Owen Jones: Western Hubris Created Today’s Crisis
(WAJ: イギリスでは2年前の2024年、保守党から労働党に政権が交代した。さらに3カ月前の7月にはスターマー氏からバーナム氏に労働党政権内で首相が交代した。首相交代の背景にはスターマー氏では生活改善への期待に応えられないとの批判が強まり、かつ福祉やガザへの対応をめぐって左派の反発が広がったことがあった。
イギリスでは現在、6年前のEU離脱の成否をめぐって議論の再燃もあり、かつまた与党を替えても、生活費、住宅、医療などの問題が十分に改善しないという不満があり、同じ労働党政権内での首相交代と路線の修正がなされている。このインタビューでは、そのようなイギリスにおける政策の混乱をみつつ、西側世界全体の衰退とそこからくる危機からの脱出について語られている。
西洋世界の没落については2年前にエマニエル・トッド氏の『西洋の敗北』が出版され話題になっている。オーウェン・ジョーンズ氏は英国の左派ジャーナリストで『ガーディアン』紙のコラムニストとして、格差や労働者への偏見、戦争を批判。著書に『チャヴズ』『西側の没落』などがある。)
2026年9月30日
語る人:オーウェン・ジョーンズ
聞き手:ジョン=バプティスト・オドゥオール(アメリカの左派系政治文化雑誌『Jacobin(ジャコビン)』の副編集長)

オーウェン・ジョーンズ氏
【ジャコビン誌リード】
『ジャコビン』のインタビューに応じたオーウェン・ジョーンズは、緊縮政策、生活水準の低下、旧来の政治秩序の崩壊が、右派につけ込む余地を与えたと論じる。
2011年、オーウェン・ジョーンズは『チャヴズ――労働者階級の悪魔化』を出版し、英国で最も鋭い政治評論家のひとりとしての評価を確かなものにした。史上最長の労働党政権が終わった後、ジョーンズが問うたのは、労働者階級の人々が、エリートだけでなく、本来その利益に奉仕するために存在するはずの政党の代表者たちからまで、なぜ中傷されるようになったのかということであった。続いて2014年には、英国の強大なエリート層を研究した『エスタブリッシュメント――そして、彼らはいかにして責任を逃れるのか』を刊行した。
最新作『西側の没落――彼らはいかにして敗れたのか』は、「歴史の終わり」と呼ばれるようになった1990年代以降に現れた、危険でヒステリックな政治を検討している。ジョーンズにとって、保守派の論客が執拗に論じる西側の衰退を引き起こしているのは、移民でも、自由主義の寛容な文化でもない。数十年に及ぶ新自由主義がもたらした、自らを傷つける行為なのである。
15歳で労働党に入党したものの、2年前に離党したジョーンズは、同党の党大会の翌日、『ジャコビン』のインタビューに応じた。ここでは、アンドリュー・バーナム政権の発足初期における穏健左派の強さ、西側の衰退をめぐる右派の恐慌的反応の起源、そして社会主義者が実際に力を築くために必要とする組織のあり方を論じている。
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ジョン=バプティスト・オドゥオール:
労働党大会から戻ったばかりだが、どのような印象を受けたか。
オーウェン・ジョーンズ:
私は約2年半前に労働党を離れた。それが精神衛生に非常によかったことは明らかだし、党から距離を置くことはかなり役に立っている。昨年も大会に出席したが、スターマー主義末期の最盛期には、至るところに死臭が漂っていた。今は穏健左派が、かなり勝ち誇った気分になっている。彼らはまた、緑の党からの左派の挑戦を退けられると考えている。彼らの目には、その挑戦は労働党の存立を脅かすものと映っていた。
しかし、最も気がかりな両面性が見えたのは、やはりパレスチナをめぐる制裁での限定的な政策転換である。それを実現できたのは、街頭での大衆運動があったからにほかならない。その転換が到底十分でないことは明らかだが、だからといって人々を運動から遠ざけ、活動や組織化には意味がないと思わせてはならない。大衆的な圧力によって成果を勝ち取ることはできる。人々が闘いと組織化を続けるよう励ます必要がある。
オドゥオール:
