(2025年10月31日)

 「分断」と「対立」を超えよ 

~愛国心と人類的良心の両立を~

 

はじめに

先号の「<視点:151>日米政治の類似点と相違~ふがいない米民主党と日本野党の復活の道~」では、日米の政治社会環境の類似点と相違点を比べて日米野党がどう対応すべきかを考察した。

今号では、日米欧州のいわゆる先進資本主義国で「ポピュリズム」が台頭するベースとなっている社会動向とそれに対して良識ある市民としてどう対処すればよいのかを考えてみたい。

この問題については森羅万象コーナーで、村野謙吉氏が何度も取り上げて論じている。
氏は、『現代世界は戦争、環境破壊、貧困、民族対立など多様な危機が同時進行する「多重危機」の時代に入っている。ウクライナ戦争や中東の衝突、アジアでの軍拡競争は、冷戦後に続いた国際秩序の安定が崩れつつあることを示している。さらにAIの急速な進化や情報操作、民主主義の後退、権威主義の台頭が人々の自由と尊厳を脅かしている。経済格差の拡大や難民の増加も深刻な課題である、として「 世界が燃えている! 三界は火宅だ(2025年8月15日)」を寄稿された。

村野氏の指摘については本稿の最後でもう一度立ち戻ることにして、今回は<世界の声>として『西洋の敗北』(文芸春秋)の筆者で世界的に有名なフランスの歴史人口学者エマニュエル・トッド氏と「ハーバード白熱教室」で有名な米国のマイケル・サンデル教授の発言から考察を始めよう。

 

Ⅰ.二人の思想の核心

1. エマニュエル・トッド:
「暴力的衰退」と「価値の空洞化」

トッド氏は『米国に「暴力的衰退」の恐れ』と題する2025年11月1日付の日経新聞のインタビュー記事で次のように語っている。(全文引用できないので要約を示す。)

前著『西洋の敗北』で、トッド氏はアメリカ文明の根幹を支えた「プロテスタント的倫理(教育・勤勉・真実・集団規範)」の崩壊こそが、米国の衰退を生んだと指摘している。宗教の喪失は単なる信仰の問題ではなく、社会を支える「意味」と「共同体感覚」の崩壊を意味する。

その帰結として米国には次の3つの現象が現れたと彼は言う。
1. ニヒリズム(虚無主義)──真実や科学を攻撃し、嘘を称賛する政治文化。
2. ドル覇権の呪縛──金融に人材が集中し、製造業と技術教育が衰退。
3. 社会の分断と自尊心の崩壊──「生産せずに消費する民」が増え、薬物・自殺が横行。

彼はアメリカを「敗北の帝国」と呼び、衰退は平和的には進まないと警告する。内戦の兆候すら見える中で、米国は同盟国への支配を強め、日本もその犠牲になりかねないと述べる。

しかし彼の批判は単なる反米ではなく、文明の再建への警鐘である。宗教の種類を問わず、人間を結びつける価値体系――勇気・名誉・真実への尊重――を再生しない限り、どの社会も同じ崩壊の道を歩むと訴える。日本も例外ではなく、「完璧主義」ゆえに他者への寛容を失いつつあると指摘する。

2. マイケル・サンデル:
「自由の再定義」と「仕事の尊厳」

一方、マイケル・サンデル教授は、2025年9月7日(2025-09-07)付のエル・パイス(メキシコ版)オンライン版のインタビューでトッド氏とは異なる立場から、「愛国心を語らなければ左派はトランプに対抗できない」と題するインタビュー記事で、同じく現代社会の空虚化と分断を問題にしている。

トランプ大統領やボルソナロ元ブラジル大統領のような権威主義的ポピュリズムが広がる背景には、自由という理念の誤用があるとサンデル教授は言う。市場の論理が支配する新自由主義の下では、「自由」とは「欲しいものを買う自由」に矮小化された。

その結果、正義や平等、民主主義との結びつきを失った自由が暴走し、格差や排外主義を正当化する言葉となった。

サンデル教授が掲げる処方箋は3つである。
1. 愛国心の再生──排外的でない、共通善に基づく愛国心を左派も語るべき。
2. 能力主義(メリトクラシー)の批判──勝者と敗者を生むシステムが「尊厳の分断」を生む。
3. 民主主義のための公共空間の回復──異なる階層の人々が出会い議論できる場を再構築する。

