(2026年6月1日)
ハシュテ・スブ、創刊20周年
~アフガン ジャーナリストの勇気と気概~
この5月、アフガニスタンの独立系メディアである Hasht-e Subh Daily(ハシュテ・スブ・デイリー) が創刊20年を迎えた。
わが『ウエッブ・アフガン・イン・ジャパン(Web Afghan in Japan)』も同じ5月に5周年を迎えた。ウエッブ・アフガンでは、ハシュテ・スブ(Hasht-e Subh)のほかにカーマ・プレス「Khaama Press」やアムテレビ(Amu TV)、トロテレビ(TOLO TV)などの報道をモニターし「アフガンの声」や「トピックス」コーナーで記事や論説をシェアしてきた。ハシュテ・スブとは、アフガニスタンの女子教育弾圧への抗議行動の呼びかけに応え (2022年12月26日トピックス他)、継続して報道を続けてきた。最近はNO JAIL詩人であるソマイア・ラミシュ氏の声明などを双方で掲載したりしている。
ハシュテ・スブは、共和国時代から現在のターリバーン支配下に至るまで、アフガニスタンにおける自由報道の歴史そのものを体現する存在である。20周年に際してのアフガン読者の声の一部をウエッブ・アフガンでも転載した。(「ハシュテ・スブ、創刊20周年おめでとう!」)
「ハシュテ・スブ(午前8時)」という名前
「ハシュテ・スブ(Hasht-e Subh)」とはダリー語で「午前8時」を意味する。
その名称には、朝、人々が仕事や学業や社会活動を始める前に、その日の判断材料となるニュースや論評を届けるという理念が込められていた。
創刊は2007年。アメリカ軍および NATO の駐留下で成立したアフガニスタン共和国体制の時代だった。創刊者たちはジャーナリスト、人権活動家、知識人たちであり、単なるニュース媒体ではなく、「民主主義・人権・市民社会の育成」を目的としたメディアを目指した。
当時のアフガニスタンでは雨後のタケノコのごとく数百の新聞、テレビ局、ラジオ局が誕生したが、その中でもハシュテ・スブは特に知識人層や大学生、女性活動家、都市中間層から支持を集めた。
共和国時代の役割
共和国時代のハシュテ・スブは、単なる政治報道に留まらなかった。
「腐敗問題の追及」「女性の権利」「都市問題」「若者文化」「芸術活動」「少数民族問題」「地方社会の現実」などを継続的に報道した。
読者たちは後年、他の新聞が政治家の発言だけを報じる中で、ハシュテ・スブは普通の人々の生活を報じていたと回想している。
また、鋭い調査報道や風刺記事でも知られた。
アフガニスタン社会において「権力を批判する文化」を形成した数少ない新聞のひとつであり、多くの若いジャーナリストや研究者を育てた。
ウエッブ・アフガンは創刊後、政党や運動の機関紙以外にアフガニスタン人自身による発信・メディアを探る中で見出したのが冒頭に掲げたメディアであった。
2021年の共和国(ガニー政権)崩壊
2021年8月、アメリカ軍撤退とともに共和国体制は崩壊した。
ターリバーンはドーハ合意では第1次ターリバーン時代とはことなり、反対勢力との対話を含む比較的穏健な統治を示唆していたが、実際には権力掌握後、
• 女性教育の禁止
• 女性就労の制限
• 報道統制
• 文芸検閲
• 歌舞音曲・楽器の否定
• 政党活動の禁止
• 市民運動の弾圧
• 少数派への圧力
など、単独での第1次統治にを思わせるような強硬路線に転じた。
その結果、多くの独立系メディアが閉鎖された。ジャーナリストの拘束、拷問、脅迫も相次いだ。(『ウエッブアフガン』トピックス欄A、B、C参照)
海外亡命と「ディアスポラ・メディア」への転換
ハシュテ・スブも例外ではなかった。
編集幹部や主要記者たちは国外脱出を余儀なくされた。
現在の編集中枢は主として ワシントンD.C. や欧州諸国、特にドイツなどに分散して活動しているとされる。
ただし重要なのは、「国外亡命=活動停止」ではなかったことである。
むしろ彼らはアフガニスタン国内に残る協力者や匿名記者ネットワークとの連絡を維持しながら、
• ターリバーンの人権侵害
• 女性への抑圧
• 少数民族差別
• 宗教的強制
• 文芸への検閲
• 歌舞音曲への弾圧
• 経済崩壊
• 貧困問題
などを継続的に報道し続けた。
