(2026年9月23日)

 生活不安を誰が政治に変えるのか 

~沖縄県知事選とドイツ3州議会選挙が示すもの~

 

2026年9月、日本とドイツで行われた4つの選挙は、一見すると正反対の結果を示した。
沖縄県知事選では、自民党を中心とする保守・右派勢力が圧勝した。ドイツのベルリン州議会選挙では左翼党が初めて第1党となる一方、旧東ドイツ地域の2州では、極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が第1党となった。
これらの選挙には共通するものがある。物価高、住宅難、低賃金、社会保障への不安、公共サービスの縮小、既成政治への不信などである。

生活危機は、それ自体では左にも右にも向かわない。危機の原因を誰が説明し、どのような解決策を示し、人びとを誰が政治的に組織するかによって、その方向が決まる。沖縄とドイツの選挙は、そのことを鮮明に示した。

 

「基地か生活か」の構図に敗れたデニー陣営

9月13日の沖縄県知事選では、自民党を中心に日本維新の会、国民民主党、参政党、日本保守党、公明党県本部などが支援した古謝玄太氏が、42万3124票、得票率59.42%を獲得した。玉城デニー氏は27万6060票、38.77%にとどまり、両者の差は約14万7000票に達した。
古謝氏の得票は沖縄県知事選史上最多であり、初めて40万票を超えた。翁長雄志県政から玉城県政へと受け継がれた「オール沖縄」勢力による県政は、12年で終わった。

「オール沖縄」はもともと左派だけの運動ではなかった。2014年、辺野古新基地建設への反対を共通項として、共産、社民、沖縄社会大衆党などの革新勢力だけでなく、自民党県連を離れた保守系政治家、企業経営者、経済界の一部までを結集した保革横断的な運動として出発した。
その力は、基地問題を一部の活動家の問題ではなく、「沖縄の尊厳」と「県民の自己決定」の問題に押し広げたところにあった。

しかし、その後、翁長氏という保守系の求心点を失い、有力企業や保守系政治家の離脱が続いた。2026年知事選で玉城氏を支援したのは、共産党、立憲民主党、社民党、沖縄社会大衆党、政治団体「いのち」「レキオ」などであった。元自民党県連会長の照屋守之氏が個人として玉城氏支持を表明した例はあるものの、かつてのような本格的な保革横断勢力ではなく、実質的には左派・リベラル勢力を中心とする選挙連合へと縮小していた。

「オール」という名称と、狭くなった実態との間に、無視できない隔たりが生じていたのである。

 

基地問題を生活の言葉で語れなかった

玉城県政と玉城デニー陣営の敗北を、県民が辺野古新基地建設を積極的に支持するようになった結果と見るのは早計であろう。県民の基地負担軽減を求める意識や、日米地位協定への批判が消えたわけではない。
問題は、基地反対を、賃金、物価、子育て、教育、医療、住宅、地域経済と結びつける新しい政治的な言葉をつくれなかったことにある。
基地問題が「平和と人権の理念」、所得や物価が「毎日の生活」として切り離され、後者を重視することが、基地反対運動から離れることであるかのような構図がつくられてしまった。

これに対して古謝陣営は、県民所得の向上、産業振興、0~2歳児の保育料無償化、小中学校の教育費・給食費負担の軽減、子どもの貧困対策などを前面に出した。さらに、国との対立よりも協調を選ぶことで、予算と経済振興を沖縄に呼び込むという物語を示した。
それが実現可能な政策であるかどうかは、今後厳しく検証されなければならない。しかし選挙戦において、生活を語る言葉を古謝陣営が握り、玉城陣営は基地問題を生活問題へ翻訳し直すことができなかった。

もちろん敗因はそれだけではない。12年間の長期政権に対する疲労、玉城県政の行政運営への評価、辺野古工事が進むなかでの無力感、42歳の古謝氏と66歳の玉城氏という世代対比、保守・中道・新興右派を束ねた古謝陣営の選挙協力など、複数の要因が重なっている。

それでも、今回の選挙が示した最大の教訓は明らかである。平和や人権を守る理念は重要だが、それが日々の家賃、食費、賃金、教育費、医療費の問題と結びつかなければ、多数の人びとを動かす政治にはならない。
有権者は理念を必要としないのではない。理念が生活の言葉に翻訳されることを求めているのである。

