ダイナマイト投ぐる真剣さもち床の上に
彼はぶちまけぬ
冷えし紅茶を

これはどうにもこうにもユーモラスでけったいな短歌である。ダイナマイトを投げた経験のある者はそうそうおるまい。兵士なら手榴弾くらいは投げたことがあるかしら。しかし、この詠み手は、金子文子なる女性。その可能性はどこまでも低く、おそらく当てずっぽうで描いたのだろう。

で、ダイナマイト! 花火どころではない。人が最も「真剣」に扱うべきものの一つだ。むかし坑口からガタンゴトンとトロッコに揺られ15分、トンネルの切羽に辿り着いた。そこで幾多の発破が仕掛けられた岩盤の上をスパゲッティのような導火線を踏み踏み歩いたことがある。それはそれは肝を冷やしたものだ。いつも陽気な掘削者たちもこの時ばかりは「真剣」そのもの。やがてサイレンが鳴って、秒読みがあって、ずどどどーん。すさまじい破壊力だ。

一方、歌の中で実際に爆裂したのは「冷めし紅茶」。よっぽど熱い議論があった後のことだろう。気づいたら冷めていた。だが「彼」の怒りは冷めていない。堪えきれず怒髪天をついた。ならば(論)敵に対して投げればいいものを、優しさの故か、相手の逆襲を恐れてか、標的がうまく身をかわしたのか、「床の上に」「ぶちまけ」られた。

この短歌の詠み手、金子文子は1923年秋に行われるという皇太子ご成婚に際し、ダイナマイトを投げつけて新郎を殺害しようと企んだ。しかし、大地震が起き(ご成婚は翌年1月へ延期)、例の朝鮮人虐殺のどさくさにまぎれ、彼女自身が身柄保護を名目に拘束された。続いて逮捕、裁判と進み、1926年に死刑が宣告され、その夏、獄中で自殺した。

こうした詠み手の背景を知ると、すわっ、ここで描かれたのは、テロリスト集団の内輪もめか、と納得したいのが人の性。また、幾多の熱血漢が関係したであろうこの暴力沙汰が「冷めた紅茶ぶちまけ」で終わるわけはない、と詮索したい気持ちもわかる。

だが、待て待て。書かれているのは上のたった3行だ。そこから勝手に自分の思いや理論を読み取りたいのなら、鑑賞などしないで、オノレがオノレの歌を拵えた方がよっぽどすっきりする。とはいえ、どう解釈しようと自由だからご勝手に、というのがいっぱしの文学者の本音だろう。

思うに、この歌の面白さは前後のギャップ。もったいぶり大真面目のダイナマイトは夢と終わり、くだらぬ目の前の冷めた紅茶だけが、的を外しながらも、物理的に床を濡らした。雄大な野望と、馬鹿らしい結果。人は往々にして勇ましい前者を不当にありがたがり、結末たるショボい後者を残念がる。

だがね、諸君。いまも生きている君たちは「真剣さ」さえ持ち合わせれば、何事かを成し遂げられる。たとえそれが冷たく飲み残された紅茶の一見むなしい散布であったとしても・・・この歌は修羅場にいる死刑囚が娑婆で呑気に暮らす我々に送った愉快で乾いた助言なのかも。決してたじろくな、行動こそがすべてだ、と。

(金子文子が残した短歌から好きな5本を選びエッセイのネタとします。これはその3本目。改行などの短歌の表記は大田美和著「金子文子 獄中のうた」に準拠しました。金子明)

【金子 明】