Khatam al-Nabieen: When “Islamization” Leads to the Elimination of an “Islamic University”

(WAJ: ターリバーンは女子教育に独自の見解を押し付けているだけでなく、今度は大学教育そのものへの介入をを始めた。ここでは公然と宗教的理由をかかげるのでなく、大学施設の土地所有問題を口実にしているが、対象の大学がシーア派であり民族的コミュニティになっていることが真の原因であろうと推察される。また同時に、9月20日づけのトピックス「ダワット大学の創設者らは、ターリバーンが任命した指導部を拒否」で明らかになった対象の大学は同じパシュトゥーン人だがターリバーンとは敵対関係にあったムジャヒディーン指導者が創立した大学である。ターリバーンの矛先は、自らの宗派と異なる教育機関へも向けられ始めた。果たしてそのような政策は永続しうるのか、注目すべき事態である。)

 

モハメド・ファルハド(ハシュテ・スブ:アフガニスタンの独立系メディア)
2026年9月17日

A university official is seen alongside a senior Taliban figure against the backdrop of the Khatam al-Nabieen University building, following the closure of the university. (Photo credit: Social Media)
カーブルとガズニーにあるハタム・アル・ナビーン大学の閉鎖は、単なる行政上の決定、運営許可の取り消し、あるいはターリバーン高等教育省の規則遵守をめぐる紛争と見なすことはできない。同省の報道官は、大学の許可取り消しの理由を「イスラム的価値観」の不遵守、省の方針違反、そして大学の地位と評判の悪用だとしているが、より広い視点で見ると、ハタム・アル・ナビーン大学は実際には2つのプロセスの交差点に位置している。ひとつは、ターリバーン支配下のアフガニスタンにおける大学と高等教育全般の衰退であり、もうひとつは、宗教的、知的、組織的な観点からターリバーンの公式かつ排他的な解釈に合致しない機関を脅迫し、制限し、排除するプロセスである。

第1の問題点は、ターリバーンが単に女子の大学入学を阻んだだけでなく、一連のイデオロギー政策を通じて大学環境を変容させ、知識の生産、批判的思考の育成、熟練した専門家の養成を行う独立した機関としての大学の概念を徐々に蝕んできたという事実にある。女性と女子を高等教育から排除することは、それ自体が大学にとって構造的な打撃となる。なぜなら、社会の半分を高等教育の過程から排除することは、国の人的、科学的、専門的な能力を相応に低下させるからである。

しかし、話はそこで終わらない。男子学生もまた、ターリバーン式のカリキュラム、大学環境における制約の増大、そして生活様式や外見への干渉の増加に直面し、以前と同じような大学との関係を維持できなくなっている。教授陣もまた、このような環境に幻滅を感じている。その結果、数百人の大学教授が国外に逃亡し、残った教授陣も辞職寸前の状態にある。この観点からすると、大学の門が開かれているからといって、必ずしも大学が真に活気に満ちているとは限らない。大学には建物、教室、学生、教授がいても、学術的な質と開放的で自由な環境が欠けていれば、真の問題を解決することはできないだろう。

一方、私立大学はより複雑な状況に直面している。ターリバーンの政策や規制による圧力にさらされる一方で、アフガニスタン全土の家庭を苦しめる経済危機にも直面しているのだ。家庭が大学の授業料を支払う能力を失うと、特に卒業生の就職の見通しが暗い場合、私立高等教育は家計から真っ先に削減される項目となることが多い。このように、私立大学はターリバーンの圧力という上からの圧力と、社会の経済力低下という下からの圧力という、両方の側面から圧迫されているのである。

しかし、ハタム・アル=ナビーン大学は、この構図に新たな側面を加える。ターリバーンが大学を自分たちの特定の価値観やイスラム教の解釈に合致させようとしているのだとすれば、ハタム・アル=ナビーン大学はまさにその好例と言えるだろう。なぜなら、同大学は宗教から距離を置いているために標的になり得る世俗的な機関でもなく、宗教的アイデンティティを隠している機関でもないからだ。その名称は公然とイスラム的であり、その歴史は宗教教育や宗教活動と深く結びついており、学術的・行政的な構造もシーア派のアイデンティティが際立つ環境の中で形成されてきたのである。

ここに明らかな矛盾がある。もし問題が大学のイスラム的性格にあるのなら、ハタム・アル=ナビーン大学には一体何が欠けているのだろうか?問題は、大学が「イスラム的」か「非イスラム的」かという単純なことではなく、むしろ、どのイスラム解釈が大学を定義し、その活動範囲を定める権利を持つのかという点にあるようだ。もしイスラム大学が必然的にターリバーンの特定のイスラム解釈に従って組織されなければならないとしたら、大学のイスラム化は文化的・教育的プロジェクトから「認識論的均質化」プロジェクトへと変質する可能性がある。つまり、大学はもはや様々なイスラム解釈間の出会いと対話の場ではなく、単一の公式かつ支配的な宗教解釈を反映する場になってしまうということだ。

まさにこの点で、シーア派の問題が重要になってくる。ハタム・アル=ナビーン大学は主にシーア派の教育機関であり、この事実が別の疑問を提起する。ターリバーン支配下のアフガニスタンにおいて、大学がイスラム的であると同時にシーア派的であり得るのだろうか? もし答えがノーならば、大学の「イスラム化」という主張は一体どのような意味を持つのだろうか? ターリバーンは一方では教育制度のイスラム的性格を強調しながら、他方では公然とイスラム的、特にシーア派的なアイデンティティを持つ学術機関の活動継続を妨害している。したがって、大学の「イスラム化」と「ターリバーン化」を区別する方がより正確だろう。前者は教育の中に宗教的価値観が存在することを意味する一方、後者は特定の宗教解釈が国の教育、認識論、文化構造全体を支配下に置こうとすることを意味する。

この問題は、民族的、宗教的、言語的に多様なアフガニスタンにおいて特にデリケートな問題である。このような国の教育構造が宗教的・知的均質化へと向かうならば、その結果は単なるカリキュラムの変更にとどまらず、「社会的多様性」を国家および宗教的アイデンティティに関する単一の「公式の物語」へと溶解させてしまう可能性がある。

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