書籍/批評/提言

公的機関/研究機関/民間研究者などによるアフガニスタンにかかわる書籍、研究、提言は、ソ連の軍事介入以降おびただしい数にのぼる。ここでは『ウエッブ・アフガン』がお勧めする参考になる書籍や公開文献を紹介する。

 

 新情報 

20240921

 詩集 九条川 1943~2020 
髙橋嬉文著(土曜美術社出版販売、2020年11月30年初版発行)

著者の髙橋嬉文さんの生まれは1938年(昭和13年)。日本敗戦の1945年を国民学校1年生、6歳で迎えた。だから戦中派だ。だが戦争の悲惨さは「長じて分かってきたことで、私の体験ではありません」と本書「序」で述べている。とはいえ、幼児から子供に育つ過程で戦争の空気を吸って育っている。

私は髙橋さんより10年後に生まれた戦後派ベビーブーマー。空襲で焼けつくされた鹿児島市で育ったから小学生のころまでは防空壕や飛行場の近くにはトーチカの残骸がまだあった。中学で英語を習うようになったら第七艦隊の寄港の機を捉えて米兵との会話チャンスをうかがいに行ったりした。
同時代の戦争の記憶は高校生の頃テレビを通じてやってくるベトナム戦争のニュースだった。
大学生になって「ベトナム戦争反対」や「沖縄返せ」「安保粉砕」などと叫びながら戦争の記録映画や文学や政治論文などに没頭した。戦争の知識は皮膚からでなくもっぱら目からだけだった。

そのころ、戦争は悲惨でつらい経験だが、戦争には正義の戦争と不正義の戦争があって、戦争を無くすには正義の戦争で勝たなければならない、と思っていた。そして、ベトナム戦争に勝った。ベトナムに平和が来た。

そのころには、戦争の原因は経済であり、富の争奪であり、少数者が多数者と富を支配するシステムが戦争の本当の原因であると知るようになった。資本主義と帝国主義が戦争の本当の原因であり、それを無くさない限り本当の平和な世界は築けない、と思っていた。現存する社会主義は国家主義と官僚主義に犯され本質を見失っている。しかし人民民主民族解放の世界的な第2革命で既存社会主義も改造できるのだと思っていた。

そんな時にアフガニスタンで革命がおきた。世界は共産革命と言ったが実質は民族民主主義段階の革命だった。革命と反革命の衝突が発生し外部からの干渉も始まった。アフガンの革命派はソ連に支援を求めた。ソ連は武力支援を実行した。
世界は大騒ぎになった。いまのウクライナへのロシア侵攻の時と同じだ。世界はソ連を激しく批判した。マスコミや与党だけでなく、労働者階級や農民の味方であるはずの共産党までもソ連を糾弾した。日本でソ連を支援する勢力はほとんどなかった。いたとしても一握りのごく少数者だけだった。

現地からの情報はまったく途絶えた。西側からはアフガニスタンの国内をその目で見、体験し、伝えるジャーナリズム、ジャーナリストは皆無だった。偶然の機会に駐日アフガニスタン大使と知り合い、日本から初めてのジャーナリストビザをもらいアフガニスタン国内を40日間取材することができた。

革命政権がやろうとしていることを自分の目で見、知った。確かに、それは、アジアでは中国やベトナムがやってきた民族解放と人民とくには農民解放の革命だった。すくなくともかれらの願望では。

だが所有権の争い、死ぬか生きるかの利害の対立を話し合いで解決できるものではない。国内の、農民階級と地主・水主、部族支配者たちとの戦争になった。ソ連やアメリカ、パキスタン、アラブ諸国を巻き込んだ、革命と反革命の戦争は年々激しくなった。革命といっても遅れた社会での実質的には知識階級が指導するクーデターに近いものだった。戦争は、双方が最先端の科学技術を駆使した戦闘と中世的な野蛮な人殺しとが混ざり合う、口舌に尽くしがたい悲惨なものとなった。戦争は10年も20年も、最後にはアメリカも参入し40年以上続くことになった。

ソ連がアフガニスタンに侵攻していた時代に10回、アフガニスタンを訪れた。その都度、アフガニスタン内戦は激しくなり、当初の崇高な革命の目標など夢のまた夢、ただただ血なまぐさい殺し合いだけになっていった。闘っている双方とも何が正義で何が不正義なのかわからなくなっていた。決着がつくまでの戦争の過程はただ殺し合いにしか過ぎない。戦争には正義も不正義もない、「ひたすら悪」なのだと実感した。

髙橋さんの「九条川」に収められた作品群、思想は、単純な戦争反対、軍隊否定ではない。この詩集に込められ表現された含意は戦争行為がどんなに愚劣で、非人間的で、野蛮で、悲惨なものであるか、そしてそれを、九条川に流れるものが、そしてそれを守る九条堤防が、愚劣な戦争に命を捧げた310万人の魂が、戦後75年の日本を戦争から守ったのだ、という事実を切々と詩情ゆたかに訴えてくるのである。

髙橋さんの訴えは、自衛隊員にも届くはずである。九条が守っているのは日本人が国際紛争を解決するために戦争をすることを禁じているのだからである。九条があるかぎり、日本人はもちろん自衛隊員も外国に行って人殺しをできないし、してはいけないのである。この法律の思想を世界中に広げればいつかは戦争はなくなり、自衛隊は自然災害から国土と人民を守る防衛活動に専念することができるのだ。

髙橋さんの詩の数々は、日本が犯してきた過ちを過ちとして認めそのうえに立って現実的に可能な平和な未来を見通す深い思索に裏打ちされている。高橋さんは、詩を書くだけではいけない、と悟り、言行一致の行動として9条Tシャツをつくり、その普及活動に取り組んでいる。

同書はアマゾンで購入できる。1650円。アマゾンサイトへはココをクリック
高橋さんのやっている「Tシャツで平和運動」の詳細ページはココをクリック

野口壽一

20240913

 最新号の特集は〈「広島・長崎・沖縄」の悲劇を世界に語り継ぐ〉 
季刊文芸誌「コールサック 119号」(コールサック社刊)(2024年9月日発行)

コールサック119号コールサック社は、今から約40年前の1987年12月、石炭屋の息子を自称する鈴木比佐雄氏が設立された。詩誌「COAL SACK(石炭袋)」を鈴木氏が個人で出版するためだったという。

『ウエッブ・アフガン』との出会いは、昨年の、アフガニスタンにおける詩作や芸術への弾圧に詩によって抗議する国際アンソロジー『詩の檻はない』の日本語版出版が機縁だった。それいらい、『詩の檻はない』に参加した詩人や関心をもつ人びととのつながりができ、今後の連携が期待される詩文芸の運動体である。

同社は季節ごとに文芸誌『コールサック』を発行している。今年9月で119号を数える。
抒情詩が圧倒的な日本の詩歌界にあって、同社は40年の間に、ヒロシマ・ナガサキの原爆、平和運動、原発問題、東日本大震災、韓国問題、沖縄問題、国際問題等々をテーマとする社会性にあふれた詩歌の収集、出版を手掛けている稀有な出版社である。

「コールサック、石炭袋って、どんな袋ですか──と怪訝な顔で聞かれることがあ」ると社長の鈴木氏は言う。
そして、「人が社会や時代のただなかで精神的な危機に遭遇した時、生きる意味が揺らいで感動を喪失し存在への驚きを忘却し、虚しさに陥った時、詩や文学、芸術活動は」「もう一度生き直そうとする根源的な力を深い場所から気づかせてくれるもの」だ、と。

「政治や経済の表層では掬うことができない、もっと人の深層に迫る根源的な何かが、詩などの芸術活動の中には宿ってい」るとも言っている。

同時に、構造不況業種と言われる出版についても情熱をこめて語る。

紙の出版にたいして「電子書籍が未来の出版の在り方のように語る人たちも多くいました。しかし私はそのような無意識に電気メディアに依存する人たちは、紙の本のシンプルな根源的な価値に気付いていないと考えていました。」

もともと紙の出版から出発し、いまはウエッブ・マガジンに注力している書評子としては心に刺さる言葉である。

鈴木氏は、コールサック社の理念を次のようにまとめる。
「書籍とは本来的に立体であり、詩人・作家・研究者たち、企画・編集・装丁の出版社、印刷・製本会社、用紙会社などの総合芸術だと考えて、そのような本作りを実践してきました。本の魅力は著者や出版社の美意識や芸術精神や批評精神である『美しいもの』や『根源的なもの』を求める心が生み出すものです。そんな美意識や芸術精神や批評精神と読者が対話をするのが書物という精神の立体物なのだと思われます。そのような総合芸術としての書物を詩人・作家・研究者たちとコールサック社はこれからも多くの皆様に届けていきたいと願っております。そして皆様には、夜には最低限の電力を使用し、昼であれば自然光の下で、コールサック社の良書を心いくまで読んで頂ければと願っております。」

コールサックとはもともとは宮沢賢治の作品に出てくる「石炭袋」のことだというが、その袋に詰まっているものは無限のエネルギーと熱、つまり情熱なのだろう。

今後の、世界中の「NO JAIL 詩人」たちとの協働が期待される。

なお、同社はメールマガジンを発行している。最新号(2024年9月6日配信)をpdf化した。ここをクリックして読める。また写真をクリックすればアマゾンサイトにジャンプできる。ホームページは、https://www.coal-sack.com/

野口壽一

20240731

低レベルな歴史論争に一石を投じる 
「坂の上の雲」に見る人物のその後 彼らはどこで間違えたか(青木 亮著)(Kindle版 2024年6月7日発行)

本書は、2024年6月7日づけのKindle版である。本サイト「森羅万象」に掲載された「『坂の上の雲』ではわからない明治の群像」(2009年12月8日版)の更改版である。

前作後の明治維新期の諸言説への批評が書き足されているが、出版のモチーフは変わっていない。

著者は、新版発行の目的をつぎのように書いている。
「サヨク、ウヨクの低レベルな歴史論争に一石を投じたく筆を取った。日本の学校教育では近現代史をまともに教えていないので、歳を取って歴史を学び始めた人々がいかがわしい陰謀論に容易に魅せられるのは憂慮すべき傾向だと考えるものである。」

「坂の上の雲」はいうまでもなく司馬遼太郎の代表作の小説のひとつである。小説は読者をだますと同時に著者をもだますフィクションである。しかし多くの読者はそれが「ウソ」の塊だとは思わず、史実だと思ってしまう。史実のうえに構築された「虚構の芸術」が小説なのに、である。

青木はそのことを次のように書く。
「司馬は『韃靼疾風録』を最後に小説という形式から離れる。私はその理由は『見てきたようなウソ』を書き、自分と読者を欺くことに飽いたからだと思っている。それからは『街道を行く』、『この国のかたち』等歴史紀行文や史論に専念する。そこでは小説と違ってまじめに(自分に誠実に)史実と向かい合っている。『翔ぶが如く』も小説よりノンフィクションに近くて史料的価値がある。司馬作品中長く残るのはこれらのノンフィクションだろう。」

さらに、本書の内容が次のように確定される。
「司馬の日露戦争観は揺れている。一方では『日露戦争までの日本の進路はよかった』と書きながら他方では『日露戦争は戦うべからざる戦争であった』と書いている(『坂の上の雲』文庫本後書き)。一方では『日露戦争は自衛戦争であった。もしあの戦争に敗れていたら私達は今頃ロシア語を話していただろう』と書きながら、他方では『狭小な国土に五千万もの人口をかかえて人口稠密で資源が乏しくめぼしい産業といえば農業しかなかった日本にロシアは興味をもたなかった』と書いている。 今となっては、日露戦争を理解するには『坂の上の雲』では不十分。詳細は以下各人物の項で述べる。」

そして時代を代表する13人の実相が分析叙述される。
叙述は人名事典のような無味乾燥な史実の羅列でなく、他者の批評に対する批評を織り交ぜながら著者の明治維新観、日本近代史観が語られる。一挙に引き込まれる内容である。

なぜ引き込まれるかというと、評者(野口)の「政治的めざめ」の時期を思い起こすからである。その時期とは1960年代末から70年反安保闘争に向かう時期であった。

敗戦を生き延びた日本エスタブリッシュメントは手のひらをひっくり返すように戦勝者であるアメリカにひれ伏し、朝鮮戦争を特需で乗り切り、60年には安保条約を成立させ、日米体制を強固なものとし、90年のバブル崩壊までつづいた高度経済成長をひた走っていた時期だった。

明治維新後、日本は、台湾出兵、日清、日露、韓国併合、大陸進出と戦争をつづけ、世界を相手にした太平洋戦争において破滅的な敗戦を迎えた。敗戦は社会や政治を抜本的に改革する絶好の革命チャンスでもあった。その混乱期、日本の行く末をめぐって左翼陣営では激論が交わされた。

