(2026年9月2日)

 人口減少を恐れるな 

~「日本人を増やす」から「日本語話者を増やす」へ~

 

(WAJ: 。本稿は、筆者らが千葉市で続けてきた在日アフガニスタン人女性とその子供らへの日本語教育・生活支援活動を踏まえての論考である。少子高齢化と人口減少は、経済発展、長寿化、女性の自立がもたらす避けがたい歴史的傾向であり、出生増だけを追う政策では克服できない。必要なのは、人口減少を前提に生活の質を高める社会へ転換するとともに、「日本人」を国籍や血統で囲い込まず、日本語を学び、日本と結びつく世界の人びとへ広げることである。「日本語話者を増やす」ことこそ、国境を越えて日本の文化と未来を担う人口を育てる、最も開かれた少子化対策であることを明らかにする。)

 

 人口問題を「出生数」だけで考えてよいのか

日本では長年、少子高齢化と人口減少が「国難」として語られてきた。出生数を増やさなければ労働力が不足し、社会保障制度が崩れ、地方が消滅し、GDPで測った国力も衰えるというのである。この認識には根拠がある。しかし、そこからただちに「女性にもっと子どもを産んでもらわなければならない」という政策に進むならば、問題を逆立ちさせることになる。

経済が発展し、乳幼児死亡率が低下し、教育が普及し、女性が自らの人生を選択できるようになれば、出生率は低下する。少子化は社会の失敗だけでなく、長寿化、女性解放、教育水準の上昇、人権意識の発達がもたらした歴史的成果の一面でもある。

したがって必要なのは、出生率を過去の水準へ力ずくで戻すことではない。人口が減っても、1人ひとりが豊かに、安全に、尊厳をもって暮らせる社会をつくることである。同時に、「日本人」を日本国籍をもつ国内居住者だけに限定せず、日本語を学び、日本文化に親しみ、日本社会とかかわり続ける世界の人びとまで含む、より広い共同体として捉え直す必要がある。

 

1 日本の少子高齢化と人口政策の変遷

日本の合計特殊出生率は、第1次ベビーブーム期には4を超えていたが、1950年代に急速に低下した。これは避妊の普及、家族計画、乳幼児死亡率の低下、都市化、教育費の上昇などによるものである。1966年には丙午の影響で1.58まで落ち込んだものの、その後いったん回復し、1974年に人口置換水準(2.1)を下回った。

しかし政府は当初、出生率低下を深刻な政策課題とは見なさなかった。戦後しばらくは、むしろ人口過剰、住宅不足、食料不足が問題だったからである。人口政策が明確に転換した契機が、1989年の合計特殊出生率1.57、いわゆる「1.57ショック」であった。これは丙午の1.58さえ下回る数字であり、少子化が一時的現象でないことを政府と社会に認識させた。

その後の主要政策は次のように展開した。

  • 1994年の「エンゼルプラン」では、保育所整備や仕事と子育ての両立支援が掲げられた。
  • 1999年の「新エンゼルプラン」では、低年齢児保育、延長保育、放課後児童クラブなどが拡充された。
  • 2003年には少子化社会対策基本法と次世代育成支援対策推進法が成立し、少子化対策が国・自治体・企業の責任として制度化された。
  • 2010年代には待機児童対策、幼児教育・保育の無償化、育児休業制度の拡充、子ども・子育て支援新制度などが進められた。
  • 2023年にはこども家庭庁が発足し、「こども未来戦略」が策定された。児童手当の所得制限撤廃と高校生年代までの延長、出産支援、育児休業給付、高等教育支援などに総額3.6兆円規模を投じる方針が示された。こども家庭庁「こども未来戦略」

つまり、日本は少子化を放置してきたわけではない。保育、手当、休業、教育費支援を30年以上積み重ねてきたのである。それでも出生率は回復しなかった。

2025年の日本人の出生数は67万1236人、合計特殊出生率は1.14となり、いずれも過去最低を更新した。一方、死亡数との差である自然減は約92万人に達した。厚生労働省「2025年人口動態統計」

