(2026年8月31日)

 イラン戦争はなぜ「アメリカ史上最悪級の戦争」なのか 

~米英の論客が告発する軍事的勝利と戦略的敗北~

 

 

I はじめに――世界を巻き込む「戦略なき戦争」

米国とイスラエルが開始した今次イラン戦争に対し、世界の論調はおおむね厳しい。批判はイラン・イスラム共和国の体制を擁護するものではない。女性抑圧、反体制派への弾圧、核・ミサイル開発など、イラン政府が抱える問題を指摘したうえで、それでもなお、米国とイスラエルが先制攻撃によって戦争を始めたこと、その目的と終結への道筋が曖昧であったことを批判しているのである。

欧米の主要メディアに共通する評価は、米国とイスラエルは開戦直後の攻撃では勝利したが、戦争全体では戦略的敗北に陥りつつある、というものだ。圧倒的な航空戦力によってイランの軍事施設、核関連施設、指導部に大打撃を与えた。しかし、イラン国家は崩壊せず、核・ミサイル能力も根絶できず、むしろ革命防衛隊を中心とする強硬派を台頭させた。軍事的優越が政治的成果に結びついていない、としている。

イランもまた甚大な人的・物的損害を受け、経済は疲弊している。したがって、これを単純な「イランの勝利」と呼ぶことはできない。それでもイランは、世界の石油輸送の約2割が通過するホルムズ海峡を管理するという切り札を保持し、長期戦に耐える姿勢を崩していない。米国はイランを屈服させるために始めた戦争によって、逆にイランに世界経済を揺さぶる力を実際に行使させてしまった。

そのため、戦争は短期決戦ではなく、軍事攻撃、海上封鎖、経済制裁、報復攻撃が反復される消耗戦に陥った。石油、天然ガス、肥料、化学製品、物流、保険料の高騰は、交戦国以外にもインフレと景気後退をもたらしている。とりわけ原油輸入の90%以上を中東に依存する日本は深刻である。日本政府は備蓄放出や米国産エネルギーの輸入増加を進めているが、中東依存を根本から改める対策も、独自の停戦外交も十分に打ち出せず、事態の沈静化を手をこまぬいて待っているに等しい。

不意打ちの戦争を開始し、最大の軍事力と外交的影響力を投入している米国こそが、事態を収拾する最大の責任と能力を持つ。だがトランプ政権が自発的に誤りを認める可能性は低い。ゆえに鍵を握るのは、米国の議会、メディア、知識人、そして世論である。アメリカ社会がこの戦争をどう評価し、どのような終結を要求するかは、日本を含む世界の将来を左右する。

 

II 米国を代表する論者たちの「戦略的敗北」論

ネット上で展開されている数々の言説の存在と内容とから、傾聴すべき論を展開している論者を選んでみた。今回それらは、マーク・リンチ、ポール・マスグレイブ、マイケル・フックス、ロバート・ケーガン、パトリック・ウィンターの5人である。

第1は、マーク・リンチの「アメリカの中東の終焉――イラン戦争と、破綻した秩序の最後のあがき」である。リンチの卓見は、イラン戦争を1政権の失策ではなく、戦後のアメリカ主導の中東秩序が終わる歴史的事件として捉えた点にある。米国は湾岸諸国を防衛できず、ホルムズ海峡の自由航行も保証できなかった。湾岸諸国は「米国に依存すれば安全である」という前提を失い、中国、ロシア、インドなどとの関係を再編し始める。米国は敵を倒せなかっただけでなく、自らが築いた地域秩序を自ら破壊したのである。(Foreign Affairs掲載論文

第2は、ポール・マスグレイブの「イランでの敗北はベトナムより大きい」である。彼は死傷者数や戦争期間ではなく、開戦前後の戦略的位置を比較する。ベトナム戦争では約6万人の米兵が死亡したが、米国は撤退後も同盟網と世界的優位を維持し、最終的に冷戦を制した。これに対して今次戦争では、米国は開戦前より弱くなり、中核的な戦略目標を損なった。地域の同盟国に戦争の負担を押しつけ、米国への信頼を低下させ、イランにはホルムズ海峡を使えば世界規模の圧力をかけられると教えてしまった。また、高性能だが極端に高価で補充に時間のかかるミサイルに依存する米軍の「兵器庫の底の浅さ」も露呈した。(Foreign Policy掲載論文

第3は、マイケル・フックスの「アメリカは中東から手を引かなければならない」である。フックスはこの戦争を、国際法に反する不必要な先制戦争であり、「壮大な災厄」と断じる。民間人を殺害し、イランの核武装への動機を強め、米軍基地と湾岸同盟国を危険にさらした。したがって一時的な停戦では足りず、米軍の中東駐留そのものを縮小し、外交中心の地域政策へ転換すべきだと主張する。(Foreign Affairs掲載論文