戦前の体制は明治維新からはじまった。新しい時代の基礎をつくる五カ条のご誓文、大日本帝国憲法、それによって規定され天皇制をどうみるか。現人神とは絶対君主かそれとも国家運営の支配機関なのか。日本社会・経済・政府をどう規定するか。日本資本主義論争。革命の戦略戦術を決定するためには絶対に避けて通れない課題であった。

GHQは厳しい言論封殺を敷いたが治安維持法のようではなかった。来るべき革命の性格をめぐって、アメリカ支配をどう見るのか、日本社会をどう規定するのか。連合国軍アメリカは解放軍か否か、日本革命は社会主義革命か、民主主義革命か(32テーゼの延長)、暴力革命か、非暴力革命か。60年反安保闘争を敗北として総括するグループはスコラ論議の末非現実的な極端路線に落ち込んで自滅する。

このような悲惨な状況に日本が落ち込んだのは、青木の言う「サヨク、ウヨクの低レベルな歴史論争」、フィクションと史実を混同する歴史意識の未熟さゆえではなかったか、と本書を一読して同感するのである。

いま、パリでオリンピックがおこなわれている。明治維新の直前パリでは万国博覧会が開かれた。そこには日本から幕府と薩摩・琉球国が出展している。その前には長州や薩摩が英国へ留学生を派遣している。「坂の上の雲」があった時代には、努力すれば一定の結果を残せたのだろう。だが、雲に手が届けば、努力だけでは先に進めない。雲には乗れない。先人の失敗はそこでおきている。社会主義の実験は失敗し、資本主義が行き詰まっている今、われわれが失敗しないで済む道はどこにあるのか。それを考えなければならない。

最後に著者にお願い
尊王攘夷思想をすてて徳川慶喜の弟・昭武に随行し欧州旅行の実務を取り仕切り稀代のリアリスト実業家に転身した渋沢栄一は一万円札に登用されてスポットライトがあてられています。彼は本書では取り上げられていませんが、226事件で殺害された高橋是清は取り上げられています。しかし、わずか10行です。私は、軍事衝突の戦場で活躍した軍人たちに負けず劣らず、高橋是清の日露戦争における軍費調達と英米支援のとりつけにかけた努力と創意が重要だったと思っています(日露戦争の借金を完済したのは1986年)。ウクライナ・ロシア戦争の帰趨を決めるのが国際的支援と軍費であることはいまや誰にも明白な事実となっています。さらに付け加えるなら、彼の出自からの紆余転変、すがすがしい生き様など、もっともっと称揚してよい人物ではないかと思います。

野口壽一

20240708

 太平洋で殺し合った3国の潜水艦艦長や遺族の感動的な出会いを描く
『海に眠る父を求めて 日英蘭 奇跡の出会い』(鶴亀 彰著)(学習研究社 2007年7月17日発行)

著者の鶴亀彰氏は野口の郷里鹿児島の先輩。インターネット勃興期に世田谷区三軒茶屋で246コミュニティというベンチャー支援の活動をしていたとき、アメリカで先行するベンチャービジネスの息吹をエッセーの形で届けてくれた人である。エッセーのタイトルは「カルフォルニアの風」。まだ日本では知られていなかった珍しいインターネットビジネスのネタを教えてくれた。鶴亀氏はいまでも「ユーラシア」や「読者の声」欄にさまざまな情報を伝えてくれている。たとえば、chatGPTがリリースされるや否や秀逸な使用レポートを真っ先に届けてくれたのも鶴亀氏だった。https://afghan.caravan.net/voices/#20230215

その鶴亀氏が畢生の想いでまとめ上げたのがこの著作である。
鶴亀氏の父は潜水艦伊166の機関長。同艦は太平洋戦争開始のわずか16日後、ボルネオ島沖でオランダの潜水艦K-16を撃沈する。華々しい戦果であった。K-16は撃沈されるわずか16時間前に駆逐艦狭霧(さぎり)を撃沈していた。伊166はかくもすばやく狭霧の仇を打ったのである。K-16は艦長以下36名全員が艦と運命をともにした。伊166の軍功は、日本海軍創設以来はじめて潜水艦が敵軍艦を撃沈せしめる第1号でもあった。

しかしその伊166はK-16撃沈の30カ月後にイギリスの潜水艦テレマカスによって撃沈される。雷撃されたときたまたま艦橋にいた艦長以下10名は獰猛なシュモクザメが生息する海を7時間泳ぎ、たまたま通りかかった現地の漁船に救助された。しかし機関長であった鶴亀氏の父は88名の乗組員とともに海中に沈んだ。

鶴亀氏が若いころアメリカに渡り、ロサンゼルスを拠点に仕事をはじめ、結婚後も、そのまま独立してロサンゼルスを拠点に日米をつなぐコンサルティングの仕事をする。還暦をすぎて、妻とふたりで新しい人生をつくるための世界1周の旅をはじめた2003年、柏市在住の平川さんというかたから偶然に戦死した父親の詳しい情報を教えられ、父親に関する無知を知り愕然とする。それから、猛然と父親の戦死までの情報を調査する。そこからこの本に記される奇跡が始まる。ぜひその秘密は、本書を紐解いて知ってほしい。一読、ページを繰る手が止まらないほど、ぐんぐと引き込まれていくこと必定だ。

奇跡とは、鶴亀さんが、父親が殺したオランダ潜水艦の遺族や、さらには鶴亀さんの父親を殺したイギリス艦の艦長ら、3つの潜水艦に絡む人びとを探し出し、会い、そして相互をつないでいく。そして二世3世たちの交流が始まるのである。

鶴亀さんの父を殺害したイギリス艦の艦長と会った時のエピソードは感慨深い。長時間の歓談で打ち解けた艦長が日本軍からの戦利品だと見せてくれた日本刀を鶴亀さんに手渡したとき。びっくりした鶴亀さんは突然のことに、「この刀で艦長を父のかたきとして刺したりしたら大変なことになるだろう」、もしそうしたら「ここに集まった人々との親睦は瞬時に失われ、それどころか60年ぶりの父のかたき討ちは日本とイギリスやアイルランドとの友好を大きく傷つけるだろう」と思う。艦長へは感謝と親しみこそあれ、悪意はまったく失せていた鶴亀さんはその日本刀をそっと艦長に返し、事なきを得る。また、鶴亀さん(第二世代)はこのとき艦長(第一世代)とともに対話した敵味方の第三世代の人びとの会話を興味深かったとして次のように書いている。

――「敵味方に分かれお互いに真剣に殺し合った祖父たちにも関わらず、第二世代と第三世代がここまで親しくなれたことの不思議さ」を、(第三世代の)5人はそれぞれの言葉で語っていた。「孫の私たちが60年後に、こうして一緒に楽しく食事したり、話し合ったり、夜遅くまでわいわいパーティーするなんてことを祖父たちが知っていたら、どうしただろうね?」と語り合っていた。

つまり、お互いに殺し合ったが生き残った潜水艦乗りの第1世代、第2世代、第3世代の間にはもう憎しみの感情は存在していなかったのだ。それを可能にしたのは時間という要素と、憎しみを忘れるための努力であったのだろう。本書のタイトル「日英蘭 奇跡の出会い」を奇跡でなく、平常の関係にする努力をわれわれは忘れてはならない。そのことを著者の旺盛な調査行動は教えている。

なお、この本の日本での出版会はわれわれ246コミュニティの仲間たちが「鶴亀フレンズ」を結成して主催、2007年7月24日(日)東京・恵比寿の日本SGI株式会社ホールを借りて100名以上が集い、盛大におこなわれた。懐かしい想い出である。

野口壽一

2024062

 緊急特集「パレスチナとともに」にひかれて
雑誌『地平』創刊号 地平社刊 2024年7月1日発売)

総合誌『地平』。キャッチは”Independence, Serving the people’s Right to know”とある。日本語表記はないが、あえて訳せば「国民の知る権利に奉仕する独立誌」というところだろうか。

「緊急特集 パレスチナとともに」との宣伝文句をみて、即、アマゾンで購入した。
特集の冒頭は岡真理氏の「ガザ 存在の耐えられない軽さ」とある。ミラン・クンデラの有名な三角関係小説の日本語タイトルをそのまま借用したものだ。意味は、「ガザ住民の命は耐えられないほど軽い」ということだ。岡氏の論説は力と怒りがこもったもので、ビンビンと響いてくる。氏が言わんとするのは「世界が今、目撃しているのは、人々が『現在進行形のナクバ』と呼び、イスラエル出身で反シオニストのユダヤ人の歴史家、イラン・パぺが『漸進的ジェノサイド』と名づけたその民族浄化の暴力が、ガザで、紛れもないジェノサイドとなって顕現している現実である。」と。問題の本質をズバリ簡潔に言い切っている。(岡氏の講演記録は、ここをクリック

10ページに及ぶ論説で、氏が従来から繰り返してきた主張を述べる。3万5000人を超えるガザ住民の死、いまだ瓦礫の下に1万人以上が埋もれたままになっているだろうとの予測。だが、その現実のさなかに、「大谷翔平」選手の結婚の話題特集の最後に「ガザの死者が3万人を超えました」のコメントひとつでニュースショーを終えるメジャーなテレビ報道。かくもガザ市民の死、命の軽さ。岡氏は憤懣をたぎらせる。

また、パレスチナ人作家アーティフ・アブー・サイフ氏はインタビュー「軍事侵攻下のパレスチナから」で次のように述べる。

「(ガザを脱出して)彼らを見捨てた罪悪感に悩みます」「パレスチナの暴力は76年間も続いています」「ヨーロッパが犯した過ちの歴史のしりぬぐいをさせられています」「歴史的に、イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒は、パレスチナでもアラブ世界のどこであっても共存してきたのです。ユダヤ人問題など存在しないのです」「(国連が)イスラエルのような占領行為に対して何の行動もとれないのであれば、いったい国連になんの意味があるのでしょうか。」

ウクライナを侵略し続けるロシアに対してなにもなしえない国連。その国連がじつは76年前に、パレスチナ問題をつくり出したのだ。

新しく創刊された『地平』はたしかに国民の知る権利に貢献する雑誌であることはまちがいない。
これからの論説、編集に期待するところは大きい。

一方、アカデミズムと教養主義的出版社の巨塔ともいうべき岩波書店には良心的左派を代表する『世界』という総合雑誌がある。その編集長につくも編集方針の対立で同社を飛び出した熊谷伸一郎氏が今年3月に立ち上げたのがあらたな出版社である地平社。そこが今年6月に発刊したのが総合月刊誌『地平』である。熊谷氏はその編集長だ。

『地平』は、紙媒体の衰退と危機が叫ばれている今、月間総合誌の形態をかかげて出版業界に登場してきた。しかもテーマはジャーナリズム、「コトバの復興」。

創刊にあたって400字ほどの宣言が発せられている。そのなかからいくつかのコトバを拾うと、
「コトバは無力ではない。なぜなら私たちは無力ではないからだ」「コマーシャリズムの洗練されたCMや政治の空虚なメッセージがコトバから意味を奪い、デジタル空間にあふれ出す冷笑的な情報が私たちのコミュニケーションを変質させている」「コトバの力を復興させ、あるべき議論の姿をとりもどし、新たな地平を切り開きたい。」

その言やよし、といいたい。本サイト『ウエッブ・アフガン』もその意気をもってウエッブとして創刊された。『詩の檻はない』では、コトバの持つ力を信じて、コトバでの戦いを挑んできた。すべて手作り、手渡し、完全独立のムーブメントだ。果たして月刊の紙媒体、しかも書店や通販ルートを、商品として流通させる従来のシステムにおいて、その言の実践は可能なのであろうか。見守っていきたいと思う。

野口壽一

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20240616

今世紀のメインイベント!「アフリカvs中国」
『中国第二の大陸 アフリカ 100万の移民が築く新たな帝国』(ハワード・W・フレンチ 栗原 泉 訳、白水社 2016年3月10日発行)

「ウェッブ・アフガン」サイトの翻訳を担当していると、面白い記事にでくわし、それは面白い記者が書いており、彼には面白い著作があることを知るに至る。こうして暇つぶしのネタ(すみません、読書とは所詮そんなもんです)は尽きない。今回紹介する本の著者は、最近2度に渡って「世界の声」でその記事を紹介したハワード・W・フレンチ氏である。

とくに2度目の登場で彼は、独自の歴史観を述べて読者の顔面にアッパーカットを見舞った。「白人が第二次世界大戦でナチス・ドイツおよび日本の全体主義を打ち破ったとされているが、それは実際の記録に反する不当な評価だ。(中略)この紛争が起きた当時から、真面目な学者たちは、ナチス・ドイツとの戦いの矢面に立ったのはそれ自体が全体主義国家のソビエト連邦であったことを知っていた。」