バーナムが前任者から学んだと思われる教訓のひとつは、キア・スターマーの問題は情報発信の問題だった、ということである。必要なのは、ゾーラン・マムダニ風の華やかな動画を作り、左派の人々の懸念に耳を傾けているという印象を与えることだ。自分が精力的に働いている映像でメディアを埋め尽くせるなら、それを必ずしも左派的な政策綱領に結びつける必要はない。中道左派系メディアの多くは、バーナムの言葉を額面どおりに受け止めている。彼が提供しているのは、広報を改善したスターマー主義だと見るか。それとも、本当の変化があったと考えるか。
ジョーンズ:
スターマー主義は、実際以上に右派的であるかのように振る舞っていた。彼が少しでも左派だったと言っているのではない。しかし彼は、冬季燃料手当の削減を皮切りに、障害者給付への攻撃、いわゆる財政ルール〔財政抑制のための規則〕への固執、そして政府による「パレスチナ・アクション」への弾圧に象徴される権威主義など、政策の最も反動的な部分を強調していた。
私に言わせれば、バーナムが行っているのは、その政策にすでに存在していた穏やかな社会民主主義的要素を前面に出し、それらを分析と構想によって結びつけようとすることだ。つまり、鉄道の部分的な国有化、労働者の権利の小幅な改善、特定分野への投資拡大が、今やひとつの分析と構想のもとに結びつけられようとしている。以前は、そうしたものがなかった。今では、実質を変えないまま、新自由主義を終わらせるという話がなされている。
オドゥオール:
労働党に対する主な挑戦は、ザック・ポランスキー率いる緑の党から生じている。彼は、緊縮政策とガザでのジェノサイドに対する労働党の立場に不満を抱く人々を、連合として動員することに成功した。この支持層は、2024年に労働党に対抗して立候補し、当選した無所属議員たちを支えた有権者集団と同様、労働党のイスラム嫌悪と強硬姿勢に不満を持つイスラム教徒と、進歩的な左派の人々から構成されている。この連合はどのように生まれたのか。
ジョーンズ:
その選挙上の連合は、主にイングランドの都市部に存在する。ここで話しているのは緑の党とさまざまな無所属候補についてである。というのも、ウェールズでは別の動きがあり、プライド・カムリ〔ウェールズ党〕が、不満を抱く左派の支持を集めているからだ。スコットランドには、スコットランド国民党とスコットランド緑の党をめぐる動きがある。
グレーター・マンチェスター、ブリストル、バーミンガム、シェフィールドなど、イングランドの都市や一部の町では、イスラエルのジェノサイドによって心を揺さぶられてきたイスラム教徒の有権者がいる。この点は常に強調することが重要だと思う。しかし、その不満はジェノサイド以前から存在していた。ジェノサイドが始まる前から、イスラム教徒の労働党離れは見られた。その原因は、イスラム嫌悪、いわゆる「対テロ戦争」、イラク戦争やアフガニスタン、リビアでの戦争が残したものにある。対テロ戦争の間、イスラム教徒がいかに「異質な他者」として扱われてきたかという問題なのだ。
また、イスラム教徒が不釣り合いに高い貧困率と失業率に苦しみ、差別に直面していることも原因である。それらすべてが重なり、彼らの政治意識を高めてきた。もちろん、イスラム教徒の有権者と話せば、住宅や国民保健サービス〔NHS〕など、自分たちの生活に影響している問題を語ることも多い。
英国には約400万人のイスラム教徒がいる。彼らは都市部の若い有権者との連合の一部になっている。この若者たちは、しばしば不安定な雇用に就き、多様な人々が暮らす地域で民間の賃貸住宅に住んでいる。イスラエルのジェノサイドは、人々の政治意識を高めた要因のひとつだ。しかし、長年の緊縮政策や、2008年以降の前例のない賃金の圧迫も、その要因である。
ここで重要なのは、何百万人もの人々が突然、政治意識を持つ社会主義者になった、と私が主張しているわけではないということだ。そうであってほしいとは思う。だが、活動家の運動の外にいる人々の大多数は、自分をそのようには表現しないだろう。それでも、以前には存在しなかったような、非常に政治意識の高い支持層が生まれているのは確かだ。
政治的な出来事が、波のように相次いできた。最初の大きな波はイラク戦争だった。次に金融危機と緊縮政策があり、ときに忘れられる新型コロナウイルス感染症の社会的・経済的影響があった。そしてジェノサイド、さらには英国の壊れた経済・社会制度に対するスターマーの不十分な対応が続いた。