サンデル教授の中心概念は「仕事の尊厳」である。すべての人が社会に貢献しているという誇りと承認が失われたとき、人はポピュリズムに流れる。だから、経済政策よりもまず人間の尊厳と連帯の倫理を取り戻すことが、民主主義の再生の鍵だと説く。

 

Ⅱ.共通する危機の構造

両者の立場は異なるが、危機の診断には共通点がある。

文明の基盤の崩壊:
トッド氏は宗教と教育の衰退を、サンデル氏は倫理と尊厳の崩壊を指摘。どちらも「価値の空洞化」が原因だ。
分断の深まり:
トッド氏は米国の階層分裂、サンデル氏は勝者と敗者の尊厳格差を論じる。どちらも「共同体の断絶」を最大の病と見る。
ポピュリズムの台頭:
トッド氏はそれをニヒリズムの結果とし、サンデル氏は「自由」概念の歪曲の結果とするが、結論は同じ――民主主義の危機である。

つまり、世界の混迷(ガザ、ウクライナ、米中対立)は政治や軍事の問題に見えて、実は価値と倫理の崩壊という文明的危機である。

 

Ⅲ.良心的市民はいかに生きるべきか

トッド氏が指摘する「暴力的衰退」の時代、サンデル氏が語る「尊厳の分断」の時代に、良心的な市民が取るべき道は3段階で考えられる。

1. まず「虚無」に屈しない
(トッド的処方:価値の再構築)

現代人の多くは、真実より快楽を、事実より感情を選ぶ誘惑にさらされている。SNSが憎悪と陰謀を増幅し、嘘が正義の代用品になる。

ここで必要なのは、宗教に代わる倫理的基盤の再建だ。
それは信仰でなくともよい。「真実を尊び、他者を思う」という人間の尊厳に根ざした信念である。

トッド氏が言うように、「宗教の種類は問わない」。仏教・神道・儒教的な「調和と慎み」の倫理を生かし、他者を敵とせず、世界を修復する「小さな行動の連鎖」を築くこと。

それはツイートひとつ、寄付ひとつ、地域の対話ひとつから始まる。日常的な誠実の継続こそが、暴力的時代への抵抗である。

2. 「共通善」を語る言葉を取り戻す
(サンデル的処方:連帯と公共空間)

新自由主義は「自分のことだけ考えよ」と教えてきた。
「今だけ、金だけ、自分だけ」「自己実現、自己充実、自己評価」
だが、危機の時代には「共通善(the common good)」を語る勇気が必要だ。
それは単に「みんなで仲良く」ではなく、正義・平等・尊厳という政治的言語を再び共有することである。

サンデル氏が警告するように、経済的格差を語るだけでは不十分だ。人びとが「自分の仕事が社会に必要とされている」と感じられるような文化的再建が不可欠だ。

教育現場では、討論や哲学的思索を通じて「他者の声を聴く力」を育む。
メディアは、怒りや分断ではなく「思考する公共」を支える。
そして市民一人ひとりが、職場・家庭・地域で異なる立場の人と話すことが、すでに民主主義の実践である。

公共空間は国家がつくるのではなく、市民の会話がつくるのだ。

3. 「愛国心」と「人類的良心」を両立させる
(トッドとサンデルの統合的視点)

トッドは日本に「特別な地位がある」と言う。明治の日本は非西洋として初めて近代化を成功させた国であり、いま再び多極化する世界の調停者になり得る。
サンデル氏もまた、左派に「愛国心を語れ」と促す。排外ではなく、共通善への献身としての愛国心である。

両者をつなぐ鍵は、自立した良心の共同体を築くことだ。

ガザやウクライナの惨状に直面したとき、私たちは単なる「中立」ではなく、人間の尊厳を守る側に立つ必要がある。
それは国家の政策ではなく、個人の倫理的選択として。
暴力や差別に加担しない、真実を歪めない、沈黙せずに声を上げる――その行為が民主主義を支える。