さらに、よろめいた読者のボディを、以下のごとく矢継ぎ早に攻撃し、みごとダウンを奪う。「植民地の過去の本当の記録を開衿して読めば、(中略)ヨーロッパ人が支配していたアフリカの植民地において、教育、医療、基本的なインフラへの投資がいかに少なかったかを理解し、今日のアフリカ大陸が相対的に貧困で不安定な理由が少しはミステリーでなくなるだろう。」

あいててて。そう、そのミステリーはミステリーのままではいけない。

われわれ日本人にとっても。なぜならあの大陸はトヨタの車に溢れているのだから。我々が幸せに暮らせているのは、勤勉なるニッポン人が頑張っているからでは決してない。アフリカ人が血ヘドを吐いてでも、モノを買ってくれるからである。(というへぼなアジはこの際ふかいりせず、本題へ戻す。)

この謎解きが著者(リベリア人の医者の息子)のライフワークであることは想像に難くない。3年前に書いた新著「Born in Blackness」がその答えのようだが、邦訳版はまだない。この本は原著が10年前に世に出たのだが、これこそが著者の原点であり、一般に、日本にとって再び不倶戴天となりつつある「中国」とからめたことで、幸か不幸か邦訳された。

しかし、邦訳した出版社のじゃっかん反中国的ものいいに騙されてはいけない。これはアフリカの人々とそこに居つこうとする中国人の壮大なナマの証言集である。アメリカの大手新聞社で鍛えたジャーナリスティックな人間観察は、他の追随を許さず、我々の中国に対する偏見とアフリカに対する蒙昧を見事にくつがえしてくれる。

騙されたと思って、手に取って欲しい。書評子は、この本を読むまでアフリカがなんだか怖く、そこでの出来事に、ほとんど無関心だった。ヴェルヌの漂流記やビアフラ写真のトラウマか。動物のことや人間の始まりがそこにあると知らされても、魅力的だとは思わなかった。ラピスラズリの好きな小僧や、バーミヤンの好きなおっさんが、アフガニスタンに興味を持っても、アフガン人の「今」に目を向けないのとどこか似ている。

この本には、おとなり中国の目を通して、またはその逆、アフリカ人が中国をどう見るかを通して、資源が摩耗するであろう今世紀を生きぬく知恵と心配が活写されている。そしてそれはダイヤでも金でも魚でも材木でもなく「人間」の話だ。読むと、アフリカの本当の魅力が見えてくる。目からウロコ。この本を読む前と後の自分のアフリカ(人)感ががらっと変わった。

もちろん、「むっかしからアフリカが大好きよ!」という御仁も少なからずいるだろう。またビジネスの場としてアフリカ大陸を虎視眈々と狙っている頑張り屋さんもいるだろう。国連か何かのPRでその地を訪れ、カメラが回っているときだけ、やせっぽちの赤ちゃんを抱いた人道支援家もいるだろう。とにかく皆にお勧めする。これは面白いと!

エビデンスを見せろ? 普通そう来るよね。そんなときはKindle版でざっと検索しよう。ほんの冒頭。書評子による下線部を紹介すると:

・グローバリゼーションは基本的には外国の、たとえばアメリカや西欧や日本の都合で進められていた。

・冷戦後、西欧がアフリカを見捨てたと見て取った中国は、この大陸は(中略)絶好の実験場になると考えついた。

ちょっと「この先」を知りたくなってくれれば幸いだ。その他、好事家の好奇心をくすぐるトリビア的情報も多い。

・セネガルの「アフリカ・ルネサンスの像」(2010年落成、高さ48メートル)を建てたのはどこの企業?   こたえ:北朝鮮

・中国の進出以前、シエラレオネの産業を牛耳っていたのは誰?   こたえ:レバノン人

・モザンビークを植民地にしていた西欧の国は?   こたえ:ポルトガル

わたくし事で恐縮だが、こうしたルポ本は途中でネタが割れて読了しないことがままあった。うん、いまも確かに本棚にいくつかある。だがこの本の著者は最後までうまく興味を引きつけさせる。トヨタ(9か所)以外に「日本」がいつまで経っても出てこないのだ。偶然か? フレンチ記者は中国に次いで日本でも特派員を務め、日本語も堪能らしい。

ならばワナと言うか、策略かも知れない。さんざ心配させた挙げ句に「エピローグ」で突如、日本について言及し始める。なかなかのストーリーテラーだ。そしてその論は、今中国がアフリカで声高に喧伝するあのウィン・ウィン政策のオリジナルは日本のXXだという。

ま、ヒトラーの強制収容所は、もとはイギリスが南アにおいておっぱじめたもの、というのに似た比較論だが、おかげで最後まで読み通せ、とても参考になった。

最後にこの邦訳を出した白水社に苦言を述べさせていただく。

カバーにアフロあたりからそれっぽい写真を買って使う。142ページにあるタイポ(よりもよりも)を見逃す。これらは「出版不況じゃからねえ」で許そう。ところが、14歳の時、松山の銀天街の書店「緑星堂」でアップダイクやサリンジャーに目を見開かせてくれた白水社にあるまじき行為を、この邦訳ではやらかしてしまった。

それは上記Kindle版を入手するまで気づかなかった原著への冒涜である。つまり、冒頭の2編の詩を割愛したのだ。「詩の檻はない」を標榜する「ウエッブ・アフガン」サイトだけに、余計許せない。詩に檻はないが、詩を消してしまっては檻にも入れないのだ。

「・・・の思い出に」のページに続いて原著には2編の詩がそれぞれ1ページずつ紹介されている。1つ目は中国の古詩「行行重行行」(ゆきゆきてかさねてゆきゆく)の冒頭から12行までの英訳詩。2つ目は、グウェンドリン・ブルックス(1917−2000)のTo The Diasporaからの抜粋(第2連の全7行)。

前者は詠み人知らず。後者はアフリカ系アメリカ人として初めてピュリッツァー賞を取った女性詩人だ。

フレンチ氏がつけた看板を翻訳の都合とかで勝手に下ろしてはいけない。ましてや、売り上げ的に「漢詩が邪魔」だと思ったとすれば、語るに落ちた読み手への暴力である。そうでないこと、ただのケアレスだと思いたい。興味ある方はググって自分で「製本して」読んでもらいたい。

そうすれば本書が本当に傑作であることがわかるだろう。
(そこまで書いて心配になったので一文:もし邦訳出来後に原著者が「いい詩があるね、いれておこう」と改訂したのならお許しを。)

金子 明

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20240512

羊の皮をかぶった狼  
『詩誌「フラジゃイル」第20号 記念号』柴田望(編集)(2024年5月7日、発行所・フラジャイル党)

手元に一冊の本が届いた。真っ白の表紙には「詩誌フラジゃイル」と横書きされ、その上に「旭Asahikawa川」なる一行が配されている。北海道旭川市で発刊している、詩の雑誌の、記念すべき創刊第20号だという。巻末の「短信」を読むと7年前の暮れに創刊されたらしい。どうやら年3回ほどの頻度で発行を重ねているようだ。

いったい詩の雑誌などというものを、しかも地方都市で出版され、隔月以下の希なるお目見えという状態で手にするとはどんな読者だろうか? やはり詩人が読むのか? 小学生の時、詩を書かせられたという意味では、かくいう書評子も詩人のはしくれなのか? 上記のハンディキャップ3点セット(詩、地方、低頻度)に引き寄せられ、思わずAmazonで注文したのでここに評させていただく。

さてまず、「フラジゃイル」とは英語のfragileから来たのか。ならば「取扱注意」の意味か。それとも字義通り「脆弱」の意味か。後者なら、いやいや詩こそ「ロぅバスト」だぞ。前者でも「象が踏んでも壊れん!心配無用」と突っ込みたくなる。つまりご存じの通り、詩こそ人類史上最強の芸術なのだ。

たとえば、ダクラス・アダムス作のラジオドラマ「銀河のヒッチハイカーガイド」にこんな1節がある。ヴォーゴン土建船団にただ乗りしたが見つかった主人公アーサーとガイド記者フォード(宇宙人)の会話:

アーサー「あいつら誰だ?」
フォード「えっと、運が良ければあれはヴォーゴンたちで、見つけ次第ヒッチハイカーを船外に放り出す。」
アーサー「運が悪いと?」
フォード「その前に船長が自作の詩を読んで聞かせる。」

そう、詩は強いのだ。そこで、こんどは本詩誌から1節:

「二一世紀の世界は混乱している 悪がはびこっているからだ わたしたちの愛を取り戻そう 一九四八年にイスラエルは建国された ヘブライ語は八割の人が使う公用語の一つとなった 古語が復活して実際に話されるようになったのは 歴史上ヘブライ語だけである ユダヤ人もアラブ人も仲良く暮らしていたのに何が彼らを分断してしまったのか パレスチナ自治区ガザでいま起きていることは 人間であるのに人間であるのが悲しくて辛い」
小島きみ子 (nostalgia) and (compassion) より

なるほど、一般に思われているように詩は「現実逃避のすゝめ」ではなく、現実逃避しているわれわれを現実に引き戻してくれるんだね。たくさんのチャレンジする詩のあとには、文学講演会(テーマは安部公房)の記録とか、亡命アフガン女性詩人ソマイア・ラミシュの新作詩、さらに彼女によるとある日本の小説への書評、また個人的に思い出深い「土工・玉吉」の編者である古川善盛の紹介まであって、はなはだ盛り沢山である。

これはまさにロぅバストでありレジリぇントな詩が、北の大地で生み出す一大アンソロジーではないか。以上が書評のタイトルを上のようにした理由である。詩集をぱらぱらめくって生を楽しみ、世界について考えたい人にぜひ勧めする。

最後に、この詩誌の制作者も製本デザイナーもおそらくほかの誰も気づいていないこの本の利用法を1つお伝えしておく。

手に取って分かったのだが、この本、表紙・背表紙・裏表紙がつるつるなのだ。何かに似ているな、と思って本棚を探ると出てきた。「旅の指さし会話帳」(我が蔵書はネパール)だ。その裏表紙には、「フラジゃイル」のそれと同様、真っ白な空白がありこう記されている:
「ここに書いてください
この覧は水性ペンを使えば何度でも“書いて、消す”ことができます。」

さあ、本誌と水性ペンを持って書斎にこもったり、街に、世界に飛び出そうではないか。下手こそ物の上手なれ。前述のヴォーゴン船長の域にまで達すれば「してやったり」ではなかろうか。

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金子 明

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20240504

異文化が尊重される人間社会をめざして  
『世界でトヨタを売ってきた。』岡部聰著(2016年8月20日、開拓社発行)

世界一のカーメーカー、しかも世界有数の競争相手との販売合戦を勝ち抜いてきたトヨタ自動車元専務のビジネス奮戦記がなぜこのコーナーに登場したのか、不思議に思われる方が多いのではないだろうか。

紹介した理由は、私自身の個人的な〝縁(えにし)〟に加え、岡部氏の体験と、私がアフガニスタンとの付き合いの中で得た体験とが深部でつながっていると感じたからである。

著者は70年に、日本からやってきた恋人と現地ネパールのひとびとに押される形でカトマンズで不思議な結婚式をあげる。当時、カトマンズからヒッピーの天国といわれていたカーブルへはハシシが流通し世界へ広がっていったという。この意外なつながりは本書には書かれていないが、珍しい結婚式を挙げたカトマンズとカーブルのつながりは著者のその後の人生を暗示するものだったのではないか、と勝手ながら思った。

「カトマンズとカーブルの不思議なつながり」についてはあとで述べるとして、まず〝縁〟について述べる。

 

岡部氏は私より1年先輩でおなじ東工大の同じ時期の学生。氏の所属サークルは山岳部。学科は私が入学した年に出来た社会工学科。社会工学科は略称「シャコー」といい、ものづくり中心の工学部にあって「社会そのもの」を対象とする、新しい、それゆえ人気の学科だった。岡部氏はここで川喜田二郎先生と出会い、先生がフィル―ドワークの対象としていたネパールでの水道と無動力ロープウェー建設の事業を推進し、先生を人生の恩師と定める。(第1章)

私とのつながりは、学生寮の運営と生活をつうじて私が山岳部とつながりを持っていたことである。冬の北アルプスの滝谷で寮生が単独遭難した事件があった。山岳部の助けをかり寮長として捜索の手配と雪解けを待って捜索そのものに参加した。遭難死が判明し山岳部やワンダーフォーゲル部の助けを借り、遺体収容作業を行った。そのプロセスで1名が死亡、もう1名が重傷を負う2次遭難を起こしてしまった。悔やんでも悔やみきれない事件だった。