2026年8月の総人口は約1億2268万人、日本人人口は前年同月比約87万人減、外国人人口は約26万人増である。65歳以上は約3620万人を占める。総務省統計局「人口推計」 国立社会保障・人口問題研究所の中位推計では、総人口は2070年に約8700万人となり、65歳以上が約4割を占める。(国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」)

 

2 なぜ少子化対策の効果が上がらないのか

第1の理由は、出生率の低下を「子育て費用」の問題に狭めすぎたことである。手当や無償化は重要だが、出産をためらわせる原因は、出産後の費用だけではない。結婚以前の雇用不安、低賃金、長時間労働、高い住宅費、教育競争、将来不安まで含む、人生全体の問題である。

第2は、日本では出生が結婚に強く結びついていることである。婚外出生が少ないため、未婚化、晩婚化は直接出生数の減少に結びつく。若者が結婚しないのは価値観の変化だけではない。非正規雇用や所得格差、都市部の住宅費、介護負担などによって、独立した生活基盤を築けない人が増えたのである。

第3は、家庭内と職場に残る男女不平等である。女性の就業率は上昇したが、家事・育児負担は依然として女性に偏り、管理職昇進や賃金、雇用継続にも格差がある。「働くか、子どもをもつか」の二者択一を女性に迫る社会で出生率が上がるはずがない。

女性の自立が少子化を引き起こすのではない。女性の自立が進んだにもかかわらず、男性の働き方、企業制度、家庭内分業、住宅政策がそれに追いついていないことが問題なのである。OECDも、女性就業と出生を両立させるには、保育、育児休業、住宅支援だけでなく、男性の家事・育児参加とジェンダー平等が不可欠だと指摘している。(OECD「Society at a Glance 2024」

第4は、政策が「産みたい人の希望をかなえること」から、「国のために産んでもらうこと」へ傾きやすい点である。子どもをもつかどうかは個人の権利である。国家目標として出生率の数字を掲げすぎれば、女性を人口再生産の手段として扱う圧力が生じる。これは女性の自立に逆行し、かえって結婚や出産を遠ざける。

第5は、出生可能年齢人口そのものがすでに減っていることである。仮に出生率が少し上昇しても、出産年齢の女性の絶対数が少なくなっているため、出生数はすぐには増えない。人口構造には数十年単位の慣性があり、給付金だけで反転できるものではない。

もっとも、少子化対策が「無効」だったわけではない。保育所整備、育児休業、医療費助成、児童手当は、子どもの貧困や親の負担を軽減してきた。これらは出生率を上げたか否かだけで評価すべきではない。すでに生まれた子どもと家族の生活を改善したこと自体が成果である。

 

3 韓国と中国 ― 日本を上回る東アジアの少子化

韓国では、合計特殊出生率が2023年に0.72まで低下した。2024年には0.75、2025年には約0.8へ回復したとみられ、出生数も2025年に25万4500人と前年比6.8%増加した。しかし死亡数は36万3400人で、自然減はなお約11万人に上る。(韓国統計庁「2025年出生・死亡統計」

韓国の少子化には、住宅価格、若年雇用、苛烈な受験競争、私教育費、長時間労働、兵役、家父長的な家族制度などが複合している。とりわけ高学歴女性に対して、職業人としての競争と伝統的な妻・母としての役割を同時に要求する矛盾が大きい。韓国政府は巨額の予算を投入してきたが、個々の給付が住宅・雇用・教育・ジェンダーという構造問題を変えられず、効果は限定的だった。(OECD「Korea’s Unborn Future」

中国はさらに劇的である。中国政府は1979年以降「1人っ子政策」を進めたが、急速な高齢化と労働力減少を受け、2016年に2人、2021年に3人まで認める方向へ転換した。ところが、産児制限を撤廃しても出生数は回復しなかった。

