(2024年4月15日)

 戦争は国家犯罪 

~ウクライナ戦争、遺体収容ルポを読んで~

 

 

戦争とは何か

戦争とはつまるところ人が人を大量に殺しあう大量殺人事件に他ならない。
人間は、人が人を殺すのは罪であるとする自然法という言葉をあみだした。

それに対して、戦争による殺人を罪に問わない人定法という言葉も編み出した。

戦場で殺された兵士のひとりひとりには無事を願い帰りを待つ家族がいる。
自然法の対象だろうが人定法の対象だろうが、死んだ遺体は一人では帰れない。
誰かが連れ帰るか処理しなければならない。

今号の「世界の声」ではAP通信が先週報じた「遺体―ウクライナ戦争の本当のコスト-遺体を家に連れ戻す男の物語」を翻訳紹介した。
読み進むにつれ、胸が詰まり涙を誘うストーリーだった。同じような報道が一昨日、NHKでもなされた。NHKだけでなく1年半前にはBBCもニュースで取り上げていた。それが下記。

 

「死者を連れ戻す」 ウクライナで遺体を回収し続ける若者たち

2022年12月2日
ジョナサン・ビール:BBCニュース(ウクライナ東部)
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-63817677

以下、日本語版BBCサイトから抜粋引用する。この記事の冒頭には「この記事には、つらく感じるかもしれない描写が含まれます」との注意書きがなされている。

ウクライナ人の若者アルトゥルさんとデニスさんは、この残虐な戦争で亡くなった民間人や兵士の遺体を回収する、厳しい仕事に就いている。対象者にはウクライナ人だけでなく、ロシア人も含まれる。

アルトゥルさんとデニスさんは、赤十字と、戦没者を運んでいることを示す「200」が描かれた白いバンのドアを開けた。そのとたん、むせるような死臭がした。バンの床には、先に回収した遺体に着いていたウジが転がっていた。

今では、遺体や遺物に近づく前に、フックを投げて遺体をひっくり返すようにしている。ロシア軍は撤退前に、建物はもちろん、遺体にさえ爆発物を仕掛けていくことで知られている。

最近ロシア軍から解放された東部には約10万個の地雷が設置してあると思うと話していた。撤去には長い年月がかかる。このエンジニアは概算として、1年の戦闘で仕掛けられた地雷の撤去には5年かかるという。

破壊された建物の中で2人は焼け焦げた3人の遺体の一部を発見した。当初は、燃え尽きた木材と見分けがつかなった。アルトゥルさんとデニスさんはゆっくりと骨を見つけていった。残骸を慎重にかきわけ、身元が分かるものがないか探した。

かつては人間だったものを一つ残らずかき集めるこの繊細な作業は、数時間かかった。

アルトゥルさんは、その遺体が誰であれ、回収できた時には霊的な安心すら感じると話した。

ロシア人の遺体を見つけた時には、「ウクライナ人の遺体がその遺体と交換され、ウクライナで尊厳をもって埋葬されるのだと、はっきりと理解する」のだという。両国間のこうした交換手続きは、赤十字が仲介している。

2人の仕事は、この戦争が単なる物理的な戦闘だけではないことを物語っている。そこには道徳的な要素がかかわり、双方の軍による生者と死者の扱い方に反映されている。

 

今も続く国家やボランティアによる遺体(遺骨)収集

先に紹介した「遺体―ウクライナ戦争の本当のコスト-遺体を家に連れ戻す男の物語」はウクライナ戦線で、遺体収集中にみずからが傷つき、同僚も命を失う事態の中で一人の青年兵士の遺体を収容し母親のもとに連れ戻す物語である。

戦争の死者は何千、何万、何百万、何千万いたとしても、その一人ひとりに個別の物語があり、十把一絡げにはできない。とくに戦争に駆り出された兵士の場合、駆り出した国家に責任があるから、遺体を連れ帰るのは「国家の責務」と普通の国家なら考える。しかし戦闘が激しかったり、死者が短期間に多数発生したりすると、遺体収集もままならない。そこで、倫理観や責任感をもつ国民のなかから究極のボランティアが登場する。国家責任であるはずの戦死者の遺体収容にボランティアまでが参加するのは、それがひとに自然に備わる性質だからではないのだろうか。