岡部氏がネパールでヒマラヤのアンナプルナ登山と併行して水道および無動力ロープウェー建設を推進したのは東工大山岳部の4人。うち永田三郎氏は私の1年先輩の寮生で親しく、ネパールでの経験も直接聞いていた。本書で重要なエピソードを占める岡部氏らの活躍譚にその親しい先輩の名前が出てくるのは懐かしさ以上のものがあった。(第5章)

青年期の経験はそのひとの一生を決めることがある。アフガニスタンで医療と水に一生をささげた中村哲さんがアフガニスタンにのめり込んだのも新婚旅行で訪れたペシャワールで得た強烈な印象だったという。岡部氏は40年間のトヨタでのビジネス生活のほとんどを「悪路と難所だらけの新興国を中心とした海外事業展開」だったと述懐しておられる。アメリカやヨーロッパなど、車社会での事業展開にはほとんどかかわらず、「アジア、インド、中近東など、新興国を中心に70カ国以上を飛び回った」という。文字通り、新興国(発展途上国とも低開発国ともいう)に車を売る、そのためのモータリゼーションを地球規模で推進された。まさに近代化のパイオニアである。(第2章~第4章)

そのパイオニアワークの「原点はヒマラヤにあった」(第5章)。そのことを氏は、恩師である川喜田二郎先生に学んだ①野外科学的アプローチによる現地状況の把握、②謙虚に現地の声を聞き目線を合わせる、③パートナーとの信頼関係の構築、④現地側と利害を共有しうるインサイダー化であった」と総括しておられる。さらに、終章の「おわりに」で、川喜田二郎先生の弔辞で述べたつぎの言葉で締めくくっておられる。
「物事は多数決ですべてが決まるのではなく少数意見をいかに尊重しながら社会形成をすべきか、それぞれ異なった者同士をいかに融和統合させるかという、現代社会にとっての重要なテーマのヒントが、貧しいヒマラヤの山村生活の中にあったように感じました。」
「異文化が尊重される人間社会を目指し、異質の統合をチームワークの手本として、人を信じて任せるリーダーシップを信条とし、おおらかな人類愛にロマンを求めてきた人生。」

先に「カトマンズとカーブルの不思議なつながり」と書いたのは、わたしも、アフガニスタンとの40年以上におよぶつながりの中でまったく同じ感想をえたからである。アフガニスタンは氏族や部族や階級や宗派など異なる社会グループの融合・統合に失敗し、悲惨な状態に落ち込んでいる。誰の目にもそれはアフガニスタンに特有で明白な事象のように見える。しかし、果たしてそうか。先進民主主義国と呼ばれる国々はどうだ。もはや民主主義とか多様性とかの掛け声が社会対立を生み出し、争いを拡大し、調整不能にしているのではないだろうか。

われわれが千葉で始めたアフガン女性や子供たちへの教育支援は、実は、日本社会が異文化と共生・融合していくためのトレーニングのひとつだ。320万人をこえた在日外国人の大多数は、日本人がしなくなった労働を代替している。そしてその数はこれからも増えていく。形骸化した「民主主義」や「国益」や「民族」などのこり固まった考えにとらわれるのでなく、日本と世界を「異文化が尊重される人間社会」にしていかないかぎりこの惑星で人間が存続していくのはむつかしいのではないだろうか。

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野口壽一

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20240404

詩は息をするようなもの
『中央評論』中央大学発行(2024No.326 Winter)

昨年1年を通じる活動となった『詩の檻はない』(2023年8月15日発刊)に作品を寄せ、横浜で秋に開かれた朗読会や年末のソマイア・ラミシュさん来日シンポジュウムでも、ご活躍いただいた大田美和さんから『中央評論』の寄贈をいただいた。
大田さんは中央大学文学部教授でイギリス文学専攻。大学での活動や旺盛な執筆で、ターリバーンの詩作禁止・検閲に詩をもって抗議する国際活動の日本における展開を支えていただいた。

『中央評論』は中央大学の各学部から選出された編集委員によって企画・構成される中央大学唯一の総合誌。そのNo.326 2024 Winter号に大田さんが『詩の檻はない』にかかわった個人的総括とともに全体的意味について述べた論考を寄稿されている。

タイトルは「詩は息をするようなもの―アフガニスタンの詩人の呼びかけに応える詩集に参加して」。構成は3部からなっている。「1 マンチェスターでの在外研究と詩作」「2 アフガニスタンの詩人の呼びかけ」「3 出版と朗読会」。9ページとそう長くはないエッセー風の文章。

まず、まさに『詩の檻はない』運動が展開されている2023年の4月末から8月初めまで英国マンチェスターに研究在学された経験から書き起こされる。母語がつかえない環境にあって「本業」の詩を本場の英語で接するうちに「詩歌をつくることは、息をしたりご飯を食べたりするのと変わらない自然なこと」とする大田さんにひとつの英語の詩が生まれる。学生生活の「門番」がことばの「門番」も買って出ている現実を詠った「A Gatekeeper」。(この作品はマンチェスターの詩のコンペティションに出品され2位を受賞

大田さんは実は、マンチェスターに出かける前に、アフガニスタンの詩人ソマイア・ラミシュさんの呼びかけに応えて作品をつくり、彼女のもとに送っていた。タイトルは「アフガニスタンの詩人たちとの連帯のための『ポエマー』宣言」(『詩の檻はない』に収録)
大田さんがこの詩をつくるときに念頭にあったのはパレスチナの現実の中で詩をつくる詩人たちやアフガニスタンで水路をつくっていた中村哲さんら。マンチェスターで大田さんは息をするように現実を吸い込み吐き出すように詩を、現実と切り結ぶことばを生み出したのだ。

最後に、世界に先駆けて8月15日に発刊された『詩の檻はない』の詩人たちとの活動が語られる。年末には亡命先のオランダからやってきたソマイアさんとシンポジュウムや横浜見学をともにし、打ち上げで遅くなったソマイアさんのホテルまでの岐路に付き添ってもらったりした。

年が明けて1月21日には、フランス語版の『詩の檻はない』を刊行したフランス・ペンクラブの詩人の呼びかけで世界中の詩人たちと、地球を1周する朗読会を、日本時間午前4時から午後2時までのぶっ通しでおこなう企画に、太田さんも日本から参加された。アフガニスタンでは、詩だけではなく、ターリバーンと異なる宗教の名前や政党の名前を口に出しただけで罰せられる状況さえ生まれているという。女子教育も制限されたままだ。これからますます、ことばによる闘いの重要性がましていく。

なお、文中に「詩歌」とあったように太田さんは歌人としての活動も豊富で、最近刊の歌集『とどまれ』(北冬社)の他多数の詩歌集、エッセイ集がある。また、『現代短歌 No.101 2024 新人類は今』には「非暴力、平和、均等法前夜の青春」として文章とともに「ソマイア・ラミシュさんへ」と題する10首を寄せている。その冒頭作「『わたしのようになれる少女は何万人』いま十歳で女子は家庭に」

野口壽一

※ 『中央評論』は中央大学出版部にメールか電話で申し込み送られてきた振込用紙で申し込むのが一番早いそうです。雑誌は320円(税込み)で別途送料が300円かかります。詳しくは下記をご覧ください。
https://sites.google.com/g.chuo-u.ac.jp/chuoup/
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本書片手につい訪れたくなるもうひとつの日本
『北関東の異界 エスニック国道354号線 絶品メシとリアル日本』室橋裕和著(2023年3月15日 新潮社刊)

書名と表紙イラストは一見して「エスニック料理食べある記」風のフードカルチャー本。
ファーストインプレッション通りの本ではあるのだが、見かけの軽さの奥には現代日本の抱える矛盾と近未来を見通すすぐれた洞察があり、読み応えあるロード・ドキュメントとなっている。

筆者は「はじめに」で国道354号線をこう描く。
「高崎市からはじまり、群馬を走り埼玉をかすめ、茨城を貫通して太平洋にいたるこの道路の沿線に、外国人コミュニティが多い・・・助手席でスマホから地図を見ると、確かにその通りだと思った。国道354号線が通っている伊勢崎も、舘林も、やはり外国人の多い大田市も、それに茨城に入れば古河市や坂東市、常総市、つくば市、そして太平洋に面した鉾田市まで、どこも外国人が集住している。小山は少し北に外れるとはいえ、国道354号線から10キロ足らずの距離だ。北関東を東西に走るこの道路に沿って、移民ベルト地帯が形成されている。言うなれば『エスニック国道』だ。」
その国道筋を、内陸から太平洋岸まで、エスニック食堂や商店、工場、農家、モスク、寺院など外国人コミュニティに入り込み、舌鼓を打ちながら交流し、「異邦人」たちのなかに分けいる。その過程で、筆者は考える。

「それはいったい、なぜなのだろうか。どうしてこの地域に、どんな事情で外国人が集まるようになったのか。そして彼らはどんな暮らしをしていて、地元の日本人はどう感じているのか・・・急速に『移民社会』化が進む日本の、縮図がここにはあるかもしれない。ついでに言うと、きっと本場の異国飯も楽しめるはずだ。」

読者は、こうして始めた筆者の「異国飯」体験を共有する。同時に、ブラジルなどの南米、タイやフィリピンやベトナムやインドネシアなどの東南アジア、インドやパキスタンなど南アジア、アフガニスタンやイランや中東など、さまざまな地域から多様な民族と宗教が、高度経済成長期から現在まで、その時々の産業の衰退に合わせて、さまざまな形態で定着してくる様相を、軽妙な筆さばき(キーさばき?)で描いていく。かずかずのエスニック料理を筆者と一緒に堪能するエンタメルポの読みやすさ。

一方、日本は移民を認めていない国。さまざまな業種の業界が安くて優秀な労働力を外国に求めてもそう簡単につれてくることはできない。ところが日本の入国管理行政は建前と本音を使い分けて、実質的に「労働力」が国内に存在できるようにしている。また、労働力の側も日本の政策の矛盾や隙間をついてたくましく根を張り、稼いでいく。そのあたりの歴史的な変遷や裏をかいて生き延びてきた外国人のしたたかさの描写は見事である。

本サイトでは、千葉県のアフガニスタン人や埼玉県川口市・蕨市のクルド人問題を取り上げ、在日外国人と地域との問題を考察した。(<視点:091><視点:089>)「エスニック国道354号線」を読めば、千葉県や川口市で起きている良いことも悪いことも、国道354号線沿いではこの数十年の間に体験済みのことであり、これから起こるであろうことの解決の道筋もまた、そこには内包されていることがわかる。本文の章立てとは別に3つのコラムがある。それらはむしろ小論文と言った方が適切な趣のある解説で、国道354号線が日本経済を支える産業道路でもあったことを明かしだしている。

ちょっと堅苦しい書評になったが、本書の神髄はそればかりではない。筆者が探訪した各地を本書を片手に尋ねてみたくなる魅力に満ちた本である。

野口壽一

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『詩の檻はない』について
『詩の檻はない』日本および世界の詩人57人からなるアンソロジー
(2023年8月15日 Baamdaadバームダード ソマイア・ラミシュ発行、amazon.co.jp発売)(アマゾンページでの紹介はココをクリック)

『詩の檻はない』は、タリバン政権の詩作禁止令を受け、アフガニスタンにおける詩とあらゆる形態の芸術の弾圧に対して、アフガニスタンから亡命した一人の女性詩人の呼びかけに応じ、世界中から詩を寄せた詩人たちによる、詩に託された抗議運動である。寄せられた詩の制作の背景には、検閲や芸術への弾圧だけでなく、アフガニスタンの紛争や、タリバン政権による女性の抑圧なども取り入れられている。

この運動のきっかけとなった、アフガニスタンの詩人であるソマイア・ラミシュさんは、詩の力によって人々は連帯することができ、不正や抑圧などによる沈黙を打ち破ることができる変革力を信じて、世界中に詩を送ってくれるように呼びかけ、世界各地から100を超える詩が寄せられた。日本からも8歳の少女や学生も含めた36人の詩がこの本には掲載されている。著名な詩人だけでなく、これほど多くの様々な人が詩を寄せることができるのもSNSが普及した現代社会ならではと言えるだろう。
寄せられた詩は多岐に渡り、日本ならではの俳句も1篇掲載されている。英語の訳も付けられ、日本語の直訳ではない、その英文に、短い俳句に秘められた意味の奥深さを感じることができる。