2024年の中国人口は前年比139万人減の14億828万人となった。出生数は954万人、死亡数は1093万人である。2025年には出生数が792万人まで減少し、死亡数1131万人、自然減339万人となった。2025年の合計特殊出生率は公表されていないが約0.98と推計される。(中国国家統計局「2024年国民経済・社会発展統計公報」同「2025年統計公報」

中国でも、都市住宅費、教育費、若者の失業、過酷な労働慣行、女性への育児負担、結婚時の経済的条件が出生を抑えている。一度「少なく産み、十分に教育する」家族観が定着すれば、政府が「もっと産め」と号令をかけても元には戻らない。国家が出産を制限する政策も奨励する政策も、女性の身体と人生を政策手段として扱う点では表裏一体なのである。

 

4 少子化は世界的な人口転換である

少子化は日本、韓国、中国だけの特殊現象ではない。OECD諸国の平均合計特殊出生率は1960年の3.3から2022年には1.5へ低下した。(OECD「Fertility」) 国連によれば、世界全体の出生率も現在は約2.25で、1990年より約1人少ない。(国連「World Population Prospects 2024」

これは人口学で「人口転換」と呼ばれる。社会が発展すると、まず医療・衛生・栄養の改善によって死亡率が低下する。しばらくは出生率が高いままなので人口が急増する。その後、都市化、教育、社会保障、避妊、女性就業の普及によって出生率も低下し、人口増加が止まる。

さらに「第2の人口転換」論は、個人主義、自己実現、結婚観の多様化、離婚・同棲・非婚の増加などを重視する。家族は、生存と生産を保障する必須単位から、個人が選択する生活形態のひとつへ変わったのである。

ただし、「経済が発展すれば必ず同じ出生率になる」という機械的法則ではない。フランスや北欧諸国の出生率が東アジアより比較的高かった時期があるように、住宅、保育、雇用、移民、男女平等、家族観によって差は生じる。それでも、前近代的な多産社会へ自然に戻ることは考えにくい。人口減少と高齢化は鉄の法則ではないが、高度に発達した社会が共有する強い歴史的傾向である。

 

5 GDP中心の「国力」観が生む矛盾

人口はGDPの基礎である。働く人、消費する人、納税する人が減れば、国内市場と政府財政は縮小しやすい。軍隊の規模や国際政治上の発言力も人口に左右される。このため各国は出生数を国家競争力の問題として扱う。

しかし、総GDPは「人数×1人当たり生産性」で決まる。人口が多いことと、1人ひとりが豊かであることは同じではない。人口増加によって総GDPを維持しても、住宅不足、環境破壊、長時間労働、育児負担、格差が拡大すれば、国民生活の質は向上しない。

さらに「国力のために産め」という政策は、女性の教育・就業・自己決定を制約しかねない。ところが女性の自立こそ近代社会が獲得した成果である。社会発展の成果を否定して、社会発展以前の出生率だけを取り戻そうとすることは矛盾している。

人口政策の目標は「人数の最大化」であってはならない。「1人ひとりの自由、能力、健康、創造性、社会参加を最大化すること」でなければならない。それはAI文明論のテーマでこれまでの<視点>で論じてきた「知能資本」の考え方とも結びつく。AI時代の国力は、単純な頭数よりも、教育、知識、データ、技術、信頼、制度、国際的ネットワークの総体によって決まるからである。

 

6 人口が減ることを前提に社会を設計する

必要なのは「人口減少を止める政策」だけでなく、「人口が減っても成り立つ社会」をつくることである。

第1に、出生率を政策の最終目標にしない
出産したい人が経済的・職業的理由で断念しなくてすむ環境を整える。しかし、産まない人にも同じ尊厳を保障する。政策の評価軸を出生数から、子どもの貧困率、親の自由時間、住宅負担、男女の家事分担、教育格差、生活満足度へ移すべきである。

第2に、労働時間を短縮する
AI、ロボット、自動化による生産性向上を、企業利益だけでなく労働時間の短縮へ還元する。人口が減っても、ひとりが長時間働くのではなく、必要な労働を社会全体で分かち合う。週休3日制や柔軟な勤務制度は、子育て、介護、地域活動を可能にする。

