The UN’s Capitulation to the Taliban

For decades, the United Nations has failed Afghanistan.

何十年もの間、国連はアフガニスタンを失敗させてきた。

 

(WAJ: アフガニスタンの政治家でもあったモラディアン氏は、アフガニスタンの混乱の歴史のなかで国連が果たした負の側面を抉り出している。それはソ連占領時代もアメリカ占領時代も変わらなかった。政治や社会や軍事の混乱の場は国際官僚としての国連職員の就職と出世の舞台でもあり、諸国国民やそこから上がる上納金や税金はかれらの運用資金でもある。その現実を暴露しつつもモラディアン氏は、南アのアパルトヘイトを廃止に追い込んだ国連の業績を例に挙げ、国連が果たすべき、また果たすことのできる役割を抽出している。すべての存在には裏と表があり二重性がある。われわれはその現実を見据えたうえで、善なる要素が発揮されるよう、現実と格闘する必要がある。)

 

2024年7月5日

ダブード・モラディアン
出典:ディプロマット(MHTコーポレーションの外交時事専門誌)

多くの主人公や共演者がひしめくアフガニスタン情勢において、国連は永く際立った存在であり続けてきた。しかし、同時に国連は世間に監視され説明責任を果たすことからうまく逃れてきた。閉幕したばかりのドーハ会議は国連が提供するこの種の3回目の会議だったが、その場からアフガニスタンの女性​​と市民社会の代表を排除するという自らの決定を下した。そのため、とうとう国連は世間体もはばからず、道徳的権威をかなぐり捨て、無能の烙印を受けてしまった。ただし、そのことは不幸中の幸いとなるかも知れない。

数十年にわたるアフガニスタン紛争における国連の役割は、紛争そのものと同じくらい古い。ソ連軍がアフガニスタンを占領したわずか数日後の1980年1月9日に、国連安全保障理事会はアフガニスタンに関する最初の決議(第46号)を出した。その後、アフガニスタンはアラブ・イスラエル紛争と並んで、国連による介入、決議、誘導の数を競ってきた。

 

果たされなかった使命

国連のグローバルな役割は、その本質的に矛盾した構造と使命を反映している。国連では3つの相反する力が駆け引を繰り返している。つまり、加盟国とくに安全保障理事会の5常任理事国、人権を中心とする国連憲章、そして渦巻く国連の官僚組織である。

国連のメンバーたる国家が代表するのはホッブズ(訳注:17世紀イギリスの哲学者で、自由気ままだった個人が「このままでは共倒れだ」と気づき、社会契約を結び安全で強固な国家を作ったと考えたが、それを転じて自由気ままな国家が国際的に協調して強固な国連を生み出す、と考える)的世界だ。つまり各国は他のどんなことよりも自国の利益を優先するという考えが根本にある。一方、国連憲章を生み出した時代潮流はもちろん人権の尊重である。その背景にはカント(訳注:18世紀ドイツの哲学者で、「永遠平和のために」という本を著し、大国・小国関わらず各国が平等に主権を分け持つ国際機構の必要性を説き、それが国際連盟や国際連合の形成に影響を及ぼした)的世界がある。ホッブズとカント、この両世界の間に、国連内部の政治と力学がうごめいている。国連はまさに世界的な官僚組織であり、米国の世界をめぐる外交的存在と機能にいつか取って代わる。国民の監視や説明責任から解放され、政治機関というよりも、組織化された宗教に近い。

アフガニスタンにおける国連の50年にわたる役割と存在は、その無能ぶりを例証している。アフガニスタンにおける紛争の様々な局面において、国連は紛争を防ぐことに失敗しただけでなく、紛争解決や調停努力におけるその役割は、既存の紛争をさらに悪化させた(訳注:国連がPDPA政権を崩壊に導いたプロセスは『わが政府 各崩壊せり』に詳しい)。ジュネーブ協定(1988年)は、和平合意を叫んだ都合のいい詰め合わせ協定だったが、ソ連軍の秩序ある撤退だけが、首尾良く合意の通り事が運んだ。ターリバーンとアメリカの間の2020年2月のドーハ和平合意も同様の運命をたどった。つまり、米軍の安全な撤退と、それ以外は政治的、人道的、安全保障上の無策・無効果である。いずれの場合も、2つの超大国による国連の乱用は、国連自体の消極性、不十分さ、失策によってさらに悪化した。

アフガニスタンの民主化促進と人権保護に関する国連の実績は、その殺伐とした平和構築努力の外へ出ない。ボン会議(訳注:ドイツのボン近郊にて11月27日から12月5日まで開催された国連の呼びかけによるアフガニスタン各派代表者による新政権樹立に向けた協議のための会合。ここにはターリバーン代表は呼ばれなかった)は2001年末のターリバーン崩壊の余波の中で招集された。その結果、ボン合意と立派なとるべき道筋が決まった。会議自体は確かに最重要な節目だった。しかし、ワシントンの工作、国連の手助け、アフガニスタンのエリートたちのいがみ合いと腐敗によって反古にされた。アフガン暫定行政機構議長選挙(2001年12月)、暫定政府大統領選挙(2002年7月)、第2回、第3回、第4回大統領選挙(2009年、2014年、2019年)において、最終的な当選者(ハミド・カルザイとアシュラフ・ガニー)を選んだのはアフガン国民ではない。ザルメイ・ハリルザド特使(2001年、2002年、2019年)、リチャード・ホルブルック特使(2009年)、ジョン・ケリー特使(2014年)によって選ばれた。国連機関と特使たちは、アフガニスタンの政治を立て直す民主的な投票に反して、ワシントンの介入を呼び込み手助けした。まさに米国の「犯罪者仲間」として行動した。