アフガニスタンの女性の抑圧について触れられているのは、佐川亜紀の「女たちの言葉は水路」である。女たちの言葉を水路や花、樹、大地、針に喩え、それがいかに大事なもので、奪われてはいけないものかを訴える。題や冒頭の水路は、アフガニスタンのために水路を作るのに尽力し、銃撃により命を落とした中村哲医師に繋げている。アフガニスタンの苦難をアフガニスタンから遠く離れた日本の読み手にもわかりやすく伝えている詩である。
雪柳あうこの「いつかの早春」も、アフガニスタンの状況から女が幼い娘と往く野原を想起させ、アフガニスタンの女性が過ごしてきた茨の苦難を何代もの女性たちが改善してきた過去、そして再び茨だらけになってしまった現在につながり、それでも再び茨がなくなり、青空の下で過ごせる未来が来ることを詩の中に表現することが詩人の祈りである。

アルゼンチン出身のファン・タウスク「アフガンの詩人」は、タリバンからの女性に対する恐ろしい抑圧、女性蔑視の行為を表わし、それでも抵抗する自由と優しさの詩をつくる若い女性詩人は、ソマイア・ラミシュさんを表現しているのであろう。
詩の禁止・詩人の弾圧に触れているものも多いが、大田美和の「アフガニスタンの詩人たちとの連帯のための「ポエマー」宣言」では、それまでの詩人、ポエットから、弾圧に対して闘うポエマーという新しい名称を作りだし、自分でも闘うポエマーとなることを宣言するとともに、ポエマーが果たす役割を列挙している。とても重いことを表現しているのだが、ポエマーという言葉の持つ軽やかさ、ポップな雰囲気を詩の文体にも取り入れて、語尾が若い女性のような語り口調であり、読み上げるのに心地よさを感じさせる詩である。

尾内以太の「鯨」では、詩を禁じられたら、踊ろうに始まり、次々と行為を禁じられる。最後には沈黙して大地に立つ私自身が一行の詩であると宣言している。そして多くの人がその数だけの詩になる。彼の言う「沈黙を食べる鯨」を、読み手は色々と解釈することができるだろう。詩を制限する巨大な抑圧者とも考えられるが、この抑圧した状況、沈黙せざるを得ない状況を食べてなくしてくれる大きな望み、未来の希望とも考えられるだろう。(東海大学文芸創作学科在籍)

倉井綾香】(本書評が書かれた経由についてはココをご参照ください。)

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イスラエルとは何か?
『書物としての新約聖書』田川健三著
(1997年2月1日 勁草書房発行)

我が本棚に、背表紙がボロボロになって図書館風透明シールでどうにか崩壊を免れた一冊の本がある。700ページを超える大著で、改めて奥付をみると1997年2月にでた第1版第2刷とある。第1刷は同じ1月にでたばかりなので、この類いの本にしては如何に人気があったかがわかる。(で、いまでも買える。)もったいぶって済まないが、その本は田川建三著「書物としての新約聖書」である。

この田川氏、稀代の新約研究家で最近、新約をまるごと和訳し終わったという世界的碩学。どうやら神戸のでらしいが、今は草津に私書箱があるので、温泉にひたって力を貯めているようだ。「ライ麦の捕手ホールデン」ではないが、読み終わったら即電話いや、この方の場合お会いしたくなるような人物だ。

なぜそんな古い本を引っ張り出したかというと、ここへ来てイスラエルがかまびすしいから。ついこの間も「RAWAと連帯する会」の会合に行き、この国の非道について知識を得た。イスラエルへの非難はもちろん正論だ。あの超非人道的国家のことはよく分かった。そんな報道も多いなか、いつも欲求不満になることがある。それは「パレスチナ人とは何か?」という視点である。

新約聖書の成り立ちを、1アンソロジー(田川訳で500頁)の成立の歴史として延々と解説する本書に「その答え」があるとは、まさに「お釈迦様でも気がつくめえ!」だから、ここに書かせていただく。以下はほぼ丸写しで申し訳ないが、目をみひらいて「読んで、ちょーだい」な内容なのだ。

【ディアスポラとは?】
散在を意味する。だが、決して蹴散らされて散在したのではない。(1世紀ころの)ユダヤ人はヘレニズム世界へ打って出て、各都市部で繁栄をむさぼっていた。遠藤周作らの言う「かわいそうなユダヤ人」は幻にすぎない。確かに第1次ユダヤ戦争(独立を求めたユダヤvsローマ帝国/紀元70年終了)で負けたユダヤ人の一部(とくに宗教的支配層)は地中海世界へ逃げ出した。だが、それとディアスポラは違う。

『この七十年の敗戦が非常に有名で、歴史的にも影響が大きかったから、この頃のユダヤの歴史というと、生半可な歴史家が何でもこの敗戦に結びつけて考えたがるのも無理はない。しかし、ディアスポラのユダヤ人の存在までこれと結びつけようというのは、非常識もはなはだしい。この時の敗戦で「国」を失ったユダヤ人が、故郷のパレスチナにいられなくなり、かわいそうに、世界をさまよう流浪の民になった、などというのは、まっかな嘘である。』

【イスラエルをなす民】
『今日のおぞましい軍事国家イスラエルを形成しているユダヤ人のほとんどは、せいぜいのところ、これらディアスポラの(書評子注:古代の都市へと自ら進み出た)ユダヤ人の子孫であって、パレスチナを離れず、そこに住み続けたユダヤ人(※by書評子)の子孫ではない。』

そのうえ今日のイスラエルに送り込まれて住んでいる「ユダヤ人」は、その後の改宗者とその子孫の可能性すらある。

『とにかく彼らはもともとのパレスチナの住民ではない。』

補足すると、彼らはもう民族的にユダヤですらない。ユダヤ教は、キリスト教成立以前、いやその後においてもそれと並び、熱心に改宗を勧める宗教であった。だから「帝政ローマ=帝王が神」では嫌われた。

【※「そこに住み続けた」ユダヤ人のその後は?】
『パレスチナにずっと生き続けたユダヤ人は、その後更にさまざまな支配者がその上を通り過ぎていったから、人種的にも混血を重ねていっただろうし、文化的にも徐々に民族の統合性を失っていく。もっとも、彼らに限らず、地球上に「純粋な民族」などというものが存在するはずもないけれども。そして最後に彼らは宗教的にも言語的にもイスラム化・アラブ化していった。その末裔が今日のパレスチナ・アラブ人である。』

アラブ人が外からやって来てユダヤの地を汚している。それを正すのがイスラエルだ、との大声もよく聞く。でもね:

『どのみち、ユダヤ人自身紀元前二千年期以降に外からこの地に移住してきて、先住民族を順に皆殺しにしていって、その代わりに住みついた者にすぎない。他にむかって、あいつは外から来た者だ、などと言う資格はないのだ。しかし、強調しておくが、今日のパレスチナ・アラブ人の先祖をたどれば、ずっとこの地で生きてきた土着のユダヤ人に行き着く。』

【パレスチナ人とイスラエルのユダヤ人の宗教的相違】
前者の祖先は『ずっとこの地で生きてきた土着のユダヤ人』で、『歴史に踏みにじられていくから、同じ土地に住みつづけていても、ユダヤ教を離れ、アラブ化していった。』

かたや後者の祖先はディアスポラのユダヤ人で、『なまじはじめから異教徒に囲まれて生きてきただけに、かえって自分たちの宗教的伝統にしがみついた。その結果、現在にいたるまでユダヤ教信仰を頑強に保ち続けてきたのである。従って彼らが今頃になってパレスチナに乗り込んで来て、ここは本来自分たちの土地だから、などと言っても、それは歴史的嘘というものである。』

いかがだろうか?この世に嘘はつきもの、とカエル面を決め込むか。そんなこととっくに知っていましたよ、と日常生活に邁進するか。それは読者の選択ではある。ただし、以上が正論だとすると、例の「二国家解決」すらむなしく思える民族の蹂躙ではないか。世界をリードする(と一般に思い込まされている)米国が、誰の土地の上に繁栄を築いたかを思い出すと、背筋がちょっぴり寒くなる冬の朝である。

金子 明

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詩誌「フラジャイル 第19号」
発行:フラジャイル党(2023年12月発行)

本サイトではアフガニスタンでの詩作禁止に詩で抗議する世界的な運動となった『詩の檻はない』の日本語版発行を主導しておなじみになった、北海道旭川市を拠点として活動する柴田望氏が主宰する詩誌。旭川市で戦後72年続いた詩誌『青芽』の後継誌で2017年12月に創刊。「青芽」は詩人・富田 正一(とみた しょういち、1927年3月30日 – 2021年4月7日)氏が、日本国有鉄道(国鉄)に勤務する傍ら、19歳から91歳までの72年間発行を続けた。その業績により富田氏は旭川市文化功労賞を受賞している。

その「フラジャイル」の19号は、昨年、『詩の檻はない』の活動を中心に特集を組んでいる。同時に10月7日にアフガニスタンのヘラートを襲った大地震に対する救援活動を呼び掛ける号ともなっている。

今号の特集は、昨年8月24日、『詩の檻はない』の発行を記念して旭川市で開かれた「世界のどの地域も夜」の全体が収録されていて圧巻。柴田氏より全頁をpdfにして送っていただいた。ここをクリックすればpdfを閲覧できる。ぜひ一読ください。

詩誌「フラジャイル」には公式ブログがあり、ここをクリックすれば同会の日々の活動や詩作品に触れることができます。

得難い活動として皆さんのご支援を訴えます。

なお、詩誌「フラジャイル」第19号は下記2サイトにて購入可能です

amazonhttps://x.gd/lbpcZ
楽天ブックスhttps://books.rakuten.co.jp/rb/17721343/

野口壽一

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ヒンズークシュに幻の蝶を求めて
『蝶と人と 美しかったアフガニスタン』尾本恵市著(朝日新聞出版・2023年)

本書は今年90歳の人類学・集団遺伝学の権威の手になる、と書くと堅苦しい専門書と思われるかもしれない。しかし書かれているのは、著者が若干30歳の2カ月間、アフガニスタンの秘境に「幻の蝶」を求めて挑む「冒険とロマン」の書である。
なんと、60年前の踏破行を著者が秘蔵していた日記と写真を引っ張り出してきて、現在の光をあててよみがえらせたものである。と書くと、さらに、セピア色の想いで話ではないかと誤解する慌て者もいるかもしれない。

ところがところが、読み進めるうちに、60年前の記述とはとても思えない新鮮さ。去年の冒険談かとも錯覚するほどのリアルさで迫ってくるのである。
その理由のひとつは、著者があとがきで、ダーウィンが『ビーグル号世界周航記』を書いているように「自然史の研究者が優れた紀行本をものしている」事実を肝に銘じて執筆しているところにあるだろう。

タイトルに「蝶と人と」とあるように、叙述は、研究者やコレクターにとってはため息が出るような蝶に関するマニアックな記述にあふれている。評者は蝶のマニアではないからその分野では豊富にちりばめられた蝶の美しい写真を堪能するしかなかったが、「人」やアフガニスタンの自然、文化、社会、歴史に関する記述には讃嘆の声を発せざるをえなかった。とくに、ハザラ族やヌーリスタン族に関する記述。アフガンの多数民族(部族)であるパシュトゥーン族とのありように対する考察は、現在のアフガニスタンが抱えている困難のよって来るゆえんを知る意味でも貴重な指摘にあふれている。弱者にたいする筆者のひそやかであたたかいまなざしに敬服した。副題に「美しかったアフガニスタン」とあるのは、自然や民衆の心の美しさではあっても、社会の厳しさや生きるうえでの困難さは研究者の目で客観的に正確に叙述されている。

また、あとがきでは進化論をめぐって、西洋哲学との違いが指摘されていて、評者としては膝をたたく思いであった。さらには、カーブル博物館の文物についてかなりのページが割かれているが、それは、評者が原案者となって制作した日本アフガニスタン合作記録映画『よみがえれ カレーズ』の副産物として土本典昭監督がまとめた作品から引用されていた。それも評者が親しみを感じた理由のひとつだった。

最後に、蝶のみならず、豊富に掲載されている人びとや風景写真の鮮やかさ、美しさには舌を巻く。とても60年前の写真とは思えない。

学者らしい洗練された正確なデータと論理と探検とロマン。うらやましい限りの一冊だ。

野口壽一

bird

『わたしのペンは鳥の翼』
アフガニスタンの女性作家たち著、古谷美登里=訳 (小学館・2022年)

昨年10月、twitterで『わたしのペンは鳥の翼』の訳者古屋美登里さんが「書影が出ました」と紹介されてこの本を知り、書店に並ぶ日を心待ちにしました。

アフガニスタンの女性作家18人による23編がいよいよ手元に届き、ワクワクと開くも、何度もページを捲る指が震えて読み進められなくなりいったん閉じる、でも気になってまた開く、を何度も繰り返した後に読み終えることができた本です。

こんなに苦しい読書は初めての経験だったのに、だからもう二度と手には取らないとはならず、落ち着いたらまた読もう!と思っている自分に驚き、「なぜ?」と問いかけると「これほど近くに!日常の場に私を連れて行ってくれたから。何を見るより、何を読むより、アフガン女性たちに近づけたように感じられたから。次はもう少し落ち着いて読めるかもしれないから。もう少し読み込まないともったいない気がするから…」と私の心は語っていました。

アフガニスタンの公用語のダリー語とパシュトー語で書かれた短編をアフガニスタンの女性や男性が英語に翻訳されたので、著者たちの自分らしさがしっかりと伝えられたのだろうなと感じています。

後記に「作品を読んでもらうことは精神的支援なのです」とあり、この言葉を覚えておこうと思いました。

苦しい苦しい作品群の中で、第1部の「犬は悪くない」で描かれた「代書屋」は興味深く、ダリー語勉強中の私は「原文のダリー語文でこの作品を読んでみたい」と叶わぬ夢を見ています。

「ペンの力の強さ」というものを改めて感じさせられた本で、多くの人々の手に渡ることを望んでいます!

