(2024年3月5日)

 抗う人がいて歴史はうごく 

~ウクライナ、ガザ、アフガニスタン、日本~

 

3日の東京マラソンで義足のウクライナ負傷兵が沿道からの声援を受けながら完走した。走ったのはロマン・カシュプルさんとユーリ・コズロフスキーさんの2名。東京マラソンの前にもロシアによるウクライナ侵攻で手足を失った人々の義肢の製造費等を集める目的で様々な都市でおこなわれるマラソン大会に出場してきたのだという。1回限りでなく、恒常的なプロジェクトとして取り組んでいる。

 

応援される側に励まされる

3月3日のYahooニュースによれば、義足を見せながら走るカシュプルさん(写真/Yahooより)に、沿道から多くの声援が寄せられたという。ゴール後、「沿道の人々と雰囲気は素晴らしかったです。記録は1時間くらい更新しましたが、まだ満足してません。次のレースに向けて、もっともっと頑張りたいです」と、力強く語った。カシュプルさんが東京の街を走る中で1番印象に残ったのが「走っている時、沿道に支援してくれた人が多く来てくれて、その中で日本の方が『ウクライナに栄光あれ』とウクライナ語で声援をかけてくれたのが、とても嬉しかったです」と話している。

そもそも、戦争は絶対悪なのだが、巻き込まれた側にとっては、その現実から逃避しない限り課題を見つけて取り組まなければならない。負傷兵であれば戦線離脱がゆるされそれなりの保障が与えられるのだろうが、2人はあえて困難な課題を自らに課して戦いを継続している。障害をはねのけてチャレンジする精神力と実行力、それに加えて現在の世界的な課題ともなっている戦争に取り組むひたむきさが応援するわれわれをも力づけている。

 

挑発に武力で応える無能が世界を地獄に引きずり込む

ウクライナ戦争は開始から2年を超えた。ロシアはウクライナの20%近い土地を占拠している。その土地は一時的占拠でなく、すでのロシア領土として併合済みであるとプーチン大統領は豪語している。

もともとロシアは、領土拡張が目的でなく、NATOの東方拡大への反対が目的であり、拡大を阻止するためウクライナの中立化を求めていたはずだ。ロシアの「特別軍事行動」によって、フィンランドとスウェーデンがあらたにNATO加盟を果たし、NATOの領域は実質的に拡大し直接ロシアと国境を接するところまでせまってきた。いま交戦中だから無理だろうがウクライナもEUとNATOへの加盟を目指している。プーチンの完全な敗北だ。

『ウエッブ・アフガン』では、ロシアのウクライナ侵攻の直後に、「プーチンはアメリカの仕掛けた罠に落ちた」と見通した(視点:022「罠にかかったプーチン」)。そして、ロシアのクリミア併合以後、8年間つづくドンバス戦争を描いた映画『ドンバス』の紹介を通して、この戦争は泥沼化するのではないか、との危惧を表明した(視点:「ウクライナ映画『ドンバス』を観て考えた)。ドンバスでは単なる地域紛争ではなく、重装備した軍隊同士が住民を巻き込んで行う戦争を8年間もつづけていて埒があかなかったのだ。

NATO諸国には支援疲れが出ると同時にフランス・マクロン大統領はNATO軍の参戦も検討課題から外すべきではないとの見解をほのめかすところまできた。この戦争は第3次世界大戦を引き起こしかねない泥沼に陥りつつある。

 

止むにやまれぬ暴発とそれを利用する非人間的狡猾さ

ウクライナ戦争の帰趨が混とんとするなか、パレスチナでハマースがイスラエルにあたかも自殺攻撃のような奇襲をかけた。結果、ネタニヤフ政権の強硬反撃を引き出し、ガザは大量虐殺、廃墟寸前にまで追い込まれている。

ハマースの奇襲で殺害されたイスラエル人は1200人。それに引き換え奇襲から5カ月たったガザでは死者が3万を超えた。しかしまだ、崩壊したビルや家屋の下敷きになって救出されていない住民や遺体など、いったいどれだけの数存在しているのか不明だ。しかも死者の8割は女性と子供だという。人口の1.5%が殺害された勘定だ。負傷者も7万人を超えたと報告されている

イスラエルの残虐で常軌を逸した報復攻撃の悲劇は罪なき住民の殺害だけでなく、住民保護のために人道活動をしていた国連職員が100人以上も殺され(ロイター、23年11月10日)、ジャーナリストもこれまでの国際紛争では起きなかった100人規模の虐殺がガザと西岸地域で起きている(時事、24年2月16日)。