第4は、ロバート・ケーガンの「チェックメイト・イン・イラン」である。ケーガンは軍事力の行使に肯定的な立場で知られるだけに、その敗北認定は重い。彼によれば、米国はホルムズ海峡を確実に開放する軍事的手段を事実上失った。実力で沿岸を制圧するなら、数万人規模の地上軍と長期占領が必要となり、艦船喪失や世界的経済危機の危険まで伴う。撤退すれば敗北が明白になり、戦争を続ければ損害が拡大する。米国は出口のない「チェックメイト」に追い込まれたのである。(Brookingsでの討論全文

第5は、英紙『ガーディアン』のパトリック・ウィンターである。彼は「4日で終わるはずだった戦争」が長期化し、米国が開戦前より不利になった経過を具体的に描いた。イランは軍事力では劣勢でも、地理、海運、保険市場、石油価格をひとつの戦場として結びつけ、「弱い手札を巧みに使った」。これは軍事力の多寡だけでは戦争の勝敗を説明できないことを示している。(The Guardian掲載記事

 

III アメリカはいかに、なぜ失敗したのか

これらの論者に共通する第1の認識は、アメリカが戦術的成功と戦略的勝利を混同したことである。施設を爆撃し、艦艇を沈め、指導者を殺害することはできても、それだけでは相手国家の意思をくじき、屈服させることはできない。戦争とは破壊の量を競う行為ではなく、政治目的を実現する手段である。核開発の放棄、ミサイル能力の解体、体制転換、地域秩序の安定という目標が達成されない以上、作戦上の成功を戦争の勝利とは呼べない。

第2は、明確な政治目的と出口戦略の欠如である。核開発阻止、体制転換、イスラエル防衛、イランの地域的影響力の排除が同時に掲げられたが、それぞれに必要な手段は異なり、相互に矛盾する。指導部を殺害すれば体制は弱体化するとの期待も、実際には穏健派を後退させ、革命防衛隊系の強硬派を強めてしまった。

第3は、敵の能力と意思の過小評価である。米国は兵器の性能を比較して勝敗を予測したが、イランが攻撃を受けながら国家機構を維持し、安価なドローンやミサイル、地理的条件、ホルムズ海峡を組み合わせて抵抗する可能性を軽視した。圧倒的な軍事力を持つ側が戦争の展開を自在に管理できるという「万能幻想」があった。

第4は、より構造的な原因である。それは、米国が軍事力を政治・外交・経済・歴史の上位に置く軍事力万能主義である。1953年のモサデク政権転覆から制裁、包囲、体制転換政策に至る米・イラン関係の歴史を省みず、イランを屈服させれば問題は解決すると考えた。イスラエルとの「特別な関係」、軍需産業と安全保障官僚、議会による戦争権限の形骸化も、この誤りを増幅した。

 

IV アメリカ国民は何をすべきか

第1に、戦争目的、民間人被害、戦費、兵器在庫、政権の説明と実態の食い違いについて、議会による公開審議を要求すべきである。

第2に、大統領が議会の正式な宣戦決定なしに戦争を拡大することを止め、戦争権限を議会の手に取り戻さなければならない。

第3に、即時停戦と外交交渉を求め、イランにも民間核開発の権利を認めながら、査察と濃縮制限を組み合わせた新しい核合意を形成すべきである。

重要なのは、撤退や妥協を「弱さ」とみなす政治文化を克服することだ。誤った戦争を続けることは強さではない。自国の誤りを認め、これ以上の犠牲を止めることこそ民主政治の強さである。世論、選挙、反戦運動、独立した報道を通じて、国民が政権に停戦を強制しなければならない。このことは泥沼化して莫大な人的物的損害を出しながらも相手方への物理的非人道的攻撃をつづけ、停戦に応じないロシアにも言えることだ。

 

V 結論――日本と世界の責任

日本は米国の政策に追随し、石油供給の回復を待つだけであってはならない。停戦、ホルムズ海峡の安全な航行、核問題の外交的解決を明確に掲げ、イランとも米国とも交渉できる立場を活用すべきである。同時に、輸入先の分散、国家備蓄の再検討、省エネルギー、再生可能エネルギーの拡大によって、中東危機のたびに国家経済が揺さぶられる構造を改める必要がある。

中国、欧州、インド、湾岸諸国も、米国の敗北を利用して勢力を拡大するだけであってはならない。海峡の国際的管理、相互不可侵、核査察、制裁緩和、戦後復興を一体化した多国間協議を組織すべきである。

今次戦争が「アメリカ史上最悪級」なのは、アメリカ将兵の犠牲者数が最少だったからといって割り引かれる性格のものではない。世界最強の軍事国家が、自ら選んだ戦争によって敵の抵抗力を高め、同盟国を危険にさらし、世界経済を傷つけ、自国の覇権秩序まで掘り崩した点において「最悪」なのである。

戦争を終わらせる第1歩は、軍事的優勢を勝利と呼ぶ虚構を捨てることである。アメリカ国民、日本、そして世界は、勝者なき消耗戦から外交による共存へと進路を転換しなければならない。

【野口壽一】