(2024年8月5日)
戦争と平和と詩
~いくつもの8・15に想う~
ふたつの8・15
日本とアフガニスタンにとって重要な節目である8・15が近づく。アフガニスタンは3年目、日本は79年目である。
アフガニスタンではターリバーンが米NATOを追い出してアフガニスタンを乗っ取った。
ところが日本の場合は、アメリカ軍との戦争の終局を宣言する天皇の玉音放送、つまりは無条件降伏、完全敗北を宣言した日である。
「アフガンを乗っ取った」というのは、アメリカの撤退に関するドーハ合意をターリバーンが遵守せず権力を力づくで独占しているからである。本来なら全国民を包摂する選挙を実施して新政府を構成する約束だった。しかし、相手となるはずの共和国政府のガニー大統領が8月15日に政権を放り投げて逃亡してしまった。ターリバーンに言わせれば、共和国政府を代表するはずのガニー大統領が逃亡した、シメシメ、というところだろう。
しかし、実際はそう単純ではない。副大統領は国内に残り政府の存続を主張していたからだ。だがターリバーンは、パキスタン軍の手助けも得て、共和国政府軍をパンジシール州に追い込み、抵抗を鎮圧したというのが真相だ。とはいえ、アフガニスタンは、ターリバーンの側からすれば、完全勝利であろう。(いまそのほころびが出始めてはいるが。)
一方日本は誰もが知る無条件降伏。「敗戦」を「終戦」と言いつくろい、国内的には国民を愚弄する一億総懺悔なる詐欺的言辞を弄して乗り切った。GHQ(占領軍)支配中は、首をすくめて言いなりに支配をやりすごし、旧支配層はしぶとく復活をとげた。
欧米の助けを得て曲がりなりにも近代化を実現しつつあった20年間のアフガニスタンはターリバーンの復権によって中世への逆戻りの途に転げ落ちた。一方日本は、アメリカの支配に屈し、折からの朝鮮戦争やベトナム戦争の特需もあり、経済発展のコースにのり、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われる「繁栄」を手にした。
両国の8・15は完全に真逆といえる。ターリバンにとっては「自立貧困」、日本国民は「隷属繁栄」。ふたつの8・15の意味については「<視点:39>責任の自覚、受容の覚悟 ~アフガニスタンと米英と日本~」で詳細に述べたからここでは繰り返さない。
もうひとつの8・15
ところで、8・15はもうひとつの大事な記念日である。それは、アフガニスタンにおける検閲と芸術の弾圧に対する詩的抗議として日本と世界の詩人によるアンソロジー『詩の檻はない』が発刊された日である。
アフガニスタンにおけるターリバーンの理不尽な暴力支配に抗議する一亡命詩人の世界に向けた呼びかけに、日本の詩人たちがもっとも早く、もっとも多く、連帯の声をあげ、出版にこぎつけたのである。日本において、世界に先駆けて、目に見える形で、本の形で詩集が出版され、それが今度は世界を刺激し、昨年後半の活動を結実させた。アンソロジーは日本語版に続いてフランス語版、オランダ語版が発行された。運動の呼びかけ人ソマイア・ラミシュは昨年12月には日本を訪れ詩の集会やセミナーに参加した。翌1月には、フランスペンクラブの作家たちが中心となり、「世界の詩人が参加し地球を一晩で一回りするZoomによる世界詩の朗読会=グローバル・ポエトリー・ナイト: 検閲に対する抵抗の灯台」を実現させた。
8・15は日本とアフガニスタンにとって戦争と平和と芸術とくに詩について考え、あらたな決意をもって実践のスタートとすべき、特別な日なのである。
『詩の檻はない』の冒頭で、ソマイア・ラミシュは書いている。
世界のどの地域も夜
夜明けの血は、明日の血管の中で枯れ果てた。
どの時間帯にいても、私は泣いています。
あなたはどの時間帯にいるのですか?