 

ドイツに現れた2つの反乱

沖縄県知事選とドイツの州議会選挙では、制度も政治的背景も異なる。単純に同列視することはできない。それでも、生活不安がどのような政治勢力に吸収されたかを比較することには意味がある。

9月20日のベルリン州議会選挙では、左翼党(Die Linke)が25.7%を獲得し、初めて第1党となった。2023年の前回選挙に比べて約13.5ポイント伸ばす大躍進である。(本サイトトピックス①参照)
同じ日に行われたメクレンブルク=フォアポンメルン州議会選挙では、AfDが38.3%を獲得して第1党となった。ただし、現職州首相マヌエラ・シュヴェーズィヒ氏を擁する社会民主党(SPD)も35.4%を獲得しており、既成政党全体が崩壊したわけではない。

その2週間前、9月6日のザクセン=アンハルト州議会選挙でも、AfDは43.8%を獲得し、83議席中39議席を占めた。(本サイトトピックス②参照

フリードリヒ・メルツ首相率いるキリスト教民主同盟(CDU)は、ベルリンでは28.2%から18.8%へ後退して第2党となった。メクレンブルク=フォアポンメルン州では4.9%に落ち込み、5%条項を下回って州議会から姿を消した。ザクセン=アンハルト州でも、37.1%から17.2%へとほぼ半減した。

ただし、3州の結果を「既成政党がすべて敗北した」と一括することはできない。ベルリンとザクセン=アンハルト州ではCDUが州政権を担っていたが、メクレンブルク=フォアポンメルン州ではSPDが州政権の中心であり、今回もAfDと接戦を演じた。

3州に共通するのは、物価高、住宅難、雇用不安、エネルギー価格、公共サービスの縮小、連邦政府への不信などである。しかし、その不満が向かった先は、地域によって正反対だった。

 

ベルリンでは住宅をめぐる階級政治へ

ベルリンで左翼党が躍進した最大の要因は、住宅不足と家賃高騰を選挙の中心に据えたことである。
ベルリンでは、大手不動産会社や投資ファンドが大量の住宅を所有し、住宅が人びとの暮らす場所ではなく、収益を生み出す金融資産として扱われてきた。家賃の上昇によって、労働者、若者、年金生活者、移民、公共サービス従事者が住み慣れた地域から追い出されている。

左翼党は、これを単なる住宅不足ではなく、不動産資本による生活領域からの収奪と捉えた。家賃抑制、公的住宅の拡大、大手住宅会社が所有する住宅の社会化・公有化を訴えた。
重要なのは、「資本主義反対」という抽象的なスローガンだけを掲げたのではないことである。毎月支払う家賃、そのために削られる食費や教育費、立ち退きへの不安を、不動産所有と金融化の問題へ結びつけた。

つまり、日々の生活上の苦痛を、誰が利益を得て誰が負担を強いられているのかという階級政治の言葉に翻訳したのである。

左翼党は若年層だけでなく、会社員、労働者、自営業者、移民系住民などへ支持を広げた。旧東ベルリンだけの党から、東西ベルリンの都市生活者を横断する党へ変化したことが勝利につながった。

 

旧東独では不満をAfDが吸収した

一方、ザクセン=アンハルト州とメクレンブルク=フォアポンメルン州では、社会的不満はAfDへ向かった。

旧東ドイツ地域では、統一後、多くの工場や企業が閉鎖・再編された。雇用の喪失、低賃金、若者の流出、人口減少、医療機関や公共交通の縮小が続いている。統一から30年以上が過ぎても、所得、資産、企業本社、管理職への登用などで東西格差が残っている。
そこには、「自分たちは統一ドイツの2級市民として扱われてきた」という屈辱感がある。
CDUやSPDは、こうした地域の衰退に十分な回答を示せなかった。左派もまた、雇用、医療、交通、エネルギー、産業再建を結びつける地域運動をつくれなかった。その政治的空白に入り込んだのがAfDである。