このためハシュテ・スブは単なる亡命メディアではなく、「国境を越えたアフガン・ディアスポラ・メディア」へと変貌したのである。
女性の声を伝えるメディア
特に重要なのは女性問題である。
ターリバーン復権後、多くの国内メディアは女性の取材や発言掲載そのものが困難になった。
しかしハシュテ・スブは、
• 女子教育禁止
• 女性デモ弾圧
• 女性活動家の拘束
• 女性ジャーナリストの追放
などを継続的に報じた。
RAWA(アフガニスタン女性革命協会)のような女性を中心とする「革命」組織を除けば、アフガニスタン内外の読者や支援団体も「女性たちの声を世界へ伝える数少ない媒体」として高く評価している。
国際的資料源としての価値
現在、ハシュテ・スブの記事は単なる新聞記事を超えている。
例えば European Union Agency for Asylum のような欧州機関や国連組織も、アフガニスタン情勢分析の参考資料としてハシュテ・スブの記事を利用している。 さまざまな団体にとっても重要な一次情報源となっている。ターリバーン支配下では公式統計や独立調査が著しく制限されているからである。
ハシュテ・スブの歴史的意義
ハシュテ・スブ20年の歴史は、単なる一新聞の歴史ではない。
それは、
1. 共和国アフガニスタンにおける民主主義実験の歴史
2. 言論の自由を求めた市民社会の歴史
3. ターリバーン復権後の抵抗の歴史
4. アフガン・ディアスポラ形成の歴史
でもある。
今日のアフガニスタンでは、多くの政治組織や市民団体が国内で活動できない。
しかしハシュテ・スブは亡命下にありながら情報発信を継続し、「アフガニスタンの現実を忘れさせない」という役割を果たしている。
その意味でハシュテ・スブは単なる報道機関ではなく、ターリバーン体制下で抑圧されたアフガニスタン市民社会の記憶と良心を保存する機関であると言える。創刊20周年は、一新聞の記念日というよりも、アフガニスタンにおける自由な言論と民主主義の理念が、亡命という形をとりながらもなお生き続けていることを示す象徴的な節目なのである。
気概を示すアフガニスタン・ジャーナリズム
アフガニスタンの独立系メディアを語る場合、ハシュテ・スブだけでは全体像は見えない。新聞・ネットメディア・衛星テレビ・亡命メディア・国内残留メディアが複雑に連携しながら、ターリバーン体制下でも情報空間を維持しようとしているのである。
その代表例が、Khaama Press、Amu TV、そして TOLOnews / TOLO TVなどである。
Khaama Press ――「ペン(筆)」の名を持つ独立メディア
まず Khaama Press(カーマ・プレス)である。
「Khaama(خامه)」とはペルシア語の古語で、
「ペン」
「筆」
を意味する。つまり、「言論の武器としてのペン」を意味する名称なのである。
2009~2010年頃にアフガン人ジャーナリストのクシュヌード・ナビザダによって創設された。英語・ダリー語・パシュトー語で発信する24時間体制のオンライン報道機関であり、共和国期には英語によるアフガニスタン情報発信の最大級サイトへ成長した。
その特徴は、単なる国内向け報道ではなく、
• 国際社会向け英語発信
• 外交問題
• 人権問題
• 地域安全保障
• 中国・ロシア・パキスタン問題
• 国連動向
などを重視したことである。
そのため欧米研究者や外交官、国際機関関係者の参照媒体となり、米国議会図書館(Library of Congress)によるアーカイブ対象になったこともある(Wikipediaなどの記載)。
2021年以前から記者や経営陣はたびたび攻撃対象となり、創設者ナビザダ自身も暗殺未遂事件を経験している(wikipedia-1、wikipedia-2)。ターリバーン復権後も編集部への圧力は続き、2024年には編集責任者が拘束された。
それでも Khaama Press は活動を停止せず、「アフガニスタンを世界へ伝える英語圏の窓」として機能し続けている。
Amu TV ――亡命ジャーナリズムの新しい形
これに対し、ターリバーン復権後の新時代を象徴するのが Amu TV(アムTV)である。その名称はアム川(アムダリア川)に由来する。