問題は、バーナム主義の矛盾がいつ表面化するかである。それは〔来月〕予算が発表されるときになる可能性が高いと思う。労働党によるトリプルロック〔物価上昇に対応して公的年金額を毎年引き上げる仕組み〕への攻撃に、その前兆を見ることができる。これを廃止すれば、将来、若者たちが打撃を受ける。若者も、いずれ年金を受け取りたいと願う人々だからだ。
しかし今、緑の党が何を言い、何をしようとも、バーナム主義の蜜月期には苦戦するだろう。バーナム主義は左側からの圧力によって生まれ、その圧力に対処して労働党の主導権を回復しようとしている。労働党指導部の一部には、進歩派の支持層に対する主導権を永久に失うのではないかという本物の恐れがあった。今、彼らが力を注いでいるのは、その主導権の回復である。だが、根底にある本質的な問題は、再び姿を現すだろう。
オドゥオール:
あなたは著書で、西側の民主主義諸国が直面する問題の多くは、1990年代の「歴史の終わり」の時期以降に下した、誤った判断の産物だと論じている。
ジョーンズ:
没落をもたらしたのは、冷戦終結後の経済的、軍事的、道徳的な勝利主義だった。1990年代、西側は、投資よりも収奪を基礎とし、脱工業化をますます進め、物を生産する代わりに複雑さを増す金融商品を生み出す、金融化のいっそう進んだ制度を作り上げた。企業は、自社株買いや配当という形で、ますます多くの資金を株主に渡すようになった。金融危機の前から、膨大な数の人々の賃金が停滞し、低下していた。
次に、同じ原理に基づく軍事的冒険主義が現れた。「われわれは勝った。歴史は終わった。軍事的な敵はもう存在しないのだから、自分たちの思いどおりに行動できる」というものだ。そのすべてを、道徳的な勝利主義が支えていた。
これらの力が衝突した。〔イラクとアフガニスタンでの〕戦争には巨額の費用がかかり、米国の場合には、莫大な資金が経済から戦争へ振り向けられ、金融危機が起きたときの経済を脆弱にしていた。同時に、極右がこれほど台頭したのは、「ほかに選択肢はない」という教義が、私の言う「大逆転」にぶつかったからである。
従来の制度を立て直すために、生活水準、生活の安定、公共の領域、経済的・社会的権利に対する全面的な攻撃が行われた。その結果、人々は、ますます乏しくなる資源を奪い合うゼロサム・ゲームのなかにいると考えるようになった。同じ時期に、西側の戦争が生み出した不安定化によって人々の移動が促され、それが惨状の責任を負わされるスケープゴートになった。
この経済制度に代案がないのなら、暮らしを改善するには競争相手を取り除くしかないと、人々は感じるようになった。あるいは、そう信じるよう仕向けられた。その競争相手とは、移民や難民、そしてさまざまな烙印を押された少数者である。とりわけ対テロ戦争の時代、極右はこれを糧にしてきた。この文脈で、イスラム教徒は人種的な集団であるかのように括られ、社会の存立を脅かす存在に仕立てられてきた。
オドゥオール:
あなたは著書で、現在も続くロシアとウクライナの戦争が、この西側の傲慢と関係していると論じている。その点を説明してほしい。
ジョーンズ:
ロシアの場合、経済的な勝利主義と軍事的な勝利主義がぶつかり合うのが見て取れる。ソ連崩壊後、「ショック療法」が推進された。それは、1991年以降の勝利主義にとって、王冠を飾る宝石のような存在だった。
ロシアのエリートたちは、頭に銃を突きつけられていたわけではない。レフ・トロツキーは『裏切られた革命』で、ソ連の官僚層には財産権がないと指摘していた。彼らは国家から与えられた特権を持っていたが、階級ではなく、カーストだった。資本主義が復活すれば、彼らは階級になり得るとトロツキーは予測した。特権を持つ代わりに、財産権を持つようになるというのだ。
その変化を受け入れたソ連官僚層の一部が、新たないわゆるオリガルヒ層になることで、まさにそれが起きた。資本主義の勝利主義が支配していた時代のことである。西側では新自由主義が覇権を握り、西側の国家、経済学者、国際通貨基金〔IMF〕を含む諸機関が、それを積極的に推進した。
