2026年9月11日
野口壽一
私が大学で青春の日々を送ったのは、1960年代後半から70年代初めにかけてである。
ベトナムでは戦争が続き、日本では大学闘争と70年安保、それに沖縄返還をめぐる運動が燃え上がっていた。
若者にとって政治は、新聞の向こう側の出来事ではなかった。大学の門にも、街頭にも、寮や下宿の小さな部屋にも入り込み、私たちに「お前はどう生きるのか」と迫ってきた。
その時代、フォークソングは鑑賞するだけの音楽ではなかった。ギター1本あれば、誰でも歌い手になれた。歌う者と聴く者の境界はなく、ひとつの歌が見知らぬ人びとを「われわれ」に変えた。
岡林信康の「友よ」を聴くと、私は今でもあの時代の空気を思い出す。そこに歌われた「夜明け」は、単なる比喩ではなかった。差別も貧困も戦争もない社会が、本当に夜の向こうからやって来るのではないか。そう信じたい熱気があった。
「山谷ブルース」は日雇い労働者の存在を、「チューリップのアップリケ」は貧困に傷つく少女を、「手紙」は被差別部落への結婚差別を、私たちの目の前に突きつけた。個人の悲しみは、個人だけの不幸ではない。その背後には社会の仕組みがある――フォークはそう教えたのである。
高田渡の「自衛隊に入ろう」は、入隊を勧める体裁を取りながら、国家と軍隊を笑い飛ばした。中川五郎の「腰まで泥まみれ」は、誤った指導者に従い続ければ、やがて首まで泥に沈むと警告した。加川良の「教訓Ⅰ」は、国家の大義のために命を差し出すことを拒んだ。いずれも立派な演説ではなく、皮肉や笑いや身近な言葉によって権力の正体を暴いた。
1969年、新宿駅西口地下広場に若者たちが集い、歌い、討論したフォークゲリラは、その象徴だった。駅の一角がコンサート会場ではなく、市民の広場になった。しかし警察は、そこを「広場」ではなく「通路」だとした。言葉ひとつによって、人びとが集い、歌い、政治を語る場所が奪われた。この出来事は、歌が公共空間から追い出され、商品としての音楽へ再転換されていく転機でもあった。
そして70年安保は、60年安保のような国民的高揚を生み出さないまま、自動延長された。
ベトナム戦争も終わらなかった。学生運動は党派対立と内ゲバに沈み、連合赤軍事件に至る暴力は、多くの若者から政治への希望を奪った。「われわれ」という言葉は、連帯を表すものから、時として個人を拘束し、異論を許さない言葉へ変わってしまった。
あの時代の挫折感を、単なる政治運動の敗北として片づけることはできない。そこには、社会を変えたいという真摯な願いがあった。しかし同時に、正しさを掲げる集団が別の正しさを排除し、一人ひとりの迷いや弱さを押しつぶす場面もあった。理想が高かっただけに、その崩壊が残した失望も深かったのである。
「三無主義」とか「しらけ世代」とかの言葉に表される空白がうまれ、そこに登場したのが、吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫などの歌だった。
吉田拓郎の歌の主語は、「われわれ」ではなく「俺」であった。「結婚しようよ」では、若者は髪を切り、恋人と家庭を築こうとする。井上陽水の「傘がない」では、新聞が伝える社会問題より、雨のなか恋人に会いに行くための傘がないことの方が切実だと歌われる。かぐや姫の
「神田川」が描いたのは、革命でも戦争でもなく、四畳半の下宿、銭湯、若い男女の貧しさと愛であった。
当時の私には、こうした変化が、社会に背を向けた「小市民化」のようにも見えた。世界を変えると歌っていた若者たちは、いつの間にか恋愛や結婚や故郷を歌い始めた。ボブ・ディランさえ、「学生街の喫茶店」のなかでは、現在を変革する歌手ではなく、過ぎ去った青春を懐かしむ記号となった。
しかし半世紀を経た今、私はもう少し複雑に考える。
「私」を歌うことは、必ずしも敗北ではなかったのではないか。政治運動のなかで置き去りにされがちだった恋愛、孤独、身体、家族、故郷を取り戻す営みでもあったのではないか。社会は簡単には変わらない。それでも「私」は生きていかなければならない――70年代のフォークは、その切実な問いを引き受けたのではないか。
だが、「私」だけでは社会を変えられない。孤独も貧困も戦争も、個人の心の問題だけではない。現在、私たちはSNSによって無数につながっているように見えながら、かつて以上に細かく分断されている。誰もが自分の感情を発信するが、それが容易には「われわれ」の声にならない。
だからこそ、私はもう一度「友よ」を思い出す。かつての集団主義へ戻るのではない。一人ひとりの「私」を押しつぶさず、違いを抱えたまま、ともに戦争や差別や抑圧に抗する「われわれ」をつくるのである。
マスメディアはあまり報道しないが、いま、国会前をはじめ全国で、「ペンライトデモ」とか「DIYデモ」とか呼ばれるあたらしいスタイルの抗議行動がうまれている。かつてのデモのように特定の組織(学生自治会や労働組合など)に所属し、統一されたヘルメットやスローガンを強制されることはなく、参加者は一人ひとりの市民である「私」として、自分なりの言葉を書いたプラカードやのぼり旗を持って集まってくる。「私」が「われわれ」になる契機がここにはある。
フォークソングが私たちに残したものは、懐かしい旋律だけではなく「私」と「われわれ」をどう結び直すのかという、永遠の問いだったのではないだろうか。
夜明けは、まだ来ていない。だが、歌おうとする者がいるかぎり、夜明けを待つ声までを消すことはできない。
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