AfDは、生活不安の原因を、資本の集中、民営化、緊縮政策、富の偏在に求めるのではなく、移民、難民、EU、環境政策、ウクライナ支援へと転嫁した。
本来は資本と労働、都市と地方、公共サービスと財政政策の間にある問題を、「ドイツ人対移民」「普通の国民対外国人」「地方住民対都市エリート」という対立へ置き換えたのである。

ベルリンの左翼党が「家賃を引き上げているのは移民ではなく不動産資本だ」と語ったとすれば、AfDは「あなたたちの生活を脅かしているのは移民と既成政治だ」と語った。
共通するのは人びとの不安と怒りである。しかし、その怒りを社会の上方にある富と権力へ向けるのか、それとも移民や少数者など、より弱い立場の人びとへ向けるのか。その違いが、左翼と極右を分けている。

 

ポピュリズムは右派だけのものではない

ポピュリズムとは、社会を「真面目に生きる普通の人民」と「人民を裏切った既成エリート」に分け、前者を新しい政治主体として結集する政治手法である。
それ自体は、社会主義や自由主義、保守主義のような完結した思想体系ではない。何を危機の原因とみなし、誰を「人民」に含め、誰をその敵とするかによって、左翼にも右翼にも結びつく。

世界を見れば、左派ポピュリズムの事例は少なくない。

ニューヨークのゾーラン・マムダニは、家賃、交通費、保育費などの生活費問題を正面に据えた。バーニー・サンダースやアレクサンドリア・オカシオ=コルテス(AOC)は、「億万長者階級」と一般の働く人びとの対立を示した。
ギリシャの急進左派連合(SYRIZA)はEUの緊縮政策への反乱として成長し、スペインのポデモスは「インディグナドス(怒れる者たち)」の運動から生まれた。「不服従のフランス」イギリス労働党内のコービン現象メキシコの国民再生運動(MORENA)も、既成政治から排除された人びとを新しい政治主体として組織しようとした。
ベネズエラのチャベス政権のように、貧困削減と社会参加を進めながら、後に権威主義化した例もある。左派を名乗るからといって、自動的に民主的であるとは限らない。

これらの成否は一様ではない。しかし共通するのは、住宅、医療、学費、交通費、賃金、年金、緊縮財政といった生活上の要求を、富と権力の配分をめぐる政治へ発展させたことである。
社会危機が自動的に右派ポピュリズムを生むわけではない。危機の原因を左派が説明し、人びとを組織できなければ、その不満を右派が移民、外国人、少数者への怒りとして吸収するのである。

 

日本では右派ポピュリズムが政権党の内部に現れる

ひるがえって日本を見ると、「失われた30年」と呼ばれる長期停滞のなかで、賃金は伸び悩み、物価上昇によって生活の余裕が失われてきた。

2026年度の租税と社会保険料を合わせた国民負担率は45.7%、財政赤字を加えた潜在的国民負担率は48.4%と見込まれている。国民負担率は個人だけでなく企業負担も含む国民経済全体の数字だが、人びとの税・社会保険料への負担感が強いことは確かである。
大企業の収益や株価が増大しても、その利益が賃金や公共サービスとして家計に十分還元されているとは言い難い。雇用の不安定化、教育費、住宅費、介護負担、年金への不安が、将来への展望を奪っている。

2012年の民主党政権崩壊以降、日本政治は長く自民党優位の構図に置かれてきた。野党は多党化した。しかしそれは政治的選択肢の豊かさを意味せず、選挙制度の問題もあり、自民党を利する結果となった。弱小野党がさまざまな主張を乱立し並立させ、自民党に代わる社会像を示せない状態が続いている。

このなかで登場したのが「高市手法」である。
高市氏は、既成政治に不満を持つ保守層や現役世代の一部を、「古い政治や官僚機構に妨げられてきた普通の日本人」として再結集した。「強い日本」「決断できる政治」を掲げ、中国、ロシア、北朝鮮の脅威、外国人問題、既成メディアへの不信、国家的自信の回復をひとつの物語にまとめた。

その政治は、生活危機の原因を、低賃金、富の偏在、労働の非正規化、社会保障の弱体化、株主利益を優先する経済構造に求めるのではなく、外部からの脅威と国家の弱さへ置き換える傾向を持つ。