その結果、ロシアは工業国として平時に経験したもののなかで、最悪の経済崩壊に見舞われた。唯一の例外は、同時期にそれをわずかに上回る経済崩壊を経験したウクライナである。私は本書のために、米国大使館で首席政治分析官を務めていたウェイン・メリーに取材した。彼は、どのような意味でも左派ではない。しかし、ショック療法の政治的・経済的な帰結を目の当たりにしていた。
彼が見たのは、社会が崩れ、平均寿命が急落し、健康状態が悪化し、貧困が爆発的に広がる姿だった。人々は路上で物乞いをし、飢えていた。1994年、彼は覚書を送り、ロシアは当時、親西側の指導者が率いる親西側の国家であったものの、この状況が続けば反民主主義的・反西側的勢力が勝利し、西側とロシアは再び敵対関係に戻ることになると警告した。
同時に、NATOと西側の軍事ブロックがロシアの方向へ拡大する問題があった。「封じ込め」という言葉を生み出し、戦後の対ソ封じ込め政策を設計した米国の外交官ジョージ・F・ケナンは、ソ連の武力行使まで擁護するような強硬左派ではなかった。ソ連が崩壊しつつあったとき、西側はソ連指導部に対し、NATOを拡大しないと約束していた。機密解除された文書によれば、西側の内々の認識は、ロシアは弱体化しているが、いつまでもそうではない、というものだった。ロシアが弱体化したのは、経済崩壊と西側が推進した政策のためだった。そのロシアが弱く、抵抗できない間に、NATOを可能な限り拡大すべきだと考えられていた。それは一種の保険であり、封じ込めの一形態だった。
ケナンをはじめとする米国の体制内部の人々は、それがロシアの敵意を招くと警告した。ロシアの親西側エリートでさえ、この動きに激怒した。彼らの反応は、部分的にはロシア社会の感情を反映していた。
経済的な荒廃、それによって生じた大衆の怒りと幻滅、そして西側に対する屈辱感が重なった。同時に、ボリス・エリツィンは、西側の積極的な支持を受けながら、1993年に議会を砲撃し、数百人を殺害した可能性がある。1996年の大統領選挙では、西側の支援を受けて不正操作を進めた。そのことが、ロシアで民主主義という概念の信用を損なう一因となった。人々が、民主主義と呼ばれていたものを、寡頭制的で権威主義的な、非民主的体制と結びつけて考えるようになったからである。
私は、何もかもが常に西側のせいだと言っているのではない。他の要因も、他の社会的勢力も作用している。しかし、プーチン主義が生まれる条件を作り出すうえで、西側は決定的な役割を果たした。そうではなかったふりをしても無意味だ。それが実際に起きたことなのである。
オドゥオール:
あなたの議論には、西側の衰退を、全面的にエリートの選択の産物として扱っているように見える箇所がある。しかし、エリートたちも現実の構造的制約に直面していたのではないか。中国が成長する世界で、欧州の産業が競争力を欠いていることは現実である。出生率の低下も現実だ。そして、働く人々と扶養される人々の比率が大きく変わる世界では、それが西側の民主主義諸国の課税基盤に及ぼす影響も現実である。同様に、左派の支持層のかなりの部分が、国連や欧州連合のような超国家的で反民主的な機関に強い期待を寄せていることが、左派の政治を実践上、一貫性のないものにしている。
これらは、判断の誤りに還元できる問題ではないように思われる。左派が示す代案には、もっと深い問題があるのではないか。
ジョーンズ:
まず、西側はいずれにせよ衰退していただろう。本書で私が論じているのは、西側の衰退は不可避だったということだ。勝利主義について私が言いたいのは、それが衰退を混乱に満ちたものにするということである。物質的な条件に照らした実際の力よりも、自分たちが強いかのように西側が振る舞うからだ。その経済的優位は、明らかに問題を引き起こす。エリートに利益をもたらし、投資よりも収奪を重視する経済制度にいっそう固執することで、西側は悲惨な結果を生み出している。軍事的冒険主義は、西側の軍事的優位が、彼らの考えていたような形で存在していたことを前提とする。これは、勝利主義が現実に衝突する事例である。
西側の衰退はもともと避けられなかったが、西側のエリートが「歴史の終わり」という機会を自分たちの利益のために都合よく利用したため、混乱を伴うものになった。この点を強調することが重要である。
