2026年9月23日
金子 明

 

人がまた等しき人の足になる日本の名物人力車かな

裏も表もない? 詠まれたまんまの歌である。人力車の客は金に物を言わせて車夫を走らせ、自分はのんびりと座席で目的地への到着を待つ。その金は客自身も必死で働き、手にした物だから、悪びれる必要はない。当然の権利だ。ほら! これでお前も食いつなげただろう。

それは差別とも不平等とも無縁の真っ当な経済活動だ。だが詠み手の金子文子はどうも合点がいかなかった。彼女が生きた100年前の日本はまだ人権意識が芽生えたばかり、巷には差別の構図がそこいらじゅうに転がっていた、それが今との違いだね、と安心するのは容易い。

当時、金子たち運動家が「敵はブルジョワだ! 天皇を頂点とした帝国主義を倒せ!」などと叫ぶのには意味があった。ところが今、ほとんどの国民は前者の気分で、ボスを残しつつ後者は倒れた。平和だ、平等だ、幸福だ(たとえ幻影であったにしても)。なのに、それではつまらないのか、意識の高い、何かしらやり遂げねば気のすまぬ人々は、温暖化とか電脳の脅威とか一党独裁とかをネタに、心配ごっこを楽しむ。暇だね。

一方、皇太子爆殺を計画したとの自白だけで死刑になり、改元を祝う恩赦で無期懲役に減じられ、悔しさのあまりか獄中で首を吊って死んだのが金子文子(享年23)。生前、虚無主義を矜持とし、「全てをぶっ壊したい」と吐き捨てた。それが彼女の思いの枝葉だったとすれば、この歌にはその幹が見て取れるのではないか。

時代が変わって「人力車」はもう流行らない。しかし金子の言う「人がまた等しき人の足になる日本の名物」という指摘は普遍的だ。もちろん、今では日本だろうが世界だろうが変わるまい。そんじょそこらの、いわゆる「名物」には今後も十分に注意を払おう。

だって、人々が麦畑で遊びまわって崖から落ちそうになったとき、パッと現れて腕をとり、転落死を防ぐのは誰か? それは決してどこかのスーパーヒーローではなく、どこにでもいる平凡な私たちなのだ。

(金子文子が残した短歌から好きな5本を選びエッセイのネタとします。これはその4本目。短歌の表記は大田美和著「金子文子 獄中のうた」に準拠しました。金子明)