第3に、社会保障を年齢だけで区切らない
「高齢者は支えられる側、現役世代は支える側」という2分法を改める。健康で働く意思のある高齢者には、多様な就業、教育、地域参加の機会を保障する一方、若年者にも住宅・医療・教育を社会的権利として保障する。

第4に、医療を治療中心から予防・生活支援中心へ転換する
高齢化による医療・介護需要を単なる負担とみなさず、健康寿命、在宅医療、地域包括ケア、介護ロボット、見守りAIなどへ投資する。高齢社会を新しい技術と公共サービスを創造する場に変えるのである。

第5に、都市と地域をコンパクトに再編する
すべての道路、学校、病院、上下水道を人口拡大期と同じ規模で維持することはできない。居住地域を緩やかに集約し、公共交通、医療、商業、行政を徒歩圏内に配置する。同時に、オンライン教育、遠隔医療、行政DXによって地方の生活条件を守る。

第6に、「所有」より「共有」を拡大する
空き家、交通、介護、教育施設、エネルギーを地域の社会的共通資本として共同利用する。人口減少社会では、1人ひとりがすべてを私有するより、質の高い公共財を共有するほうが豊かである。

第7に、外国人を一時的労働力として扱わない
家族帯同、永住、教育、医療、住宅、参政、職業移動を保障し、社会の成員として迎える。外国人を低賃金労働力として使い捨てる制度は、日本への信頼を破壊する。

 

7 国境内人口だけを見る思考を超える

ここまでの議論には、なお「日本国内の人口をどう維持するか」という国民国家の枠が残っている。しかし現代社会では、人、資本、知識、文化、データは国境を越えて移動する。

日本企業で海外から働く人、日本の大学と共同研究する研究者、日本文学を翻訳する人、日本のアニメから日本語を学ぶ若者、日本の市民運動と連帯する人は、日本国籍がなくても日本社会の知識、文化、経済、信頼を支えている。反対に、日本国籍をもっていても海外に住み、複数の言語と文化に属する人もいる。

国家を領土内人口だけで測る時代から、国境を越えた関係人口、知識人口、文化人口、言語人口によって測る時代へ移りつつある。日本が問うべきなのは「日本列島に何人いるか」だけではない。「世界に日本と深くかかわる人が何人いるか」である。

 

8 最重要のキーワード ―「日本語話者を増やす」

この転換を一語で表すキーワードが、「日本語話者を増やす」である。

日本語を学ぶことは、単に会話能力を身につけることではない。日本の歴史、文学、生活感覚、社会問題に接近し、日本人と直接関係を結ぶ回路を得ることである。翻訳を介さず、日本社会が自らをどう語っているかを理解できるようになる。

国際交流基金の2024年度調査では、海外の日本語教育は143カ国・地域、1万9344機関で実施され、学習者は400万750人、教師は8万898人に達し、いずれも過去最多となった。(国際交流基金「海外日本語教育機関調査」

しかも、この数字は教育機関で学ぶ人だけである。アニメ、ゲーム、動画、SNS、オンライン教材、個人教授などによる独学者は十分に含まれていない。実際の日本語学習人口、日本文化関心人口ははるかに大きい。

日本語を世界に広げることは、英語に対抗して日本語を押しつけることではない。多言語世界を豊かにし、日本語という入口から世界の人びとが日本社会に参加できるようにすることである。

 

9 世界の人びとを日本へ引き寄せるもの

日本には、人びとを引き寄せる多様な力がある。

  • 治安の良さと公共空間の安全性
  • 鉄道、上下水道、医療、物流などの社会的インフラ
  • 清潔さ、時間の正確さ、接客、公共マナー
  • 四季、自然、温泉、山岳、海岸、桜、紅葉
  • 和食、発酵食品、菓子、酒、地域料理
  • アニメ、漫画、ゲーム、映画、音楽、ファッション
  • 文学、俳句、短歌、書道、茶道、華道
  • 神社仏閣、祭り、伝統工芸、歴史都市
  • 建築、デザイン、製造技術、職人文化
  • 自動車、鉄道、ロボット、精密機械、素材技術
  • 大学、研究機関、文化施設
  • 礼儀、思いやり、共同性、物を大切にする生活感覚
  • 地方ごとの方言、食、風景、歴史の多様性
  • 平和憲法、被爆経験、戦後民主主義
  • 高齢社会、災害、防災、環境問題に関する知識と経験