ガザでまたパレスチナ人記者が死亡、直前まで生中継 「国際社会は守ってくれない」
写真(パレスチナTVのモハンマド・アブ・ハタブ記者が2日、家族とともに死亡した/Obtained by CNN)

アメリカは、ロシアを侵略者であると糾弾しウクライナを支援する立場をとっている。ガザ・イスラエル戦争では一貫してパレスチナの土地への侵略・占領・入植を進めるイスラエルを支持してきた。もともとイスラエル建国自体がパレスチナへの侵略だったのだ。自国エゴのために自ら定めた原則を平然と無視する二枚舌三枚舌外交、というより徹底した自国エゴの行為だ。パレスチナ問題では、ユダヤ問題のつけを無責任にもパレスチナ人民に押し付けた英仏米独とシオニズム勢力に根本的な責任がある。

イスラエル・パレスチナ2国共存路線は破綻している。英仏米独は自己の責任を自覚し1948年の振出しに戻って、イスラエル・パレスチナ問題の根本的解決に乗り出すべきだ。2国共存方式が破綻したいま、10年前に提起されたコーヘン提案をまじめに検討するべきであろう。コーヘン提案とは、イスラエル建国とその植民地主義こそが過ちの元でありそれを実現させた欧米社会の責任を問い、「イスラエルの廃止」とそれに伴う「過ちの是正と償い」を負担せよ、という主張である。詳しくは下記を参照。

イスラエル国家の廃止を呼びかけるP・コーヘン提案をどう読むか
コーヘン提案:終わることのないパレスチナ紛争の根因:それをどう正すか

 

激動する世界情勢の陰で進行するもうひとつの危機

ウクライナやイスラエル地域に比べれば戦闘状態や治安が改善されたと言われているアフガニスタン。武力抵抗の相手だった米英NATO軍がいなくなり、自爆テロなど武力反攻をしつづけていたターリバーンが実権を握ったのだから戦闘が止み治安がよくなって当たり前だ。ところがターリバーンは復権後まるで女性を主敵にするかのような攻撃を仕掛けてきた。教育や就労から女性を排除し、1人での外出や娯楽地訪問を規制し、挙句のはては美容室の全面閉鎖までおこなっている。そして、それに対する不満を放送局など報道機関に女性が電話することを禁じた。つまり、女性からの電話を受けた報道機関は処罰される、というわけである。(トピックスの記事参照

ターリバーンは近代において世界的に普遍的な価値として認められてきた「自由・平等・博愛」や民主主義的価値への対抗思想としてイスラームの原理を対置し彼らなりの社会を構築する、との主張のもと「西洋的価値観」を排斥する。しかしそれは真っ赤なウソなのだ。彼らの主張は、イスラームの独自解釈による彼ら一派の利害を実現し、かつまた、パシュトゥーン族の古びた因習に固執する立場でしかない。かれらの現在の所業は、イスラームやパシュトゥーンの伝統にあった「よきもの」の価値さえ棄損するものでしかない。

先週、私のもとに1通のメールが届いた。毎週金曜日に発信されている「AZADI BRIEFING」というニュースレターだ。それによれば、アフガニスタンでいま、ある著名なパシュトゥーン族詩人がターリバーンによって弾圧され1か月以上投獄されているという。

その詩人の名はエザトゥッラー・ザワブ(Ezatullah Zawab)(写真)。ターリバーンは公式には詩人の逮捕理由としてアルコールの所持をあげている。しかし、詩人の家族や友人はその逮捕理由はでっちあげであるとみなしている。詩人の支持者たちによれば、逮捕の本当の理由はザワブ氏の文芸誌『ミーナ』(パシュトゥー語で「愛」)がターリバーン支配下での生活を批判しているとみなされる散文や詩を掲載していたためだとしている。ターリバーンが彼の主張を好まなかったからだ、と。ザワブ氏は、政治的な含みを持った風刺詩を書くことで知られている。彼以外にもターリバーン政府の虐待や間違いを公の場であえて批判する者さえいる。ザワブ氏を始め作家やジャーナリストへの弾圧については本サイト「ジャーナリストへの圧力:アフガニスタンにおけるメディア活動の暗い見通し」でも詳しくレポートされている。