アフガニスタンにおける国連の人道的役割もまた、失敗、秘密主義、浪費、汚職、そしてターリバーンの専制支配への手助けによって特徴づけられている。1980年代初頭以来、30以上の国連機関がアフガニスタンで活動してきた。何十年も前から存在し、何十億ドルも費やしてきたにもかかわらず、持続可能で変革的な改善を示した証左はなく、成功した分野はひとつもなかった。この現実は、2021年8月にターリバーンが政権を掌握し、国連機関が実質的に公共サービスを提供する「事実上の政府」の役回りをし始めて以来、より鮮明になっている。2021年8月以降、アフガニスタンへの支援は米国だけで112億1000万ドルに上る。国連自身が認めているように、アフガニスタンの人口の50%以上、約2370万人が人道支援を必要としている。ところが国連の呼びかけでドナーが金を出すのだが、破綻した公共サービス提供者の例に漏れない。つまり「盗人に追銭」で、有意義な改革や公的説明責任、透明性などお構いなしだ。 国連は、アフガニスタンの復興プロジェクトや活動を独立的かつ客観的に監視するためにアメリカ議会によって設立された機関であるアフガニスタン復興特別監察官(SIGAR)への回答さえ拒否している。

 

国連とターリバーンの浮気関係

国連とターリバーンの関係は、本質的にはその不本意なパフォーマンスとまさに一致し、例外はない。2007年12月、アフガニスタン政府は、ターリバーンへ資金供与をした疑いおよび、ターリバーンとの無許可の接触の廉で、国連とEUの上級外交官2人を逮捕し、その後追放した。ターリバーンと国連、特に地方レベルでの緊密で親密な交流は公然の秘密である。他の利害関係者と同様、国連は当初ワシントンとターリバーンの交渉から完全に排除されていた。しかし、ターリバーンの乗っ取り以来、アメリカはターリバーンとの運命的な和平合意の残りの条項を完成させるために国連を引っ張り出したようだ。そのために、2023年12月、国連安全保障理事会決議(第2721号)は、事務総長に独立した評価を依頼し、特使を任命するよう要請した。

こうして関与を始めた国連は間もなく、勝利したターリバーンの全体主義的アジェンダ、アフガニスタンをめぐって繰り返される大国間競争、そして国連本来の矛盾した構造に直面することになった。ジェンダー・アパルトヘイト政策を強制するため、ターリバーンは国連機関を含む官公庁で働くすべての女性労働者の解雇を命じた。ターリバーンにアフガニスタンの女性国連職員を禁止対象から除外させようと、国連はアフガニスタンでの活動を停止すると脅した。ターリバーンは国連のハッタリをものともしなかった。国連は最終的にターリバーンの命令に屈し、アフガニスタンの女性職員を活動停止に追い込んだ。

ターリバーンは、安保理決議第2679号によって義務づけられた独立評価に関して、国連を出し抜くことによって、また新たな外交的勝利を手にした。彼らは、評価の特別調整官にトルコの引退外交官フェリドゥン・シニルリョグルが任命される前からまだその議論中に、自分たちはその人選を歓迎するとほのめかし、好意的な評価を引き出した印象がある。ひとたびターリバーンに友好的な国連評価全体が発表されると、ターリバーンはその調査結果の主要部分を受け入れたものの、特別調査官の任命には異を唱えた。

ターリバーンはさらに2つの外交的勝利を収めることで、成功した搾取外交をさらに発展させた。国連がこのほど提供した会議への出席を約束した見返りとして、ターリバーンは議題を好き勝手に取捨選択できた。気候変動、民間セクター、銀行、人道支援の問題は残して、政治、人権、女性の権利に関する議題を取り扱わぬよう国連に強要した。さらにターリバーンは女性や市民社会の代表を会議から排除することも要求した。国連は結局、ターリバーンの2つの追加要求に屈した。ターリバーンの国連への侮辱は、彼らがこの会議の代表団長にターリバーンの首席報道官を選んだことでさらに決定的なものとなった。

 

進むべき道

代理戦争、政略、軽業的外交、エリートたちへの工作によって、アフガニスタンの国民、特に女性たちは計り知れない苦しみを強いられ、域内の平和と世界の安全保障に深刻な影響を及ぼしている。

米国とターリバーンによるどん詰まりのドーハ協定を復活させるという破滅的な試みの代わりに、国連はその中核的使命と基礎的価値観に立ち返り、アフガニスタン市民に自分たちの未来を形作る権限を与える民主的政治プロセスを開始しなければならない。国連お抱えの人権専門家によれば、ターリバーンは世界初のジェンダー・アパルトヘイト体制を確立した。国連は、南アフリカでは人種的アパルトヘイト体制に立ち向かい、最終的に解体する上で重要な役割を果たした。アフガニスタンでも同様の役割を果たす必要がある。国連安全保障理事会の常任理事国であれ、専制的で女嫌いのターリバーンであれ、権力者に迎合することは、国連の前身である国際連盟がたどった滅亡への道を加速させるだけだ。

 

 

GUEST AUTHOR
Davood Moradian

アフガン戦略研究所(AISS)所長。ターリバーンによる占領後、英国に移転。モラディアン博士は、アフガニスタン前政権(2005~14年)で大統領府、外務省、国家安全保障会議などでさまざまな職務に携わった。また、セント・アンドリュース大学(スコットランド)やアフガニスタン・アメリカン大学でも教鞭をとった。

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