(2023年12月5日)
ソマイア・ラミシュさん来日に寄せて
~動けばつながる不思議な”えにし”~
『ウエッブ・アフガン』の今年の最大貢献はふたつ
(1)『詩の檻はない』の日本語版発刊と詩人によるアフガニスタン連帯活動への貢献
(2)アフガン女性のための日本語学校=イーグル・アフガン明徳カレッジ開校への貢献
ひとつだけでも十分なのに、ふたつのプロジェクトのきっかけをつくり、引き続く活動にまでかかわることになった。学校の方は母親に同行してくる子供たちの子守りが、意外や意外、保育や幼児教育、小中学生の学業相談まで持ちかけられることになった。語学教育だけでなく生活全般の支援にまで範囲がひろがった。
前者の詩による活動の方は、8月15日の『詩の檻はない』の日本語版発刊とそれにつづく8月24日の発刊記念旭川イベントを皮切りに日本全国で新聞や雑誌での報道がつづき、各地で詩人たちの朗読会が開かれた。そのような動きに日本ペンクラブも異例の、特定の出版物に対する特別推薦をおこない、アフガニスタンにおける芸術弾圧に抗議する姿勢を表明するまでになった。(<世界の声>『詩の檻はない』発刊後の波紋、参照)
さらにKOTOBA SLAM JAPANは12月16日の全国大会に、この運動の呼びかけ人であるソマイア・ラミシュ氏を招待することを決めた。すでに来日のすべての手続きは完了。東京と松戸と横浜でのイベントの企画も発表された。(ここを参照)
個人的な感慨
『ウエッブ・アフガン』を始めてからの、2年半の実践でえた驚きは、時間と空間のつながりが個人と個々人との関係において重層的に、さらにいえば経糸と横糸が絡み合って重厚な絵柄を、例えば複雑で精密な一枚のアフガニスタン手織り絨毯が織りあげられて眼前に現れてくるような不思議な体験だった。
今号でも「読者の声」に一例をいただいた。それは、私が鹿児島から19歳で初めて親元を離れて上京し生活した、東工大の学生寮の話だった。それまで未知の方からのメールで、『詩の檻はない』のつながりだった。現在のロッテルダムやアフガニスタンの話のなかに、学生時代に野口がその先頭の一員としてかかわった東工大闘争の牙城だった寮の話が出てきたのだ。
文学の原点は作家の「個」にあり、それが集合して運動になる。詩人とつきあえば「個」の思想と歴史が交錯することになる。今年はそのような不思議な体験の連続だった。
旭川の「まちなかぶんか小屋」で開かれた『詩の檻はない』の発刊記念イベントで、主宰者の柴田望さんと初めて会った。2月17日に野口が発信したメールが柴田さんに届き、柴田さんがそれに応えて詩人たちに呼びかけ、8月の発刊の仕事をし終え旭川に行くまで、柴田さんに会ったことはなかった。ロッテルダムのソマイアさんも含め、すべてネットを通しての半年間のやり取りでネット上で完結し、その成果がリアルの場に姿を現した。
旭川現地に足を運び、おおくの若い詩人やクリエイターの方々と会って、自分が半分諦めて遠ざかっていた「芸術運動」の生き生きとした実践がそこにあるのを発見した。そのよろこびを<視点:074>に書き、共感した岡和田さんとのインタビューが<視点:077>に結実した。ソマイアさんの呼びかけに真っ先に応えてくれて『ウエッブ・アフガン』に作品を寄せてくれた佐川亜紀さんが24回目の小熊秀雄賞受賞者であることを知ったのも、翌日、小熊秀雄の出身地である旭川文学資料館を訪れ歴代受賞者・受賞作品展をみてであった。
才能あふれるたくさんの人びとと知り合った。
すべてを列挙することはとてもできないが、ソマイア・ラミシュさん(この人との出会いも『ウエッブ・アフガン』を通してであった)の来日を準備する過程で一緒に作業してきた高細玄一さんとも『詩の檻はない』がきっかけだった。彼もソマイアさんの呼びかけに真っ先に呼応してダイレクトに彼女に自身の詩を送ったひとりだった。
高細さんは、詩集「もぎ取られた言葉」を先月上梓した。早速それを手に取ると、社会のひずみをまともに受ける仲間たちに同伴するひとりの運動者として愛と憤りを素直に表現した力づよい叙事詩が収録されていた。KOTOBA Slam Japanの運動を知ったのも『詩の檻はない』をつくったからだった。ラップでターリバーンの時代錯誤をやっつける痛快で力強いパフォーマンスを観られたのもKOTOBA Slam Japanのメンバーと同席できたからだった。こんなパフォーマンスを、スマホで世界とつながっているターリバーンの若者たちにも見せたいと思った。