左派が直面する、より広い課題について言えば、もちろん、投資よりも収奪に基づく経済秩序が存在することや、労働より資本に有利な方向へ力関係が変わったことだけが問題なのではない。西側社会には、私たちが取り組まなければならない、さらに広い構造的問題がある。それは間違いない。人口の高齢化はその一例である。
左派がかつて乗り越えようとしていた、旧来の社会民主主義的な合意を復活させたとしても、それは、より広い課税基盤に支えられていた。〔2010年に成立した保守党と自由民主党の〕連立政権が巧妙に行ったことのひとつは、その基盤をいっそう弱めることだった。したがって、単に上位5%の人々や大企業への課税を増やすだけで、必要な税収が得られるかどうかは明らかではない。
本書は、西側一般を論じたものではない。西側がなぜ混乱を伴いながら衰退しているのか、そして、それがいかに極右の権威主義の台頭と復活につながったのかを扱っている。
左派は2010年代に、政治勢力として再び姿を現し始めた。金融危機が起きた2008年には、意味のある、まとまりを持った勢力としては存在していなかった。分裂しており、何を支持するかではなく、何に反対するかによって自らを規定していた。資本主義的グローバル化の世界についても、冷戦終結に伴う勝利主義が終わることについても、それが左派や労働運動の被った敗北にとって何を意味するかについても、一貫した構想を持っていなかった。
2010年代半ばになると、コービン主義、シリザ、ポデモス、バーニー・サンダース、ジャン=リュック・メランション、そして同様の運動を通じて、左派は再び姿を現し始めた。しかし、これらの運動には、すでに蓄積された政治経験や、確立した経済構想が備わっていなかった。突然、きわめて不利な政治状況に置かれ、そのなかで同時に学ばなければならなかった。
経済制度の基本的な問題にとどまらない、あらゆる課題を含め、現実の世界に対応する構想を練るという点で、左派は知的には以前よりはるかによい位置にある。しかし、それは内部の矛盾をすべて解決したという意味ではない。
左派の連合には、社会的に進歩的な人々も、社会的に保守的な人々も含まれる。既存の制度に対して、他の人々より多くの幻想を抱いている人々もいる。経済秩序への挑戦より、社会的な進歩を重視する人々もいる。
だからこそ、左派にとっての危険は、とりわけ、少数者の権利と要求に対する人為的に作り出された反動である、いわゆる「文化戦争」のなかで、アイデンティティ政治に取りつかれているかのように戯画化されるのを許すことだと私は考える。階級という視点を取り除くと、そういうことが起きる。
マムダニは、移民やトランスジェンダーの人々を切り捨ててはいない。左派の連合内部の分断を乗り越え、人々を結びつける経済問題に焦点を合わせてきた。彼に投票し、彼を支持する人々のなかには、トランスジェンダーの人々や移民について望ましくない政治的見解を持つ人々も、明らかにいる。しかし、彼はその人々に何も譲歩していない。放っておけば分裂してしまう連合を、何が結びつけるのかに焦点を合わせている。私たちが学ぶべきなのは、その点だと思う。
オドゥオール:
マムダニは、ある面では、アメリカ民主社会主義者〔DSA〕という組織の産物でもある。DSAは、政治教育や幹部育成を行うことのできる、政党に似た組織である。英国にはそれに相当するものが存在しない。主流政党の外にありながら、その政党に働きかけることのできる同様の組織を作ろうとする試みは、大半が失敗してきた。選挙を通じた力を有効に行使するために、左派には政党のような構造を持つ組織が必要だと考えるか。
ジョーンズ:
そう思う。英国でそのような組織が生まれていないのは、状況が異なるからだ。米国の民主党は、欧州でいう意味での政党とは、実際にはかなり違う。その形の定まらなさの負の側面は、伝統的に企業の利害に支配され、民主的な組織構造を欠いていることである。一方、英国では、労働党党首がある候補者を排除したいと思えば、簡単にそうできる。スターマーがやろうとしたのは、それだった。彼は労働党内の左派を粛清した。
民主党では、それはできない。誰かを恣意的に排除することはできないのだ。アレクサンドリア・オカシオ=コルテスが何を言い、何をしようとも、彼女を追い出すことはできない。できるのは、そして米国イスラエル公共問題委員会〔AIPAC〕が実際に行ってきたのは、巨額の資金を使って候補者を落選させることだ。例えば、コリ・ブッシュはそれによって議席を失った。しかし、この戦略は行き詰まったと思う。AIPACへの反発が非常に強くなり、効果が薄れているからだ。