あなたには、私たちの声は聞こえませんか?
確かに世界はどこも夜。ガザやウクライナはアフガニスタンをはるかに凌ぐ煉獄の暗闇で呻吟している。
世界は闇に閉ざされ沈鬱な溜息が充満している。
ソマイアの声を聞いた表現者が言葉で応えた。(「NO JAIL」ページ参照)
さらにもうひとつの8・15
8・15にはもうひとつの8・15がある。韓国の光復節だ。去年のその記念集会で映画「空と風と星の詩人〜尹東柱の生涯〜」を観た。尹東柱(ユンドンジュ)は朝鮮語で詩を書いた。そのために朝鮮語と朝鮮文化を否定し検閲する日本軍国主義の犠牲となった。「日本国家が禁止する思想を宣伝・扇動」した罪で懲役2年の実刑判決を言い渡され、日本が敗北する8・15のちょうど半年前に、収監されていた福岡刑務所で27歳で獄死した。
使用が禁止された母語・朝鮮語でおのれのみずみずしい感性を言葉で紡いだ。
併合されて日本とされた留学先を「ひとの国」と感じる現実を詩にしつつ、詩にできることのためらいを「たやすく書かれた詩」の一節でつぎのように表現する。
六畳の部屋は ひとの国
窓の外に夜の雨がささやいているが
灯火をともして 闇を少し追いやり
時代のように来る朝を待つ 最後のわたし
わたしは わたしに 小さな手を差し出して
涙と慰めで握る最初の握手 (引用元)
尹東柱が「空と風と星」の詩人として現在、韓国で広く愛唱されているのは、日本軍国主義の毒牙にかかったというだけでなく、心の叫びをしなやかな言葉の強さで表現したからだとおもう。(8月10日、旭川市で尹東柱の詩の朗読と音楽の集いあり)
ポルポト政権の残虐な政治、とくに反対派や知識人に対する虐殺をのがれてカンボジアから日本に逃れてきたペン・セタリンは自分のことを「水玉のシマウマ」(「私は水玉のシマウマ:カンボジア女性の日本奮戦記」)と表現した。
抑圧を受ける、受けないにかかわらず、生まれ故郷を離れて異国に住めば、異邦人、エトランジェ、エイリアン。詩人は異化された空間にあって、内面と同時に外界の変革を求める
詩の変革力
ソマイア・ラミシュは『詩の檻はない』の序文で次のように書いている。
「私は詩人として、詩の変革力を心から信じています。私にとって、詩それ自体が信仰を体現し、人間の精神に深い影響を与えられる証です。」
尹東柱は言葉を、荒々しく敵を罵倒したり、人々を扇動して行動に駆り立てたりする道具としてつかってはいない。しかし、おのれを締め付けてくる不条理にたいして自らの中から生まれてくる感情を外界世界と結び付けて羽ばたいていく。
死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥なきことを、
木の葉に起こる風にも
わたしは苦しんだ。
星をうたう心で
すべての死んでゆくものを愛さなければ
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今夜も 星が 風にさらされる。
(序詩 1941.11.20)
だから尹東柱の言葉は人のこころを打つのだ。
韓国民主化闘争の過程で示された詩の力
理不尽な力で締め付けられた歴史をもつ朝鮮・韓国では、詩が民衆の闘いの先導となり支えとなった。文字通り韓国民主化運動において詩の持つ力を見せつけた詩人が金芝河だった。
金大中事件(1973年)、民青学連事件(1974年)などで、朴政権の圧政に対抗する韓国で巻き起こった民主化と南北の統一を求める運動は日本にも大きな影響を与え、連帯運動が生まれた。そこでは、日韓併合(1910年)や日韓条約(1965年)を通した日本と韓国・朝鮮半島の関係が見直され、日本の若い層に、日本が植民地宗主国として行ってきたさまざまな行為が自覚され、糾弾された。時代を代表する活動家が詩人・金芝河だった。彼は、韓国民衆の戦いに連帯しようとする、日本の中から生まれてきた民衆運動にたいして次のように呼びかけた。