従来、エザトゥラー・ザワブ氏のようなパシュトゥーン人詩人はターリバーンの弾圧から比較的免れていた。しかしターリバーンは不満や批判を表明するための伝統的な手段さえも黙らせようとしている。本サイトでたびたび報道しているように、ターリバーンはタジク族やハザラ族さらにはウズベク族などパシュトゥーン族以外の民族集団への抑圧を強めてきていた。最近ではターリバーン内部の非パシュトゥーン指導部の大々的な排除まで行ってきている。(「テロ、鉱山、民族:なぜタジク人ターリバーンは権力の座から追放されたのか?」参照

ターリバーンは報道の自由を容認するという初期の約束にもかかわらず、アフガニスタンのメディアはターリバーン政権下で大幅に衰退した。数百もの報道機関が閉鎖され、ターリバーンのために働いていないジャーナリストたちは強化される規制と格闘せざるをえない。また、アフガニスタン人が信頼できる情報にアクセスできないようにするため、ターリバーンは一部の国際放送を放送禁止にした。同国政府はまた、この国を秘密にしておくために外国特派員へのビザ発給を拒否している。さらに、一部のターリバーン当局者はすでにあらゆる形態の写真撮影は非イスラーム的であると宣言している。女性の権利抑圧は国際的な批判があるにもかかわらず緩められるどころか逆に強まっている。最近は女性が報道機関に電話することまで禁止された。(「ターリバーンが厳しい禁止措置を課す:ホースト州で女性と少女に対しメディアとの電話接触を禁止」参照

アフガニスタンでは国内に800万人ともいわれる飢餓国民が存在し経済活動は停滞したままである。かつパキスタンには数百万人にものぼる難民が存在しうち170万人は難民証明書をもっていないからアフガニスタンに強制帰国させるとパキスタン政府は言い、すでに数十万人がアフガニスタンに帰国させられている。イランにも600万人にも上る難民がいて、イラン政府も帰国させたがっている。

このような状況なのにターリバーンは独裁の強化に走っている。女性の権利抑圧は国際的な批判があるにもかかわらず緩められるどころか逆に強まっている。ターリバーンの強硬な姿勢は弱さの表れのようにみえる。しかし、明確な反対派の不在が、ターリバーンの支配をゆるし、そのことがアフガニスタンを不幸なままにしている。

 

日本はどうか

他方日本では、能登地震の対応の遅れや志賀原発の損傷、大阪万博準備の不手際などはあっても、半導体やAI分野での期待感や中国から引き揚げられた資金が日本市場に流れ込んで生み出された株高の見かけだけの高揚感がある。マスコミも4万円超えを大々的に報道し、あたかも日本景気が高揚しているかのような雰囲気を造成している。自民党裏金問題など政治不信のもととなる腐敗、それだけでも重要な危機案件があるにも関わらず、いつのまにか政治倫理の問題にすり替えられ、そして、現政権への支持率が低くても支配構造がひっくり返りそうな見通しはない。

経済社会状況は大きく違うのにアフガニスタンと日本との「奇妙な同一感」をいつも感じる。なぜかと自問自答する。すると両国とも、支配勢力をひっくり返す勢力がない、というただ一点に収斂する。

アフガニスタンの場合には、米英NATO軍支配下ではあったが20年間、上からの民主化政策が施行された。失敗したが一定の民主主義を体験した過去への回帰、ないし失われた権利を一部でも取り戻すという目標はありうる。しかしその可能性は現状では極めて低い。

日本の場合、朝鮮半島での緊張や台湾有事が喧伝されて、専守防衛から反撃能力をもつための防衛3文書の改悪や防衛予算のGDP比2%を、アメリカにいわれて唯々諾々あるいはこれ幸いと実現している。アメリカからの圧力に抗する対抗概念がない。「国連中心」「平和外交」「全方位外交」のスローガンは色あせていまや実効性を感じられない。このままの無思想状況で、「もしトラ」でトランプ大統領が実現したら、アメリカから突き放され、結果、「自主防衛」ががなり立てられ、「核装備」が現実味をおびるようになるのを恐れる。

内政においても、政治的な圧力で大企業が内部留保金を少しだけ吐き出し始めたが、そんな余裕のない中小企業およびそこで働く労働者との格差はますます広がるばかり。「分かっちゃいるけど変えられない」日本の現状はつづく。

世界の紛争地は、虐げられた人々が命懸けで闘うから紛争地になっている。日本の支配層はひたすら強いものにつき、漁夫の利をねらってこそこそと走り回る。日本では虐げられているという庶民感情は感じられない。そこが問題なのではないだろうか。

野口壽一