ソマイアさんを日本に呼ぶ
情報収集をはじめ海外のアフガン人との交流やほとんどの活動をネット上でやれるようになっていた。そこにKOTOBA Slam Japan(KSJ)がソマイアさんを日本に呼ぶ、と決めた。彼女に問い合わせると喜んで、との返事。難民・亡命者にとって国境を越える旅行は困難だ。とくに外国のどの国からも承認されていないターリバーンが支配するアフガニスタンのような国の国民はなおさらだ。有効なパスポートなどない。オランダからの出国・再入国、日本への入国ビザ、結構面倒だ。むかしフィリピンから活動家を呼んだことがあった。そのときはビザを取るのに国会議員を使って大使館に圧力をかけた。
ビザは間違いなく取れる確信はあったが、実際にとれるまではソマイアさんと打ち合わせしながらの申請書類の作成、在オランダ日本大使館との交渉など、やきもきのし通しだった。そんなとき、『詩の檻はない』に「アフガニスタンの詩人たちとの連帯のための”ポエマー”宣言」を寄せてくれた大田美和さんが新作詩集「とどまれ」を送ってくださった。なんとそれは歌集、口語短歌の作品集だった。大田さんとは、9月29日に開かれた「『詩の檻はない』朗読会 〜横浜・寿からアフガニスタンへ、世界へ〜」でお会いしていた。しかし詩だけでなく歌集を何冊も出されているのはこのときはじめて知った。
大田さんの歌集にまつわる奇縁はいくつかあったが、その中の最大の「偶然」は、その歌集に「ユン・ドンジュ」を歌った作品が掲載されていたことだった。実はその詩を発見する前々日、千葉で開校したアフガン女性のための学校を見学に来たイーグル・アフガンの支持者の方と見学のあとに食事をしながら語り合う機会があり、そのとき、「ユン・ドンジュ=尹東柱」の生涯を描いた映画のことを話し、いまでは韓国人の誰もがしる有名な詩人になっている、と紹介したばかりだった。
その映画「空と風と星の詩人 尹東柱(ユン・ドンジュ)の生涯」は、7月25日に青丘学院つくば中学校・高等学校で開かれた光復節のイベントに招かれて観た。それまで名前しか知らなかった尹東柱の作品と生き方に感動して詩集を買い求めて読んだばかりだった。韓国に関しては70年代の朝鮮半島の統一と民主化を求める闘争、金大中事件の真相解明を求める闘いの過程で、金芝河の作品と闘いについて論文を書いたことがあった。また、大学に入る前は短歌をつくって地元南日本新聞の短歌欄に投稿し、少しは注目される存在になっていた。学生運動と国際連帯活動に忙しくなり、文学活動からは遠ざかっていたのだが、『詩の檻はない』の活動で、昔の虫がむずむずしてきた。
詩による国際連帯にかかわって
話が横道にそれた。もとに戻そう。
ソマイアさんをゲスト登壇者として招待するKOTOBA Slam Japanは、ポエトリースラムジャパンに淵源をもつ、ポエトリーリーディング/スポークンワードの競技会。ことしの大会での優勝者は日本代表となりフランス・パリ開催予定の「ポエトリースラムW杯」そして約40カ国参加の史上最大の世界大会「World Poetry Slam Championship」へ出場する。2024年のその大会はトーゴ共和国で開催される予定。
KOTOBA Slam JAPAN発足の経緯は、そのホームページに詳しく記されている。日本と世界をつなぐ、若い詩人たちによる新しい詩の運動だ。
ソマイアさんは12月19日には横浜市ことぶき協働スペースで「ソマイアさんと徹底的に語り合う座談会」に出席する。このパネルディスカッションの参加者はすでに紹介した岡和田晃さん、佐川亜紀さん、大田美和さんの錚々たるメンバーだ。ターリバーンの、詩作を禁止するという姑息な検閲弾圧がいかに時代遅れで、失敗せざるを得ない愚劣な政策であるかが徹底的に暴かれるはずだ。
ソマイアさんは短い来日期間中に日本を背負う詩人たちと交流し、詩、言葉、芸術により世界からターリバーンを追い詰めていく闘いの先頭に立ってくれるはず。皆さんの注目と支援をお願いする。
その活動予定は「ソマイア・ラミシュさん来日。イベントにご参加を!」に掲載してある。ぜひご覧いただき参加していただきたい。
【野口壽一】