハシュテ・スブ 2024年1月29日

ターリバーンが政権を握って以来、ラヒラ・ハッサン(Rahila Hassan)の人生は天地がひっくり返った。ターリバーンとパキスタン兵士が毎晩彼女につきまとう妖怪となった。彼女は、この妖怪たちのもたらす恐怖、つまりパキスタン兵士に拘束されターリバーンに引き渡されるかもしれないという恐怖にさいなまれている。ターリバーンは2年以上にわたってアフガニスタンの女性の生活に影を落とし、女性を奴隷化するための努力を惜しまなかった。この間、彼女は単なる恐怖以上のものに耐えてきた。ストレスと苦しみが彼女の絶え間ない伴侶になった。それは数カ月の投獄を経て他国に逃れ難民となった数十人の女性権利活動家たちと同じだ。亡命先でも平穏が奪われ、骨も凍るような悪夢が彼女を眠れなくさせた。彼女は命からがらアフガニスタンからパキスタンへ逃れ、数え切れないほどの苦難に耐えた。生存と死の恐怖にさらされながら国境を越えたとき、彼女は苦い記憶を心に刻んだ。彼女はターリバーンの顔を見て、彼らの抑圧の闇を骨の奥深くに感じた。あの日の無力感がもたらす苦しみはまだ咀嚼されてはいないが、彼女は恐怖とストレスの表情を見せながらその恐ろしい瞬間を語った。か細い糸でかろうじて女性たちの命が安全へと結びつけられている場所で、いま彼女は安らぎを求めている。

ラヒラ・ハッサンは、長年にわたって女性の権利のために闘い、女性と子どもの意識を高め、才能を育むために活動してきた女性権利活動家の一人だ。ターリバーン支配以前は女性の地位向上に向けてさまざまな団体で活動し、『Girls UP』という団体を立ち上げた。 『Girls UP』では、教育費を払えない女子生徒に語学の授業、裁縫や刺繍などの技術指導、経済的援助を提供し、彼女たちが学校を中退しないように配慮した。彼女は自分の仕事を拡大するために、いくつかの私立大学およびカーブル大学と協定を結ぶことになっていた。それは、多数の女子学生が通常の学業と並行してさまざまなスキルを身につけることを可能にする協定であった。しかし、ターリバーンが政権を握った後、彼女はこれらの契約を失うだけでなく、すべての活動を停止することを余儀なくされた。ターリバーンは彼女を特定するや、さまざまな場所での活動の継続を支援するという口実で彼女を呼び出したが、狙いは彼女を拘束することだった。

彼女の弁によれば、「ターリバーンが権力を掌握する前、私の電話番号とメールアドレスはさまざまな組織に登録されていました。不審な電話やメッセージがきたことがありました。ある日、世界銀行に勤めると名乗った女性から電話があり、私の取引に予算を与えたいとのことでした。ザドランという名前のマーケットの7階に来るように言われましたが、そこには事務所がありませんでした。別の信頼できる組織も接触してきました。カーブル郊外のある場所に来いと言われました。そこでは、何らかの援助が私を待っていると断言しました。行けば私のものになると言うのです。何十件もこの種のメッセージや電話を受け取りました。彼らは何度かカーブル大学を騙って私を誘い出そうとさえしましたが、幸いなことにそこの教授の一人の助けで私は気づき、行きませんでした。誰もがいろんな口実で私をターリバーンに引き渡そうとしていました。」

ラヒラは、危険にさらされている他の何十人もの女性や個人と同様に、逃亡の苦く悲しい物語を語る。逃亡生活では、家、生計、そして長年つみかさねた業績を失い、何度も死の瀬戸際に追い込まれた。彼女は自分の逃亡について次のように語る。「アフガニスタンから逃げるために、私は父親を説得し同行してもらいました。ターリバーンに見つからぬよう、服は全身真っ黒。自分の手がどこにあるのかもわからぬくらいです。私たちはターリバーンの検問所を何十も越えて国境に到着しましたが、越える度に何度も命の危険を感じました。」

黒ずくめの衣装の下に、希望と夢を抱えて、自分の体を安全な場所に移そうとする少女が隠れていた。ベールの下で息をひそめ身を守ろうと奮闘する少女。彼女は全てのしがらみを残して別の世界に行きたくなかったが、ターリバーンによる家族への辱めと拷問を恐れ、逃亡を余儀なくされた。涙に満ちた目と刻一刻と肉体を蝕む恐怖を抱えながら、彼女は国境に到着する。ターリバーンは国境で彼女と父親を引き離し、それぞれを尋問する。何度も質問した後、彼らは父親の通行は許可したが、彼女を拘束し、1時間そこに留めておいた。

あの日のことを忘れていない彼女は、震える声でこう訴える。「彼らは私を1時間以上そこに留めて、質問攻めにしました。彼らは私が誰なのか、どこへ行くのか尋ねました。なんとか私の顔を見ようとしましたが、全身真っ黒で手も見えません。気味悪い意地悪な笑い声で彼らはいいました、どこへも行かせない、追い返す、と。手も足も震え、身元が特定されるのではとすごく怖くて、この国境が私が息をする最後の場所になるのではないかと心配しました。私は恐怖で身動きがとれませんでした。そこへ見知らぬ10歳くらいの少年が来て、このままでは私が通過できないとなぜか分かったようでした。そしてこう言うのです、『自分を救いたければターリバーンの注意をそらして逃げなさい』と。とても難しい提案でしたが、ほかの選択肢はありませんでした。

ターリバーンが別のことで討論し始めた隙に、私は振り返りもせず走って逃げました。一足走るごとに銃で撃たれるような気がしました。すると、悲鳴が聞こえました。走りながら振り返ってみると、一人のターリバーンが私に助言した少年をつかまえていました。激しく殴打される少年は大声で叫び、それがあたりに響いたのです。彼らは、その少年のせいで私が逃げ出したと思ったのです。私はとても怖くなりました。もしこの野蛮人たちが少年の命を奪うのであれば、私にも何をするか分からない。もし私がこの集団の手に落ちたら、彼らは私を引き裂いてしまうことでしょう。だから止まるなと自分に言い聞かせました。でも私の心は未だにあの国境に張り付いて落ち着くことがありません。あの哀れな少年に何が起こったのか分かりません。」

ラヒラは、ターリバーンの手から逃げれば安息の地に辿り着き、もう何も恐れたり心配したりする必要がなくなると考えた。しかし、彼女は気づかぬうちに、落とし穴から次の落とし穴に落ちただけだった。その上、国境での出来事は彼女から心の平穏さえも奪い去った。彼女のビザの有効期限は切れ、更新もされなかった。パキスタン警察が彼女をアフガニスタンに送還する可能性は常にある。最近では、強制送還されてターリバーンの手に落ちるのではないかという恐怖で彼女は飛び立てない。強いストレスと精神的プレッシャーで体調も崩した。恐怖と絶望の渦に巻き込まれた多くの女性や少女たちと同じように、彼女には出口が見えない。

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