そしてもう一歩進めば、地球規模の問題(貧困、環境、戦争)に対して、国家を超える連帯を志向すること。
それはドゴール主義的自立と、カント的普遍倫理の統合であり、まさにトッド氏とサンデル氏の接点である。

 

Ⅳ.ふたりの結論:

「暴力的衰退」に抗する道は、
「尊厳ある公共性」を日常に取り戻すこと

世界の分断と暴力は、遠い国の悲劇ではない。私たち一人ひとりの「無関心」から始まる。

トッド氏が嘆く「価値の喪失」と、サンデル氏が批判する「尊厳の断絶」は、どちらも心の公共性の喪失にほかならない。

良心的な市民がすべきことは――
真実を語る勇気を持ち、
他者の痛みに耳を傾け、
公共の議論を再生し、
分断ではなく共感の言葉を紡ぐこと。

この倫理的連帯が、暴力の時代を越える唯一の希望である。
それは国家や宗教を超えた、「人間であること」への忠誠心――
サンデル氏の言う尊厳の政治、トッド氏の言う文明の再生をつなぐ道である。

 

 Ⅴ. 東洋思想の再発見

フランスとアメリカの、ふたりの碩学による結論と共通する思想は実は東洋の思想のなかに脈々と流れている。上記ふたりの語りの中でその事実には触れられているのだが、ここではふたつの事例のみ簡単に触れておきたい。

そのひとつは、ベトナム革命の指導者ホーチミンの思想と実践である。彼がベトナムの独立運動、革命闘争を指導する過程で獲得していった思想経歴は極めて貴重なものである。彼の出発点は民族独立の「愛国心」であった。自身の闘争名も「グエン・アイクォック」つまり「グエン 愛国」と名乗っていたのである。船乗りとして世界をまわりフランスで第2インターナショナルに加盟し社会主義者となった。しかし第2インターは植民地を所有する宗主国。フランスの植民地にされていたグエン・アイクォックの要望に応えるものではなかった。そこにレーニンの、プロレタリア革命と民族解放・植民地独立とを結びつけた革命理論と第3インターナショナルという革命組織にであう。グエン・アイクォックは迷わずレーニンの側につき、マルクス・レーニン主義を信奉する「ホー・チ・ミン(ホーチミン=松明を掲げる人、という意味)」となった。

アジアの革命思想といえば、中国の毛沢東が有名である。その毛沢東は魯迅を高く評価した。魯迅は、中国人民を愚鈍の状態に落とし込んだ封建思想である儒教を徹底して批判した。魯迅の思想は「水に落ちた犬は叩け」とする非妥協的な思想である。魯迅の思想は中国共産党の内部闘争にも利用され林彪一派との闘争で「批林批孔(林彪と孔子を批判する)」とのスローガンにつかわれたほどだ。魯迅の思想が深みをもった革命的な思想であったことは間違いないが、孔子の思想をゆがめるのに利用された側面は否定できない。

それに対してホーチミンは、儒教を否定せず、多くの漢詩を書き仁や徳、自愛など儒教の革命性・人道性を継承した。独立戦争においては「愛国心」を最大限に強調して国民を革命闘争に動員したがその場合も「偏狭なる愛国心」に陥ってはならない、と常に注意を喚起した。そして、「和」の思想に関しても、当時、武力衝突までしていたソ連共産党と中国共産党の対立・分断を表面化させず自分たちの独立戦争を物心両面で支持させた。その統一戦線戦術は、資本主義諸国や発展途上国にまでおよび国際的な統一戦線を結成し、アメリカとの戦争に勝利した。まさに和の思想を独立戦争の勝利の要因にまで高めたのである。

トッド氏がまさに「仏教・神道・儒教的な『調和と慎み』の倫理」と呼んだものそのものだそこにはあった。

また、冒頭でのべた村野謙吉氏の論考「日本と東アジアを結ぶ汎アジアの『和』の精神 」が明らかにしたものこそ、聖徳太子の「十七条憲法」が体現した東洋思想の根底をなす和の精神である。トッド氏もサンデル氏も期待をよせる日本の貢献は、間違いなく、この精神の発露にある。

野口壽一