森中真弓

 

『わたしが明日殺されたら』
アフガニスタン次期大統領候補フォージア・クーフィ著、福田素子訳 (徳間書店・2011年)

北の辺境バダフシャーン州では、今(2022年秋)もターリバーンに対して激しい抵抗戦が繰り広げられている。かつてソ連の占領に抗ったのも州内の険しい山中に逃げこんだムジャヒディーンたちで、1992年に彼らは、とうとうソ連の置き土産ナジブラー政権を打ち倒した。何やら抵抗・反逆の地とも呼べそうなバダフシャーンだが、その北のはずれにクーフと呼ばれる小さな村がある。1975年、その村に生まれたのが本書の著者フォージア・クーフィ氏で、執筆当時(2010年)州選出の国会議員(二期目)であった。

クーフィ家は代々続く政治一家だ。父親(ムジャヒディーンが惨殺)も国会議員だった。父の死後、彼女を支えた兄によると『月給で暮らしていく』必要などない家柄だった。代々の搾取と蓄財が物を言ったのだろう。そして彼女の国会議員という地位も、おそらくは父親の地盤と金を引き継いだ結果であろう。

そんな著者の半生記を「生ぬるい」と脇に置くか? 置かれたくない出版社は「次期大統領候補」と著者名に惹句をつけた。彼女は、大統領選をカルザイと戦った『マスーダ・ジャラル』の夢を継ぐ女傑で、そのためにこの本は好事家の耳目を引くのか。そうではない。本書の魅力は、当事者だけが知るアフガニスタンの悲惨な日常が生々しく、女性の目線で記録されていることである。

誰も生まれ出る「家柄」を選ぶことはできない。著者はたまたま、大金持ちの国会議員の娘として生まれた。それは不幸にも、戦乱の時代が始まる頃だった。アフガン生まれの彼女以降の世代は、平和を知らない。その上、地方は「女性に教育などありえない」という文化だ。出自のせいもあり、殺されにそうになること、(ざっと)4回以上。逃げ回った体験は・・・数え切れない。すったもんだの挙げ句、国会議員にまで上りつめた一人の女性の物語だ。

兄たちの反対を押し切り自らすすんで教育を受け、ほかの有力者の妻(大抵第二以下の若夫人)の地位に甘んじることなく、必死で教養を身につけた結果、この半生記を著すことができた。これを冷たく評することが許されるのは、少なくとも「なまぬるい」平和に浸りきった私たちではないだろう。

しかも、これは悲しく怒りに満ちただけの本ではない。地獄とも呼べる環境に置かれてなおユーモア溢れる感覚、あけっぴろげな心情が随所で表され、読む者を楽しませてくれる。これは類い希なる文才だ。大いなる悲しみの中でこそ、笑いが大切なのかしらん、と思わせてくれる。

また、ここで描かれるクーフィ氏はスーパーウーマンからはほど遠く、暴力に打ち震え、大胆かと思いきや実は小心、伴侶には愛情だけでなく肉体を求め、ブルカを強制されると心の底から引っ込み思案になってしまう。そんな彼女を成功へと導いたのは、あのターリバーンも含めた市井のアフガン人の数々の親切だった。

そして2005年、国会に初登院。『何年ものあいだあまりに多くの涙を流したために、流す涙がのこっていなかった』クーフィ氏だが、国会に向かうバスの中で涙した。『その涙は幸せの涙』だったという。だが、ご存じのようにその『幸せ』は、もろくも吹き飛んでしまった。彼女は今ヨーロッパに亡命しているようだ。時に国連で発言するなど、アフガニスタンのよりよき未来のため、しぶとく精力的に活動している。

先に紹介した「アフガン民衆とともに」同様、本書も初出から10年以上が経つうえ、アフガニスタンの状況は大きく変わってしまった。今では、この本に描かれた昔のターリバーンが復活し、再び人々を苦しめていると伝え聞く。特に女性への虐待はいかばかりだろうか?現実を直視するのはつらいが、知らないで放っておける問題ではない。「彼らはさらに悪化した」との声があがるなか、私たちが手にできる必読の一冊である。

(本書は原題が「Letters to My Daughters」でカナダ版。書評子がかつて本サイトの「編集室から」で紹介したのは「The Favored Daughter」という米国版。後者はマラライ・ジョヤへの直接の評を割愛するなど、いろいろ改訂されている。)

金子 明

malalai

『アフガン民衆とともに』
元アフガニスタン国会議員マラライ・ジョヤ著:横田三郎訳 2012年 (耕文社刊)

かなり旧聞に属するが、わが国には「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」と持論を開陳してひどく叩かれた元首相がいる。何たるショービニスト的発言か、と。では、彼のような人物の避難所たるアフガニスタンで女性が国家の重大会議に呼ばれ演壇に立つと何が起きるか・・・

「ウエッブ・アフガン」サイトでおなじみの悪役ザルメイ・ハリルザド(米特別大使)が、アフガン占領の成果を誇示せんがためロヤジルガと呼ばれる伝統的国民会議を復活開催させたのは、2003年の秋だった。ちなみに、もう一人の悪役ハーミド・カルザイがまだ「共和国」の暫定大統領だったころの話だ(初代大統領になるのは翌年)。さて、そのロヤジルガに、はるばる西の辺境地帯から送られてきたのが、この本の著者である。名前はマラライ・ジョヤ(どうも仮名らしい)。まだ25歳の若者であった。

会議が開かれた大テントにはムジャヒディーンのお歴々が鎮座していた。どうにかこうにか発言の機会を得た彼女は、こうまくし立てた。『この国をかくのごとき状態に導いた犯罪者の出席を許し、このロヤジルガの正当性を揺るがすようなことをなさるのは、なにゆえでしょうか。犯罪者たちにここにいることを許しているのは、なにゆえでしょうか。彼らは、今この状況について責任を負うべきです。』

犯罪者と罵倒されたお歴々が怒りだし、スピーチはすぐに止めさせられた。悔しかったが、この声は全国中継され、やがて動画サイトで「マラライの90秒」として世界中に広まった。暗殺を恐れて、西への帰路は直通チャーター便に急遽変更されたほどだった。ちなみに地元空港では歓喜の群衆が出迎えたという。本書は、こうした経緯で当時一躍ときの人となったマラライの自伝である。

読んで驚いたのは、ムジャヒディーンの悪行への容赦なき切り込みである。彼女に、「昔は昔、今は今、今後の政府に必要な人材なら、うまく利用しようではないか」などという日和見は微塵もない。日本人にはちょっと人気のあのマスード(2001年暗殺)でさえ、なますに切り刻む。『宝石商人であり、ロシア人相手に商売をしていた』と暴露し、かつてソ連が撤退したあとには、ライバルの軍閥ヘクマティアールを敵に回して、『あたかも一片の骨を奪い合う犬のごとくカーブルの統治権をめぐって争いはじめた』と、にべもない。

原著が英語で書かれたのは2009年(邦訳の出版は遅れて2012年あたま)で、米大統領がブッシュからオバマに変わったころ。そのため当時のアフガン状況への鋭い批判が、本書のもうひとつの白眉である。「増派などまかりならん」とか「米兵はすみやかに撤退せよ」とか。ところが、いまやアフガニスタンは大きく変わってしまった。一般にムジャヒディーンよりも一層あくどいと伝えらているターリバーンの治世である。

『気の毒なアフガニスタンの人びとは、危険と貧困の中に暮らしている。愛する人たちを見捨てて、国を離れられるだろうか。彼らを地獄の火が燃えさかる中に残して、自分だけ安全な場所を求める気にはなれない』と書いたマラライもSNSによると、どうやら外国に亡命しているようだ。

では、本書をいま手にする理由は何か? 答えは単純である。国を変えるのは、あとに残された国民なのだ。恐ろしい女性差別に本気で命を張って戦い、それに勝利できる者は、いま現地で苦しんでいる女性たち以外に誰がいるというのか。ただし、そんな彼女たちにも精神的バックボーンが必要だ。社会を変える声を持つ先駆的人物が、人々の抵抗する心に火をつける。

マラライは社会福祉の実践者であり、素晴らしい政治家であった。スパルタカスとガリレオとブレヒトを称賛する。アフガン現代史を正しく伝えたい彼女は自伝の姿を借りて本書をしたためたのではないか。複雑なアフガン政治史を、こうもかみ砕いて教えてくれた本は、管見にしてこれまで無かった。

あとは我々が彼女のメッセージをどう読み、どう実行するかである。書かれた13年前よりも状況は悪い方へと傾いた。だが、いやだからこそ、マラライの炎は消え去るどころか、さらに激しく燃えさかっている。彼女はブレヒトの戯曲からこう引用する:

『真理を知らない者は、ただの愚か者です。
だが、真理を知っていながらそれを虚偽という者は犯罪者だ!』

金子 明

meena

『ミーナ』 立ちあがるアフガニスタン女性
メロディ・アーマチルド・チャビス/訳:RAWAと連帯する会 2005年 耕文社刊

久しぶりに「ミーナ」の本を手に取りました。
時々、必要に迫られて、部分的に確認のためにページをめくることはあったけれど、始めから通して読むのは久しぶりのことです。
ミーナに関する本は、このメロディ・アーマチルド・チャビスさんによる伝記が今のところ唯一のものだと思います。
私がアフガン支援に関わって、かれこれ18年になります。RAWAと連帯する会に入ったのは2006年なので16年の関わりです。先輩たちの活動の中で学ばせてもらってきましたがまだまだ勉強不足で、わからないことがいっぱいです。これまでパキスタンやアフガニスタンでRAWAメンバーと会い、交流をしてきました。もっとも英語のできない私は、横に座って聞くだけですが。初めごろはRAWAのメンバーは少し年配の人もいましたが、いつの間にか若い人たちが中心になり活動を担っているようです。それぞれに誇り高く、活動に確信を持ち、けれど時には冗談を言い合ったりできる素敵な人たちです。これまでも常に危険と隣り合わせで活動をしているため,細心の注意を払っています。そのため私たちは彼女たちの本名を知りません。

ミーナ、若くしてアフガン女性の解放に向けて全力で闘った女性です。ミーナが育った環境とその時代、ソ連の侵攻直前のアフガニスタンの政治状況、夫ファイズとの政治信条が異なる中でのお互いへの信頼と愛情、RAWAを作っていった状況など、大変丁寧に書かれています。決して「憶測」や「また聞き」によるものではなく、著者が実際にパキスタン・アフガニスタンに行き、RAWAのメンバーや周りの人々から何度も話を聞き、それらを元にして書かれています。ミーナは夫ファイズが「アフガン解放組織ALO」(毛沢東主義派)のため、同一視されることがありますが決してそうではありません。

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isezaki

<提言>   ウクライナ危機から学ぶ日本の安全保障と国際平和 
―東京外国語大学教授・伊勢崎賢治氏の講演より(いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関 長周新聞 2022年9月27日刊)

2003年10月に開始され、2005年7月7日に終了した「アフガニスタンにおける元兵士の武装解除・動員解除・社会復帰(DDR)計画」(参照:https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/17/dmc_0707.html)を指導・遂行した伊勢崎賢治氏の講演記録。伊勢崎氏はファミリーヒストリーから語り始め、アフガニスタン問題、ロシア・ウクライナ戦争まで、いかにしたら現代人が戦争を克服できるのか、個人的経験を踏まえた貴重な提言を行っている。必読!