★日本の遺体収集にまつわる話として、戦死者の遺体を収容せず(できず)政府が戦死公報とともに納骨箱に小石をつめて持ってきたという有名な話がある。しかし、戦後復興の過程で、「戦争責任」遂行の一環として遺骨取集事業を歴代日本政府はやってきた。戦死者数(日本政府発表で軍人軍属の戦死者数230万人)があまりにも膨大だとしても、国家は、すべての遺体(遺骨)の収集を止めるわけにはいかない。政府としては厚生労働省にそのための部署があり、民間でもさまざまな団体がいまも取り組んでいる。南日本新聞が伝える激戦地硫黄島の現状(2023年)はその一例だ。硫黄島で死亡した日本人将兵は約2万2000人。いまも1万人以上の遺骨を収集できていないという。一方アメリカは硫黄島で戦死した約7000人のうちいまだに収容できていないのは95人だという。米国には「戦争捕虜・戦中行方不明者捜索統合司令部」(DPAA)という軍の専門機関があり、早くからDNA鑑定を導入し戦死者の身元特定にも力を入れてきたという。(https://373news.com/_news/storyid/141884/)アメリカは一貫して戦争を継続してきたのだ。
さらに時事通信は昨年8月16日、「帰らぬ遺骨112万柱 収集事業、集中期間5年延長―沈没船も積極調査」として、日本の実情をつたえている。日本は半数以上の軍人・軍属の遺体を放置しているのだ。

 

国家やボランティアが遺体収容をつづける理由

人を殺してはいけない、遺体を凌辱してはいけない、霊魂と遺体は一体であり丁重にほうむらなければならない、というのは、動物たる人間が人となるための根本原理(自然法)なのだ。だから、組織の命令でなく自分の中から生まれでる声によって動くボランティアの活動があるのだと思う。

一方、国家が遺体収容をつづけるのは、「国家」という物語を、人間が人となるための根本原理(自然法)のうえに構築するために行う行為なのだと思う。骨箱に小石を入れて持ってきて済ます発想はそのような義務的作為的行動原理に基づくものだからではないのか。人を殺しても罪にならない、という観念は、宗教や国家がつくりだした「人定法」である。そうであるならば、「自然法」を基礎とする思想として「人を殺すのは罪である」という「人定法」をつくっても良いはずだ。

人が人を殺しても罪にならないという思想が間違っている。

人間が食糧を自ら作り出す発展段階に到達してから高々1、2万年。今現在、宗教や国家という人為的な社会機構がほかに代替不可能な抜きがたい存在と認識されても、それらがつくられてから数千年しかたっていない。

産業革命によって異常に発達した科学技術をベースにして現代社会が生まれてから数百年。

経済社会の発展とともに空想的社会主義や無政府主義が生まれ、宗教や国家のない社会が構想されたのもほんの200年くらい前でしかない。

100年ほど前にロシア一国で開始された「社会主義」が世界の半分を支配したのはそれから40年足らず。この体制は戦争を無くする政治社会体制のはずだった。しかしその体制を主唱するソ連と中国が戦争をしたのは55年前。その一方のソ連は33年前に崩壊し、いわゆる「社会主義世界体制」も同時に崩壊した。

「社会主義」を名乗る国はいまや中国とその他の発展途上国だけになってしまった。名称は残っても理想や主義主張の実践からはほど遠い。世界史、人類史的観点にたてば、第1次社会主義運動は失敗し、現状はそのしりぬぐいをしている段階だといえる。

見方を変えていえば、人が人を殺すのは犯罪であり、したがって戦争は犯罪であるという思想を「人定法」とする人類の活動は始まったばかりではないだろうか。

本サイトの筆者のひとり、グローバル・ハピネス・リーダーで欧州アフガニスタン難民組織外国委員会連盟メンバーでもあるファリダ・アハマディさんは平和活動家の一人として戦争禁止法の実現を目指している。(https://webafghan.jp/miracle-only-once/

想像してごらん、天国も地獄もないんだ、と。
国家も宗教もいらない、と。
そうすれば、殺しあう理由も戦争もなくなる。
オール ザ ピーポー リビング イン ピース
世界中の人びとが平和にくらせるんだよ。
人はぼくを夢想家というかもしれない。だけど、
ぼくは一人じゃない、君も仲間になれるじゃないか……

(ジョン・レノン:イマジン、野口壽一訳)

野口壽一