アム川は古来アフガニスタン北部を流れ、中央アジアとアフガニスタンを結ぶ大河である。
Amu TV の理念もまた、「分断されたアフガニスタンと世界を結ぶ」という意味を持つ。
2021年のターリバーン復権後、かつて TOLOnews の中心的人物だったロトフラ・ナジャフィザダ(Lotfullah Najafizada)やサミ・マフディらが亡命し、新たな報道ネットワークとして立ち上げた。現在の拠点は米国バージニア州である。
しかし Amu TV は単なる亡命テレビではない。
国外にいる編集者と、国内に残る匿名記者、協力者、市民撮影者、を暗号通信などで結び、アフガニスタン国内の映像や証言を収集している。
特に女性問題については極めて重要な役割を果たしている。
ターリバーン下では女性キャスターや女性記者が排除されつつあるが、Amu TV は国外から女性ジャーナリストを起用し続けている。 いわば、「亡命国家の公共放送」に近い存在なのである。
TOLO TV ――カーブルに残った巨大メディア
しかしアフガニスタン国内で活動を続ける最大のメディアといえば、やはり TOLO TV である。
TOLO はダリー語で
「日の出」
「夜明け」
を意味する。
2004年にモフセニ家の Moby Group が設立し、アフガニスタン史上最大の民間テレビネットワークへ発展した。「ドラマ」、「音楽番組」、討論番組」、「ニュース番組」、を通じて共和国時代の都市文化形成に巨大な影響を与えた。
ターリバーンは第1次政権時代(1996~2001)にはテレビそのものを禁止していた。
そのため TOLO TV は彼らにとって敵として象徴的存在だった。
実際、共和国期には TOLO 関係者が何度も襲撃され、記者やスタッフが殺害されている。
ターリバーン復権後の「生き残り戦略」
2021年以後、多くの人は TOLO TV が閉鎖されると予想した。しかし実際には存続した。
これは非常に興味深い現象である。TOLO TV は正面衝突を避けながら、
• 社会問題
• 経済問題
• 人道危機
• 保健医療
• 教育
などを報じ続けている。 もちろん共和国時代のような自由はない。「検閲」、「自己規制」、「取材制限」、が存在する。しかし完全沈黙も拒否している。
つまり TOLO TV は、「潰されない範囲で最大限報じる」という極めて困難な均衡の上で活動しているのである。
それでも記者拘束は続いている。
2026年5月には TOLOnews の記者2人がターリバーン当局に拘束された。後に解放されたが、報道現場の危険性を改めて示した。
ジャーナリストたちの抵抗
今日のアフガニスタンでは、報道機関の40%以上が閉鎖されたとされる。女性ジャーナリストは特に深刻な打撃を受けた。
しかし驚くべきことに、
・ハシュテ・スブ、
・カーマ・プレスKhaama Press、
・Amu TV、
・TOLO TV、
はいずれも完全には沈黙していない。
国外へ亡命した者は国外から発信し、国内に残った者は匿名で取材し、女性記者は顔を出せなくなっても記事を書き、テレビ局は検閲の隙間を縫って放送を続けている。
彼らは軍隊を持たない。政党でもない。しかし、「何が起きているかを記録する」という行為によって抵抗しているのである。
アフガニスタン現代史を振り返ると、王政、人民民主党政権、ムジャヒディーン内戦、第1次ターリバーン政権、共和国、そして第2次ターリバーン政権と、体制は何度も変わった。
だが、そのたびに消されそうになりながらも生き残ってきたのがジャーナリズムであった。
ハシュテ・スブの「午前8時」、TOLO の「夜明け」、Amu の「大河」、カーマの「ペン」。
これらの名前そのものが、暗黒の時代においてもなお情報と言論を絶やさないという、アフガニスタンの独立系ジャーナリストたちの勇気と気概とを象徴しているのである。
さらに今回は触れられなかったが、ソシアルメディアの今日多くの個人が自らの存在をかけて発信をしている。第2次ターリバーンはメディアを駆使しており、ターリバーン・ユ―チューバ―などを育成しているが、それをはるかに超えるアフガン人が民主的なアフガニスタンを求めて言論の輪を広げている。言論活動をする風紀ある人びとによって必ずや未来をつくる大きな波が起きることを信じる。
【野口壽一】