(2026年10月5日)

 衰退する西洋への追随を超えて 

~ジョーンズ、トッド、フクヤマから日本を考える~

 

米一極支配の驕りと崩れ

本サイト「世界の声」で紹介したオーウェン・ジョーンズのインタビュー「今日の危機を生み出した西洋の傲慢さ」は、日本の進路にも鋭い問いを投げかける。

1989年11月のベルリンの壁の崩壊、同年12月の米ソ首脳マルタ会談による冷戦終結宣言後の勝利に酔ったアメリカを先頭とする西側勢力は、自らの経済制度、軍事力、道徳的権威を絶対視した。「歴史の終わり」とする論文が現われ(フクヤマ)、アメリカ一極支配が公言された。ところが、アル=カーイダの9.11米同時テロ事件は米一極支配をその足元から崩した。

米英NATO軍はアフガニスタン・イラクでの戦争に突き進み、現在に続く長期の世界混乱を生じさせた。おごりの帰結は、西側諸国における生活基盤の衰弱と国外の戦争とポピュリズムの台頭であった。

日本も無援の域外にいるわけではない。高市政権のもとで右翼ポピュリズムへの傾斜を強める自民党は、世界のこの混乱と西洋の衰退から何を学んでいるのだろうか。

 

ヨーロッパのふたりの論客

ソ連の崩壊を予言したと評されるフランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドは、2024年の『西洋の敗北』で西洋の内部的衰弱を論じた。人口動態、教育、家族構造に目を向け、金融上の豊かさの背後で、生産能力や社会の連帯が失われているとした。さらに、プロテスタンティズムに由来する教育や労働の倫理が消え、共同の目的を欠くニヒリズムが広がったと説く。宗教から政治を説明するその仮説には議論の余地があるが、国力を社会の基礎から問い直す視点は重要である。

イギリスの論者オーウェン・ジョーンズは、国際・国内の政治において誰が利益を得て、誰が失敗の代償を払うのかを問う。企業が生産や雇用への投資より株主への分配を優先し、戦争に巨費を費やす一方、危機の後始末は生活保障や公共サービスの切り下げによって市民に負わせる。その仕組みが不満を蓄積させたと主張するのである。

両者を結ぶのは、外敵の強大さや矛盾の激化だけで西側の危機を説明しない姿勢だ。ただし、ジョーンズは衰退そのものと、それが経済・社会の混乱や破局への直結を区別する。イギリスが世界に占める相対的な優位が小さくなっても、協調と再分配によって暮らしを守る道はある。実力以上に強いと信じ、既得権と軍事的優位に固執する政治が、その道を閉ざすというのである。

 

アメリカの論者も

前号で紹介した「フランシス・フクヤマ:アメリカの右派は完全に常軌を逸している」も、この問いに重なる。かつて「歴史の終わり」を論じたフクヤマは、いまも自由民主主義を支持しながら、トランプに便乗する右派を批判する。さらに、産業の衰退で職を失った人々を民主党が十分に支えなかったことにも目を向ける。右派の台頭は、支持者の無知だけで説明できない。生活を守る政治の空白を誰がつくったのかという問題でもある。

なかでも「専門知識なしに政府を運営することはできない」という発言は重い。行政への不満があるからといって、専門性や中立的な公共サービスへの全面攻撃は正当化できない、という指摘である。

 

日本にとっての教訓

ここから日本のわれわれが考えるべきは、「国家レベルの強さ」の中身だ。指導者の威勢のよさや命令の速さだけでは、災害対応も地域医療も成り立たない。現場の知識を尊重し、不都合な事実を政策へ反映できる仕組みが必要である。

3者の議論を同一視することはできない。トッドの歴史人口学的な説明、ジョーンズの階級と権力への批判、フクヤマの自由民主主義と統治能力への考察は、それぞれ異なる。だが、これらを読み合わせると、国の進路を考えるには、軍事力や経済規模だけでなく、生活の安定、公共制度、権力への歯止めを問う必要があると分かる。

西洋の危機を論じることは、自由や民主主義の価値を放棄することではない。その価値を空洞化させた政治を問い直すことである。 日本のわれわれが批判すべきは、高市政権がこの過ちを繰り返す方向へ進んでいることだ。

9月の政府基本方針は日米同盟を外交の基軸に据え、防衛力の抜本的強化に向けた戦略3文書の見直しを掲げる。安全への備えは必要である。しかし、同盟の強化や軍事力の拡張が、どのような外交と組み合わされ、国民の暮らしにどのような負担を求めるのか。同盟国と仲良くすることに注力し、対立国との本来あるべき外交を無視し軍事的な強さを安全の尺度にすれば、社会を支える力は衰弱する。