2025年の訪日外国人数は4268万人を超え、過去最高となった。(日本政府観光局「2025年訪日外客数」) 2025年5月現在の外国人留学生は40万8069人で、これも過去最多である。(日本学生支援機構「外国人留学生在籍状況調査」) 2025年末の在留外国人数は412万5395人となり、初めて400万人を超えた。(出入国在留管理庁「令和7年末の在留外国人数」

これらは「人口減少で仕方なく外国人を入れる」という消極的現象ではない。世界の人びとが日本に価値を見いだし、学び、働き、訪れ、暮らそうとしている証拠である。

 

10 日本を好きになって帰る人も「広い意味の日本人」である

留学生が日本語を学び、帰国後に日本企業や大学と仕事をする。旅行者が日本を好きになり、日本の商品や文学を紹介する。研究者が日本の資料を読み、共同研究を続ける。日本に来たことがなくても、漫画や映画を通して日本語を学び、日本社会を理解しようとする。

こうした人びとは日本国籍をもたず、日本国内の人口統計にも入らない。しかし、日本への理解、信頼、文化交流、経済関係、国際協力を支えるという意味で、「拡張された日本社会」の成員である。

ここでは人口をつぎの3つの概念で理解するよう提案する。

人口概念 主な範囲 意味
居住人口 日本国内に住む人 労働、納税、地域社会、社会保障を直接支える
関係人口 日本を訪れ、学び、働き、継続的関係をもつ人 経済・学術・人的ネットワークを支える
日本語・文化人口 世界の日本語話者、学習者、日本文化愛好者 日本の知識・文化・価値を国境外へ広げる

日本語話者が1人増えることは、出生数が1人増えることと統計上同じではない。海外の日本語話者は国内の介護人材や納税者にただちになるわけではない。この違いを無視してはならない。

しかし、文明的、文化的、国際関係的な意味では、日本語話者の増加は「日本に属する関係人口」の増加である。国内人口の減少を補うもう一つの人口増加なのである。

 

11 DNAではなく、言語と社会参加が人をつくる

「純粋な日本人」という観念には、生物学的根拠がない。日本列島の住民は、長い歴史のなかで複数の集団の移動、交流、通婚によって形成された。民族や国民は、単一のDNAによって線引きできない。

実生活を見ても明らかである。外国にルーツをもつ子どもが日本語で育ち、日本の学校で学び、日本の社会問題を自分の問題として考えるなら、その人を「日本人でない」とする根拠は乏しい。一方、日本人の両親から生まれても海外で育ち、日本語を使わず、日本社会と関係をもたない場合、その人の日本との結びつきは主として国籍と血縁に限られる。

国籍、民族、文化、言語、自己認識は重なり合うが、同一ではない。「日本人」は血統だけでなく、法的地位、生活経験、言語、文化、社会参加、本人の帰属意識によって複合的に形成される。

学説的には、ベネディクト・アンダーソンは国民を「想像の共同体」と捉えた。国民の大多数は互いに会ったことがなくても、新聞、小説、教育、共通言語を通して、同じ時間と物語を生きる仲間だと想像する。アーネスト・ゲルナーも、近代国家が学校教育と標準語によって共通の「高文化」を形成すると論じた。エルネスト・ルナンは国民を、血や人種ではなく、共通の記憶と「ともに生きる意思」、すなわち「日々の人民投票」と表現した。

ただし、「言語は上部構造を超えた共有物」という表現には、理論上の注意が必要である。古典的マルクス主義の用語では、法律、政治、宗教、思想などが経済的土台に対応する上部構造とされるが、言語を単純に上部構造とすることはできない。スターリンでさえ1950年の『マルクス主義と言語学の諸問題』で、言語は特定の階級や一時代だけに属する上部構造ではなく、社会全体が長期にわたり使用するものだと論じた。