私たちの生きる時代には、インターネットのおかげもあって、左派は大衆的な規模で資金を集めることができる。左派でその先駆者となったのは、バーニー・サンダースだった。オンラインのクラウドファンディングを通じて、以前にはできなかった形で、政治における巨額資金の力に対抗することができる。
DSAは、民主党内に入り込んで組織を変えようとする「加入戦術」の組織ではないため、正式な政党政治と距離を置いて存在することができる。そのような活動が可能なのは、民主党が輪郭の曖昧な政党であり、各候補者が、候補者個人を中心とする性格のきわめて強い予備選挙を通じて選ばれるからだ。その競争では、候補者を選出させるための資金や資源を蓄え、草の根の活動家の大軍を築くことが必要になる。
英国では、そのようにはできない。代わりに存在するのは、労働党の全国執行委員会が候補者の一次名簿と最終候補名簿を作る、閉鎖的な選考制度である。そこでは、AOC〔オカシオ=コルテス〕のような人物が選ばれるのを、簡単に阻止できる。
だからこそ、左派の候補者は、主として緑の党を通じて登場しなければならない。そこには進歩的な人々の層があり、自ら名乗りを上げたい人は誰でもそうできる。特定の議席の候補者に選ばれるために、党内で大規模な競争に巻き込まれることもない。
オドゥオール:
本誌と縁のあるアントン・イェーガーは、『ハイパーポリティクス』という本を出版した。その論点のひとつは、組織や制度の解体が左派に与えた影響についてである。英国には、きわめて強固に制度化された中道左派がある。そのため、外部の人々は労働党に挑戦できない。一方、米国では左派がきわめて弱く、組織的な基盤を欠いているため、外部の人々が、少なくとも予備選挙では、民主党を掌握することができる。
私には、マムダニを羨む気持ちが、しばしば米国政治の分裂状態を羨む気持ちにつながっているように見える。しかし、その分裂状態は、ある種の混乱への扉を開く。
ジョーンズ:
私は、いくつかのDSA大会の動画の切り抜きを見たことがある。私が見たものは、たいてい右派のアカウントが怒りを煽るために投稿したものなので、それをもとに言うのは気が引ける。しかし、あれほど開放的な組織のなかで政治的な議論がどう行われているのかについて、懸念を抱かずにはいられない。発言が拡散されたあの人物への集中攻撃に加わりたくはないので、この話はここまでにしておく。
問題は、包摂的で、とりわけ十分に代表されてこなかった少数者が自らの声を反映できる政治環境が必要だということだ。これは、今も左派にとって大きな問題である。特権的な境遇の出身者が結局は主導権を握ることが多く、私たちはそれを正さなければならない。
同時に、ヤシャ・モンクが『アイデンティティの罠』で述べたことには、一理あると思う。彼は、当事者としての実体験とされるものに、人々が異議を差し挟まず従う文化が生まれたと論じていた。それは相反する結果を生むことがある。異なる実体験を持つ人々の間に、対立が生じるからだ。そして、その対立を解決するのは非常に難しい場合がある。
規律は権威主義的であるとか、包摂的ではないと見なされるため、規律そのものへの恐れが生まれることがある。しかし、必要なのは規律であり、指導力であり、焦点を定めることであり、人々の現実の物質的な生活条件に取り組む左派である。労働者階級が現に置かれている状況に即して語り、その人々が優先する課題に取り組まなければならない。そうしなければ、大衆的な支持を得ることは決してできない。
マムダニは、そのよい例である。彼は、私がこれまで見たなかで、最も自分を律している人物かもしれない。誰かにやじを飛ばされると、彼は議論を生活費の問題に戻す。「あのやじを飛ばす人が、これからも私にやじを飛ばし続けられるように、ニューヨークで暮らす権利のために闘いたい」と言うのだ。
少数者を見捨てたり、犠牲にしたりする左派に、私は加わりたくないし、そのようなものは左派の名に値しない。だからといって、労働者階級を、多様な人々から成る「虹の連合」として結びつけることに力を注ぐ左派を築けない、ということではない。