「36年にわたったわが韓国民族にたいする、あなたたち日本民族の、史上類例を見ない狡猾残忍な帝国主義的侵略、抑圧と収奪は、わが民族全体を人間以下の牛馬の境地に追い込み、ついに地上から追放されたものの地位におとし入れたのでありますが、あなたたち日本民族はそのような非道な方法をもってわが民族を非人間化することによって、実はわが民族のみではなく、あなたたち日本民族自身をも同時に非人間化したのであります。にもかかわらず、わが民族は、わが民族だけでなく、あなたたち日本民族をも、人間化し救済しようとする運動を起こしたのであります。」(1975・3・1――日本民衆への提案)
金芝河は、詩人として変革の精神を研ぎ澄ますことにより、抑圧した側と抑圧された側が同時に救済される崇高な連帯の途を構想し、提案するところまで精神をたかめえた。(韓国民衆のたたかう知性 革命作家=金芝河の思想と文学(野口壽一))
脱植民地主義の闘い
いま、グローバルサウスという言葉がマスコミでキーワードとしてつかわれている。定義あいまいなその言葉だが、一点確かなのは、いわゆる先進国と言われている国々がそこにはふくまれていないことだ。大方は第二次世界大戦以後に独立した国々、つまりそれまではほとんど植民地か半植民地にされていた国々だ。経済力軍事力の発展で遅れをとって、搾取され、戦争の被害を一方的に押し付けられた国々だ。
アジア・アフリカ・ラテンアメリカ(AALA)諸国が、第2次世界大戦後に独立したインドネシアのバンドンに集まり、歴史的な会議を開催した。バンドン会議(1955年)である。その後、それらの国々はさまざまな名前で呼ばれてきた。非同盟諸国、第三世界、発展途上諸国。どの国も宗主国や侵略してきた「先進国」に対する恨みや反感をを持っていた。これらの諸国人民は彼らを搾取抑圧した諸国の行い、歴史的事実を忘れていない。足を踏んだものには踏まれたものの痛さはわからない。
本サイトに掲載された「しかり、大学のカリキュラムは脱植民地化にもっと焦点を」(ハワード・W・フレンチ)は、そのような国々の立場に立って帝国主義・植民地宗主国がおこなってきた歴史を学ぶべきである、と主張している。大学をはじめとする教育の場でその課題に真正面から取り組むべきである、と。金芝河の呼びかけとおなじ思想性に立脚している。
忘れてはならないこの思想を鮮やかに言葉にした有名な詩がある。戦争を糾弾し平和を願う心のうちに忘れられ、見逃されがちな「加害」の視点だ。
世界の平和と未来社会をつくるのは言葉の力、思想の力、想像の力、真実に光をあてる力であることを確認するために、全文を引用して今回の<視点>の締めくくりとしたい。
運動と詩 原爆 <ヒロシマ>というとき 栗原 貞子
(『ヒロシマというとき』
<ヒロシマ>というとき
<ああヒロシマ>と
やさしくこたえてくれるだろうか
<ヒロシマ>といえば<パール・ハーバー>
<ヒロシマ>といえば<南京虐殺>
<ヒロシマ>といえば 女や子供を
壕のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
<ヒロシマ>といえば
血と炎のこだまが 返って來るのだ
<ヒロシマ>といえば
<ああ ヒロシマ>とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ
<ヒロシマ>といえば
<ああ ヒロシマ>と
やさしくかえってくるためには
捨てた筈の武器を ほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を徹去せねばならない
その日までヒロシマは
残酷と不信のにがい都市だ
私たちは潜在する放射能に
灼かれるバリアだ
<ヒロシマ>といえば
<ああ ヒロシマ>と
やさしいこたえがかえって来るためには
わたしたちは
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない (引用元)
【野口壽一】