したがって、より正確には次のように言うべきである。

日本語は「最上位の上部構造的存在」なのではなく、経済、政治、生活、記憶、感情、文化を相互に結び、共同体を再生産する社会的基盤である。

言語は単なる道具ではない。何を美しいと感じ、何を恥とし、どのように過去を記憶し、未来を構想するかを媒介する。DNAが人を自動的に日本人にするのではない。日本語を用いて他者と関係を結び、日本社会の記憶と課題を共有し、その未来に参加することが、つまり日本語が、実質的な「日本人性」をつくりだすのである。

ただし、日本語能力を新たな排除の基準にしてはならない。日本語が十分でない在留者に対しては、学習機会と同時に多言語による行政・医療・教育サービスを保障しなければならない。「日本語を学ばなければ仲間と認めない」のではなく、「仲間として迎えるから、日本語を学べる条件を社会が保障する」のである。

 

12 結論 ― 最も持続的な少子化対策は日本語共同体を広げること

少子化対策には2つの意味がある。

狭い意味では、国内の出生数を増やし、人口の年齢構成を改善する政策である。この意味では、日本語話者を海外に増やすことだけで出生数や社会保障財政を直接改善することはできない。希望する人が子どもをもちやすい社会、男女平等、安定雇用、住宅、保育、教育、移住者の定住政策は不可欠である。

しかし広い意味では、少子化対策とは、日本社会を支え、日本の文化と知識を継承し、日本とともに未来をつくる人を増やすことである。この意味では、日本語話者を増やすことは最も射程が長く、平和的で、人間的な人口政策となる。

必要なのは、次のような「日本語共同体拡大政策」ではないだろうか。

  • 海外の学校・大学における日本語教育への長期支援
  • 日本語教師の待遇改善と世界的養成
  • 無料または低額の高品質オンライン日本語教育
  • AIによる個別学習、会話練習、字幕・翻訳環境の整備
  • アニメ、文学、映画、音楽、歴史資料の多言語発信
  • 留学生奨学金と卒業後の就業・永住経路の拡充
  • 外国人労働者と家族への公的日本語教育
  • 海外の日本研究、日本語図書館、翻訳者への支援
  • 訪日者と地域住民が継続的に交流できる制度
  • 帰国留学生・元在住者を結ぶ世界的同窓ネットワーク
  • 日本語を学ぶ子どもたちと日本の学校とのオンライン交流
  • 国籍や出自にかかわらず、日本社会への参加を歓迎する市民意識

日本語を教えるひとりの教師、外国人に日本語を教えるひとりの市民、日本文学を翻訳するひとりの翻訳者、日本語教材を無償公開するひとりの制作者は、文化活動をしているだけではない。国境を越えて「未来の日本社会の成員」をつくっているのである。

人口減少を前に、日本が守るべきものは「同じDNAをもつ人びとの数」ではない。日本列島で築かれてきた言語、文化、知識、民主主義、平和、人権、生活技術を、世界の人びとと共有し、さらに発展させることである。

子どもを産むことだけが、日本の未来をつくるのではない。日本語を学ぶ人をひとり増やすこと、日本に関心をもつ人をひとり増やすこと、日本を訪れた人が「また来たい」「この国と付き合い続けたい」と思って帰ることも、日本の未来をつくる。

出生数だけを数える人口政策から、日本とともに生きる人を世界に増やす文明政策へ。
「日本人を増やせ」ではなく、「日本語話者を増やそう」
これこそ人口減少時代の日本が掲げるべき、最も開かれ、最も持続的な少子化対策ではないだろうか。

以上は、千葉市で、千葉明徳学園の施設をお借りして、ささやかながら3年間続けてきた、在日アフガニスタン女性と子供たちへの日本語学習支援・生活支援活動の過程で体験し考え続けてきた結論である。

【野口壽一】