――「戦争では多くの人が亡くなる。戦争体験はファミリー・ヒストリーとして次世代に受け継がれる。おそらく個人の戦争に対する考え方はそこに左右されるだろう。
僕は国連や政府代表として現代の戦争をいろいろ見てきたが、ファミリー・ヒストリーとしての第二次世界大戦の体験がある。場所はマリアナ諸島サイパン。伊勢崎家はサイパン玉砕で、私の母と祖母、弟(叔父)など数人をのぞいて全滅した。もともと伊勢崎家は小笠原が本籍地だが、国の南方政策に従って一族郎党全員でサイパンに入植した。そこで戦争が勃発し、末期にアメリカがやってきた。
追い詰められた住民や日本兵に向かって米軍がスピーカーで「投降せよ」と呼びかけるなか、それを無視するかのように住民たちは断崖絶壁から身を投げた。私の一族もだ。いわゆる「バンザイ・クリフ」といわれる場所だ。
小学生のときに祖母から聞いた話では、当時「米兵に捕まれば女性はレイプされ、殺される」「男は拷問され、殺される」「どうせそんな辱めを受けるくらいなら天皇陛下のために死ね」と語り合われ、その同調圧力のなかでみんな崖から身を投げたという。」

伊勢崎の語り始めである。全文は右のタイトル名<ウクライナ危機から学ぶ日本の安全保障>をクリックしてお読みください。

 

『アフガニスタン・ペーパーズ 隠蔽された真実, 欺かれた勝利』 クレイグ・ウィットロック/河野純治典 2022年 岩波書店刊

表題書が手元に届いたのでざっと目を通した。著者は「ワシントンポスト」紙の記者クレイグ・ウィトロック。米国史上「最も長い戦争」と呼ばれるアフガニスタン戦争(2001年〜2021年)に関する、米国側が得た証言集だ。アフガニスタン関連の書物はいくつか読んだが、これは抜群に面白い。直接関与した兵士・軍属・政治家たちの生の声だからだ(米国・NATO・アフガニスタン含む)。

ここで“ざっと”と書いたのは、去年8月末に出版された原書(Afghanistan Papers: A Secret History of the War)をすでに読んでいたから。そんな不遜な態度で、天下の岩波出版物を評そうという書評子の不徳をまずお許しいただきたい。ちなみにニューヨークタイムズ(ライバル紙?)も認めるノンフィクション部門の2021年ベストセラーだ。(本サイトで連載した金子明の「アフガニスタン・ペーパーズを読む」は「アフガン戦争でなにを学んだか」のタイトルでここに収録されています。)

表紙の暗い写真は2002年2月に撮られたという米国中央軍の作戦室(フロリダ州タンパ)。現地アフガニスタンと衛星通信でつながっている。迷彩服を決めた15人の軍人たちが半円形に並び、正面のスクリーンには現地の映像らしきものが見える。軍によるマスコミ向け演出だろうが、こんなやつらを敵に回すのはまずかろうと思わせる迫力は十分にある。

ところがページを開くと、彼らのド真面目さを全否定する証言が次々飛び出してくるから傑作だ。もともと2019年末に掲載された「ワシントンポスト」紙の特集記事ということだが、一体全体どこから証言を仕入れたのか?前書きによると、①アフガニスタン復興特別審査官(SIGAR)、②ラムズフェルド国防長官のメモ書き、③口述歴史(米軍や大学などが行った聞き取り調査)がその源で、一部は裁判を経て公開にこぎつけたという。

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『アフガニスタンの教訓 挑戦される国際秩序』 山本忠通/内藤正典 2022年 集英社新書

著者の山本氏は外務省職員。本国での勤務、諸外国での公使・大使職を歴任したあと国連事務総長特別代表・国連アフガニスタン支援ミッションの長として現地でアフガニスタン和平業務に従事。内藤氏は同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授、イスラームおよび中東学者。イスラム共和国代表とターリバン代表を同志社大学に招き両者が同席する世界初の国際会議を主催。本書は両者の対談の形をとり、山本氏の実践と内藤氏の研究との成果が縦横に語られ、外部からはうかがい知れないアフガニスタンの深層の矛盾が解き明かされていく。「国連、欧米の支援下、自由と民主主義を掲げた共和国政府はなぜ支持を得られず、イスラーム主義勢力が政権を奪回できたのか?」「アフガニスタン情勢のみならず、ロシアのウクライナ侵攻など、国際秩序への挑戦が相次ぐ中・・・問題の深層と教訓、日本のあるべき外交姿勢を語る。揺らぐ世界情勢を読み解くための必読書。」(本書カバーの言葉)※なおこの書については2022年8月5日付視点「ターリバーンの代弁者になってはならない」が詳述している。

 

『タリバン台頭』 青木健太 2022年 岩波新書

著者は英ブラッドフォード大学で平和学を学び、アフガニスタン政府アドバイザー、在アフガニスタン日本国大使館書記官などで7年間の現地勤務。帰国後外務省、お茶の水大学講師などを経て現在は中東調査会研究員。豊富な現地体験と学究活動、アフガニスタンの歴史研究を踏まえた現状分析に定評がある。著者の課題は次の課題に答えることである。「〝テロとの戦い〟において〝敵〟だったはずのタリバンが、再びアフガニスタンで政権を掌握した。なぜタリバンは民衆に支持されたのか。恐怖政治で知られたタリバンは変わったのか、変わっていないのか。アフガニスタンが直面した困難には、私たちが生きる現代世界が抱える矛盾が集約されていた。」アフガニスタン問題に関心をもった読者にとってまず紐解いて損のない好適の入門書である。

 

アフガニスタン、パキスタンの双子のターリバーン問題

アフガニスタン、パキスタンの双子のターリバーン問題

USIP(United Stares Institute of Peace)
2022年5月4日水曜日
筆者:Asfandyar Mir、Ph.D.

オリジナルはここ(英文)

パキスタン・ターリバーン(Tehreek-e-Taliban Pakistan)によるパキスタンでの攻撃は、アフガニスタンのターリバーンとパキスタンの間の緊張を高めることにつながる。そこにはどんな危機があるのだろうか?

パキスタンとアフガン・ターリバーンは、大きな危機の瀬戸際に立たされている。ターリバーンは、米軍およびアフガン政府に対する反乱の間主要な国家的支援者であったパキスタンに、政権をとって以来反抗してきた。それは、アフガニスタンとパキスタンのあいだの国境状態に異議を唱え(デュアランドライン問題)、パキスタンの反政府勢力であるテヘリク・エ・ターリバーン・パキスタン(TTP)、別名パキスタン・ターリバーンに避難所を提供することにあらわされた。TTPは数千人のパキスタン人を殺害し、ターリバーン・スタイルでシャリーアを遵守した国家をパキスタンで建設しようと狙っている。ターリバーンは長年の支援に対する感謝からパキスタンに従順になると考えていたイスラマバードを驚かせた。

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『アフガニスタン マスードが命を懸けた国』 長倉洋海  2022年4月10日 白水社

アメリカ9.11同時多発テロの2日前、自爆テロで生命を絶たれたアフマッド・シャー・マスード。ソ連軍侵攻の最初から武装闘争を組織し指導し戦い、勝利に導いた現場指揮官として、また、ジハードを戦うムジャヒディーン指導部の一人として、多くがパキスタンを拠点に活動した中にあって、あくまでも自らの出身地であるパンシール渓谷にこだわり、そこを解放区として理想社会の建設にとりくんだ稀有の指導者であった。その類まれな軍事指導理念に基づく一貫した戦いにより、ソ連軍撤退後にPDPAを打倒し政権奪取した後に国防の責任者となった。イスラームの理想に立脚した新社会の建設に取り組めるはずであったが、ムジャヒディーン内部の利権争い、派閥抗争に直面。アフガニスタンはいっそうの荒廃に沈んでいく。その中にあって、なんとか戦線を立て直そうとするマスードだが、新たな敵、国際的なイスラームテロリズムの潮流が立ちふさがってくる。邪悪な世界戦略の前に立ちふさがる最大の邪魔者マスードをアラブ人テロリストをつかって消し去ったビン・ラーディンの計画が、9月11日のアメリカ上空に炸裂する。著者の長倉は1983年から死の直前までマスードおよび彼の軍団に密着しながら、彼らの戦いを内部から見つめ、記録し、ターリバーンが再来した現在にあっても、マスードの意思を引き継いで戦い続ける人びとへの熱いまなざしを注ぐ。緊急出版でありながら、40年に及ぶアフガニスタン民衆の苦闘の歴史を通観する書となっている。長倉が本書でつぐむマスードの思想の一端・・・

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「ウクライナは早く降伏するべき」そうした主張は日本の国益を損ねるトンデモ言説である
「国際法」を守ることは、日本の国益を守ることになる
篠田英朗 2022年3月28日 PRESIDENT online

本論稿において著者は、ロシアのウクライナへの侵略行為が国際社会の根本規範に明白に反していると指摘する。現代国際社会の秩序は、「国連憲章体制」とも呼ばれる。国連憲章は、世界憲法とは違うが、しかし193の加盟国が国際社会の根本秩序について合意した内容を持っているという点で、国際法の体系的な基盤となっている。第2次世界大戦以前は国家間の戦争は「宣戦布告」という果たし状を交わしルールに則って行うものとされた。しかし第2次世界大戦後は冷戦体制下、国連が存在してるにもかかわらず、朝鮮戦争、ベトナム戦争、ソ連進駐下のアフガニスタンなど「宣戦布告なき戦争」がつづいた。さらには、非対称戦争とか対テロ戦争などと20世紀前半の概念では規定できない武力行使が頻発するようになってきた。そのような時代には、国際的な規範の確立が重要であり、それを破ったプーチンのロシアを勝利させてはならないのだということを、国際法理論的に証し出している。[本論を読む]

著者は東京外国語大学教授。
1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程修了、ロンドン大学(LSE)大学院にて国際関係学Ph.D取得。専門は国際関係論、平和構築学。著書に『国際紛争を読み解く五つの視座 現代世界の「戦争の構造」』(講談社選書メチエ)、『集団的自衛権の思想史――憲法九条と日米安保』(風行社)、『ほんとうの憲法―戦後日本憲法学批判』(ちくま新書)など。

 

 書籍 /出版物

『苦悩するパキスタン』水谷 章 2011年(2017年第2刷)花伝社刊
著者は1980年に外務省に入省。外交官としてパキスタンに滞在し同国の研究を行っている。本書は一橋大学大学院で2007年から2009年にかけて行われた講義をもとに執筆されている。現地での研究をベースに大学での講義ノートに整理・加筆がおこなわれているため、豊富なデータが詰め込まれているわりにはパキスタン政治経済の歴史と状況が俯瞰的かつ分かりやすく述べられており読みやすい。この種の著作に一般的にありがちな公平中立客観をうたう無味乾燥な叙述と異なり、タイトルにあるようにパキスタンの国家・国民・庶民の「苦悩」をビビッドに捉えていて、引き込まれる。学問的でありながらドキュメント作品を読むかのような楽しみを与えれくれる書である。

『西南アジアの砂漠文化――生業のエートスから争乱の現在へ』松井健 2011年 人文書院刊
著者が1978年から始めたアフガニスタン・パキスタンでのフィールドワークをベースに30年におよぶ論及をまとめた労作。特筆すべきは世界最大級の民族集団であり国家的には分断されながらも自立独立性をかたくななまでに固守する遊牧民を出自とするパシュトゥーン族の民族文化をその成り立ちから現在までを実証している点である。同じ遊牧民であるバルーチュ族との比較をも行いながらパシュトゥーン族の文化を特徴づけるイスラームの受容と伝統的な慣習法であるパシュトゥーン・ワリの実相を実証的に解明していく叙述には引き込まれる。とくにパシュトゥーン・ワリの最大の特徴である血讐と女性の扱いを「性愛のテーマ」としてまとめ、それを譲ることのできないパシュトゥーンの精髄としてまとめられている点に惹かれる。果たしてパシュトゥーンがそれら時代遅れになった慣習法を固陋として捨て去る日は来るのか。「ジハード」の錦の御旗が達成されたこれからのアフガニスタンでのターリバーンの動向に注目したい。

『黒い同盟 米国、サウジアラビア、イスラエル』宮田律 2019年 平凡社刊
アフガニスタン問題をその国の国境内だけをみて論じることはできない。ターリバーンの誕生と育成に関するパキスタンの介在は今や隠すことはできなくなった。一方、サウジアラビアを発祥とする過激なイスラーム思想を奉じたアル=カーイダの存在は希薄になったとはいえ、アラブの過激なイスラーム主義勢力は依然としてアフガン内に存在している。今後ターリバーンは「黒い同盟」と同対応していくのか、目が離せない。