 

左右ポピュリズムの問題

右翼ポピュリズム化とは、保守的な主張が強まることだけではない。生活不安の原因を検証する代わりに、「強い国家」への期待と外部への警戒を膨らませ、政権への支持へ変えることである。高市首相は外国人の増加に伴う国民の「不安や不公正」を政策課題として掲げる。同時に「秩序ある共生」も唱えている以上、その政策すべてを排外主義と断じるのは粗雑だとしても、外国人を問題として語る政治が、不満の矛先を弱い立場の人々へ向けていないかは、厳しく問わなければならない。(首相官邸「高市内閣総理大臣記者会見」2026年7月27日)

賃金、住宅、医療、介護の困難は、外国人を遠ざければ解決するのか。長年の政策によって誰が利益を得て、誰の生活が不安定になったのか。その検証を欠けば、政治の責任が隣人へ転嫁される。ジョーンズが描く西側の危機は、まさにその連鎖である。

高市政権は積極財政を掲げており、欧州型の緊縮政治と同一とはいえない。だからこそ問うべきは、支出の総額とともに、その行き先である。軍事や特定産業への支援が先行し、生活を支える労働の待遇や教育、地域医療が後回しになるなら、国力強化の掛け声と社会の実力との隔たりは埋まらない。

 

行政と経済の透明化、民主化

フクヤマは同じインタビューで「ルールは必要だ」とも述べる。行政の硬直性を改めつつ、労働者や環境を守る規制の理由を忘れない姿勢である。

日本でも、改革の成否は、手続きを減らした数や予算の削減額だけでは測れない。保育や介護の担い手が働き続けられるか、地方で必要な医療を受けられるか、若者が住居費に追われず学び働けるか。そうした具体的な結果によって評価すべきである。

この課題は野党や市民運動にも向けられる。首相の思慮に欠けた行動、政治家個人や政権腐敗の糾弾、排外的な言説などなどを批判するだけでは、左翼ポピュリズムのそしりをまぬかれず、将来への不安を消すところまで到達しない。

賃金をどう上げ、住まいをどう保障し、その費用を誰が負担するのかを示す必要がある。外国人の権利と日本人の生活を奪い合いの関係に置けば、低賃金や不安定雇用を生む仕組みは温存される。同じ職場、同じ地域で暮らす人々の待遇を共に底上げすることが、分断を利益に変える政治への対抗軸となる。

外交でも、対米協調を判断停止の理由にしてはならない。ウクライナの主権を守る原則は、パレスチナ人の生存と権利にも適用されなければならない。米国や友好国にも同じ基準を求めてこそ、人権と法の支配を掲げる意味がある。西側への批判を、ロシアや中国の権力政治への追随に置き換える理由もない。

アフガニスタンの経験は、この問題を身近にする。ソ連やアメリカが何十年もかけて実践した軍事介入による国家建設は、女性や子どもが安心して生きる社会を保障できなかった。だからといって、ターリバーンによる教育と自由の剥奪を容認することはできない。大国の失敗と現地支配者の抑圧の双方を批判し、人々の暮らしと権利を擁護する。それが『ウエッブ・アフガン』の立場である。

日本に必要なのは、衰退を恐れて強者に従う政治ではなく、自ら社会を立て直す政治への転換だ。外国人を含め、ここで働き暮らす人々の賃金、住まい、教育、医療を支え、戦争を防ぐ外交に力を注ぐ。西洋の敗北を傍観する余裕はない。その失敗を継承しないために、われわれ自身の政治を変えなければならない。

【野口壽一】

 

【1】今日の危機を生み出した西洋の傲慢さ
https://webafghan.jp/owen-jones-west-decline/

【2】「エマニュエル・トッドは、2024年の『西洋の敗北』で西洋の内部的衰弱を論じた。」
<視点:152>「分断」と「対立」を超えよう~愛国心と人類的良心の両立~
https://webafghan.jp/siten152/

【3】フランシス・フクヤマ:アメリカの右派は完全に常軌を逸している
https://webafghan.jp/francis-fukuyama/

【4】首相官邸「基本方針」2026年9月17日
https://www.kantei.go.jp/jp/pages/20260917kihonhoushin.html

【5】首相官邸「高市内閣総理大臣記者会見」2026年7月27日
https://www.kantei.go.jp/jp/105/statement/2026/0727kaiken.html

【6】首相官邸「第221回国会における高市内閣総理大臣施政方針演説」2026年2月20日
https://www.kantei.go.jp/jp/105/statement/2026/0220shiseihoshin.html