軍事力と防衛費の拡大、外国人政策の厳格化、歴史認識と国家観の保守化は、こうした危機認識の上に正当化される。

つまり、日本に右派ポピュリズムが存在しないのではない。AfDのような政権外部の反乱としてではなく、自民党という政権党の内部に取り込まれ、その言葉と政策として現れているのである。

 

なぜ日本では左派の反乱が生まれないのか

日本共産党は長い歴史と一定の組織力を持つが、国民的多数派を形成できていない。かつて社会党が担った日本型社会民主主義も弱体化・分散し、社会全体の将来像を示す政治勢力としては後退した。

左派・リベラル勢力は、政治とカネ、議員の失言、不祥事、憲法違反などを追及してきた。それらは民主政治に不可欠な仕事である。しかし、政治家個人の清廉さや手続きの正しさを訴えるだけでは、賃金、住宅、医療、教育、介護をめぐる生活危機を政治的に組織することにはならない。

必要なのは、「強欲資本主義」――株主利益と企業収益を優先し、賃金と公共サービスを抑制し、住宅、医療、教育、介護までを利潤獲得の対象にしていく経済運営――に代わる具体的な社会像の提起である。

しかし現在の野党の多くは、現行体制の枠内での給付額や減税率を競う「対案合戦」にとどまっている。個々の政策は必要だが、それだけでは、人びとがなぜ苦しくなったのか、誰が利益を得ているのか、どのような社会に転換するのかという物語にはならない。

沖縄において、基地反対が生活の言葉に翻訳されなかったのと同じように、日本の左派も、平和、人権、立憲主義という理念を、家賃、食費、賃金、医療費、教育費の言葉に翻訳できていない。

左派再建の課題は、理念を捨てて生活問題へ転向することではない。理念と生活をひとつの政治に結び直すことである。

 

自民党という「包摂政党」の強さと限界

日本で左右いずれの反乱も独立した大勢力に育ちにくかった理由のひとつは、自民党が対立勢力の要求を巧みに取り込んできたことにある。
保守的な安全保障政策を掲げる一方、給付金、教育無償化、子育て支援、最低賃金引き上げなど、左派や中道勢力が提起した政策も部分的に採用する。右からは国家主義的な要求を、左からは福祉的な要求を吸収し、反対勢力の足場を奪う。

中曽根康弘元首相は、かつて自民党を「左にもウイングを広げた国民政党」と自賛したとされる。異なる思想や利害を党内に抱え込み、社会の不満を政権交代に至る前に吸収することが、自民党長期支配の秘密だった。

しかし、右への傾斜を強める現在の自民党が、かつてのように左右へ翼を広げる包摂政党であり続けられるかは分からない。

リベラルな保守や中道勢力を排除し、国家主義と排外主義へ過度に傾けば、自民党の包摂力そのものが失われる。そのとき、これまで党内に封じ込められてきた左右双方の反乱が、自民党の外へ噴き出す可能性はないとはいえない。

 

生活の苦痛に、誰が名前を与えるのか

沖縄では、生活向上を掲げた保守連合が、基地反対を中心とする左派・リベラル連合を破った。
ベルリンでは、左翼党が住宅危機の原因を不動産資本に求め、家賃に苦しむ人びとを政治的に組織した。
旧東ドイツの2州では、AfDが地域衰退への怒りを、移民、外国人、EU、既成政治への反発として吸収した。

これらの結果を分けたのは、社会危機の深さそのものではない。人びとの苦痛に誰が名前を与え、原因を説明し、解決への道筋を示したかである。

左翼的な反乱は、社会の上方に集中する富と権力を問題にし、住宅、医療、教育、交通を共同の権利として取り戻そうとする。極右の反乱は、資本による支配そのものには手を触れず、生活不安を移民、外国人、少数者へ向け、社会を分断する。

危機の時代に、沈黙や現状維持という選択肢はない。左派が人びとの日常的な苦痛に根を下ろし、それを社会の所有と権力を変える運動へ発展させられなければ、怒りは右派に奪われる。

平和と生活、人権と賃金、基地問題と地域経済、生産の民主化と生活領域の社会化を、ひとつの政治として語ることができるか

ここに、沖縄だけでなく、極右の台頭に直面する日本と世界の左派に共通する課題がある。

【野口壽一】