『アフガニスタンを知るための70章』前田耕作/山内和也(編著) 2021年 明石書店刊
本書はありきたりのノウハウ・ウンチク本と異なり、アフガニスタンに関する各分野の専門家45人が執筆するアフガン百科全書的専門性を維持している。しかし、アフガニスタンの魅力を伝える執筆の工夫やコラムの数々を通じて、アフガニスタンがすぐそこにあるような錯覚を与える親しみやすさを与えてくれる。本書の企画は2021年が日本とアフガニスタン修好条約交付の90周年を迎える節目の年に当たり、それに合わせた出版を企画したが発刊直前にターリバーンのカーブル占拠とイスラム共和国崩壊があり、急遽補論が執筆されたという。緊迫感もうかがえる。巻末に「アフガニスタンを知るための文献・映像」として情報リストが添えられていて便利。アフガニスタンに興味をもつすべての人の座右の一冊にふさわしい。

『シルクロードの謎の民-パターン民族誌』J.スペイン著 勝藤猛/中川弘共訳 1980年 刀水書房
ソ連がアフガニスタンに武力介入した直後に発行された本書は、パシュトゥーン人(パターン族)とその社会、成り立ちを詳細に描いている。アフガニスタン現地で長年留学研究生活をおくりパシュトゥ語を自在に操る勝藤氏や現地に造詣の深い中川氏ならではの翻訳と解説が外部からの理解がむつかしいとされているJ.スペインの名著をとおしてパシュトゥン族の謎をのぞかせてくれる。「アフガン問題とはパシュトゥン問題にほかならない(アブドゥル・ハミド・ムータット)」との本質を理解するためには必読。

『新生アフガニスタンへの旅-シルクロードの国の革命』野口寿一著 1981年 群出版刊
ソ連のアフガニスタンへの軍事介入直後の80年夏、全世界が反ソ連・反アフガンキャンペーンを展開し、モスクワオリンピックもボイコット攻撃を受け、外交・経済・報道制裁を受け真実の報道がなされなくなっていたアフガニスタン。そこに日本初の公式ジャーナリストビザを得て単身飛び込み40日にわたって人びとの生活を取材した写真記録。そこで著者が見たものは、イスラム教の影響が強まっている現在では想像も困難なほどの、社会改革と進歩をもとめる人びとのエネルギッシュで開明的な生き生きとした姿であった。世界の巨大な力によって覆い隠されていた真実の姿を写真を通して知ることができる。

『タリバン-イスラム原理主義の戦士たち』アハメド・ラシッド著 2000年 講談社刊
セプテンバー・イレブンの直前まずイギリスで発行され世界的に話題になったタリバンの実像を豊富な取材によって紹介した本。「タリバン」は国際政治のミステリーを解くカギ●謎にみちた「タリバン」の最高指導者ムラー・オマルとはどんな人物か?●アメリカが500万ドルの懸賞金をかけて追う大物テロリストの潜伏先●CIAと巨大石油資本の策謀、ロシア、イラン、パキスタンの思惑と駆け引き。●世界最大の密輸ビジネスが跋扈し、麻薬マネーが踊る「アフガン回廊」とは?●超イスラム原理主義をふりかざす過激な「聖戦」がもたらす影響とは?、などなどの疑問にジャーナリスティックに答える。

『アフガン戦争の真実-米ソ冷戦下の小国の悲劇』金成浩著 2002年 日本放送出版協会刊
第2次世界大戦の戦後処理の過程で分断された朝鮮半島を出自とする大阪生まれの筆者が、グレートパワーと周辺諸国の思惑によって自立を妨げられ苦悩するアフガニスタンを、同じ苦しみをもつ民族としての視点を共有し、ソ連軍進駐の謎に挑む。本書の価値は、当時知ることのできなかったソ連共産党内部の公式記録に、ソ連崩壊後公開され始めた内部資料にじかにアクセスすることにより、それまで秘密のベールに隠されていたソ連共産党内部の決定プロセスに迫りえたことである。そこで明らかにされた事実は「不凍港を求めて侵攻するソ連の南下政策」といった俗論とはかけ離れたソ連共産党とアフガニスタン人民民主党内部の革命を防衛するための「苦悩の決断」のプロセスである。しかしその後のアフガニスタンの現実は、その「苦悩の決断」=「武力による政権の維持」の無力さと悲惨さを実証するプロセスであった。

『アフガニスタン国家再建への展望-国家統合をめぐる諸問題』鈴木均編著 2007年 明石書店刊
本書は2003年から2004年にかけてアジア経済研究所における「現代アフガニスタンの政治と社会」研究会および「アフガニスタンをめぐる政治過程と国際関係」研究会の最終成果として8人の筆者によって執筆されたものである。アフガニスタンの抱える困難が、近代的な市民によって形成される国民国家をモデルとして捉えようとするところにあるとの認識に立って、では、アフガニスタンにおいてどのような国家統合と国家建設が可能なのかを、共和制アフガニスタン、PDPA政権下、ムジャヒディーンの論理、その後の北部同盟-タリバン政権-カルザイ政権と変転するアフガニスタンの国家観・憲法観をあとづけながら解明しようとしている。しかしそこでも、アフガニスタンの相対的多数民族であるパシュトゥーン族のもつ矛盾、パキスタンとの関係が乗り越えるべき大きな障壁であることが明かしだされている。

『ジハード戦士-真実の顔』アミール・ミール著 2008年 作品社刊
著者アミール・ミールは日本人読者へのまえがきで「国民国家としてのパキスタンを現在の泥沼状態に追いやった社会・政治的状況を跡付けしながら、捉えるよう試みた」と書いている。ここでいう泥沼状態とは、パキスタンがカシミールやアフガニスタン問題にからんでムジャヒディーンやタリバンやアルカイダなどを育て利用する「国際的テロリズムの中心国に陥りつつある」状態のことである。アメリカがそうであるようにパキスタン自体も自縄自縛に陥っている。9年2カ月をかけたソ連の失敗、20年かけたアメリカとNATOの失敗は、国際テロリズムの危機をより一層大きくする結果しか生まなかった。アフガン問題とはじつは、「パキスタン問題」なのである。

『アフガン諜報戦争-CIAの見えざる闘い―ソ連侵攻から9・11前夜まで』(上下)スティーブ・コール著 2011年 白水社刊
上下合わせて1000ページ弱もありながら一気に読ませるエンターテインメント小説のようなピュリッツァー賞を受賞したドキュメンタリー。アフガニスタン問題がアフガンシスタンという国境内の内戦であるだけでなく国際的な対立から引き起こされる国際的な武力的神経的な紛争であり地球規模の戦争、とくに情報戦争であり、アメリカ国内の議会や政府による予算や人事が直接かの地の目に見える戦争、ターバンをまいたプレーヤーたちの対立抗争に直接影響を与えている、その情景がヴィヴィッドに描かれている。しかし、アフガニスタン内部特に執権党であったアフガニスタン人民民主党内部の動き、そこへのチャネル・工作については、膨大饒舌に語られる労作であるにも関わらずポッカりと穴が空いている。そこはまた、CIAの好敵手であるKGBの活躍する場であり、そここそが両者が激しい諜報合戦でぶつかりあう最前線だったはずなのだが。

『アフガン侵攻1979-89-ソ連の軍事介入と撤退』ロドリク・ブレースウェート著 2013年 白水社刊
著者はロンドン生まれのイギリス人。英国軍情報部員として各地で勤務する傍らフランス語とロシア語を学び1955年から92年まで外務省勤務。特に88~89年はモスクワ駐在大使として現地でソ連崩壊の前後をつぶさに観察している。本書はそのような体験にもとづいてソ連軍のアフガン侵攻の内幕を解明していく。アフガニスタン政権から要請され6か月か1年以内に撤退するつもりでしぶしぶ軍をすすめたソ連が9年カ月もの泥沼戦争に引きずり込まれ、国家崩壊のきっかけともなってしまった誤算と戦争の惨禍、駆り出されたソ連軍兵士らの精神の荒廃と失望が詳細に描かれている。しかしスティーブ・コール(アメリカ人)の前著にも共通する点であるが、本書の著者(イギリス人)の視点からアフガニスタン人とくにイスラム教のしがらみと苦闘しながら男女平等や教育の権利、農奴的農民の開放など民主主義的な権利と思想の実現をめざす人びとへの眼差しは極めて希薄。両書であるだけに残念な側面だ。

『わが政府 かく崩壊せり』アブドゥル・ハミド・ムータット著 野口壽一訳・解説 2018年 Barmakids Press刊
アフガニスタン軍幹部としてアフガニスタン4月革命(1978年)かかわった立役者のひとり。同年6月より約9年間、駐日アフガニスタン全権大使として日本に赴任したあと帰国し、副首相、副大統領に就任。1992年のアフガニスタン共和国崩壊のさいには大統領不在という特殊事情のもとで副大統領としてムジャヒディーンへの平和的な権力移行を指揮。著者はその間、政権内部にあって、パンジシール渓谷を拠点に強力な反政府武力闘争をつづけるアハマド・シャー・マスードとナジブラー大統領との間の交渉役をつとめた。本書は、なぜアフガニスタン人民民主党が敗北し政権が崩壊にいたったのか、ソ連KGBとの角逐、国連アフガニスタン担当との葛藤をふくめ、内部の目をとおして赤裸々に描いた回想録。敗北したアフガニスタン四月革命を内部から描いた日本語の書としては唯一。

『日本・アフガニスタン関係全史』前田耕作監修・関根正男著 2006年 明石書店刊
本書をまとめた関根氏は、1975、77、78年にアフガニスタンを旅行してアフガンの魅力にとりつかれたという。それ以来、アフガン情報や、4000頁に及ぶ新聞掲載の記事(テレビ番組、スポーツ欄などを含む)について創刊号からワープロ化した。日本の文献に初めてアフガニスタンが登場するのは江戸末期。文物の渡来なら飛鳥時代に遡るという。近代以降は文化・技術・経済など様々な面で両国は緊密な交流を重ねてきた。年表や文献一覧など充実した資料をあわせ日本・アフガン関係1300年の全記録をたどる。本書をまとめた関根氏のアフガニスタンへの思いと情熱と労力には脱帽。

 

 研究者 /専門家 

『アフガニスタンの混乱と地域情勢』<連載全3回>髙橋博史(元アフガニスタン大使)Web フランス 2021年9月9日 白水社webマガジン

はじめに
この原稿を書いている現在も、まだ、アフガニスタンでは国外脱出を試みようとする人々が、カブール空港に押し寄せている。同時にタリバーンがいかに恐ろしい人々であるかについて、BBCをはじめとする西側のマスコミが姦しく喧伝している。日本の報道もその枠から飛び出してはいない。
果たしてこの報道は事実なのであろうか。現実にカーブル空港に殺到している人々を見るとそれは事実としか言いようがない。しかし、これが真実であるか、と問われれば、否と答える以外にない。多くのアフガン人がこの機会を逃さず外国に逃げ出そうとしている。何故こうしたことが起きてしまったのか、考えてみる必要があるのではないだろうか。…[続きを読む]

 

 政府/国連 

●アフガニスタン和平と日本及び国連;そして日本と国連
前国連事務総長特別代表・国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)代表 山本忠通氏
日本人3人目の国際連合事務総長特別代表として2016年3月から2020年3月まで国連アフガニスタン支援ミッション代表に就任、現地カーブルで危険な激務をこなされた山本氏が社団法人霞関会に寄せられた報告と提言。タリバン、アメリカ、ガニー政権三者間の歴史的にも重大な和平交渉を国連の立場から仲介促進されたなまなましい経過から国連のありかた、日本の関わりなどについてなされた貴重な報告と提言。めったに聞けない貴重な事実が語られています。
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●最近のパキスタン情勢と日パキスタン関係
アフガニスタン問題を考える場合、周辺諸国とくにパキスタンの動向を抜きに語ることはできない。パキスタンにはアフガニスタンを構成するパシュトゥーン族やバルーチ族の自治区があり、それらはパキスタンの多数派であるパンジャビーと分離孤立して存在しているのでなく相互依存・相互対立ある場合は融合して存在する関係である。パキスタンはインドとの対抗上、イスラム教を国家統合の共通項として維持せざるを得ず3度にわたる印パ戦争の戦略的必要上アフガニスタンを後背陣地として何が何でも死守しなければならない。これを戦略的縦深(Strategic Depth)論といいパキスタン軍(ISI)と政府はこれを行動原理としてアフガニスタンの内政に深くかかわり、他方アフガニスタンのパシュトゥーン族はそれを利用してきた。この関係を日本政府(外務省)はよく理解している。それを簡潔に表現しているのが外務省南西アジア課のこの文書である。
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 防衛省防衛研究所 

●アフガニスタンとその周辺地域 ISAF撤退を見据えて
<東アジア戦略概観 2014>
オバマ政権時代もアフガニスタンでの外国軍駐留削減の試みがなされてきた。そのなかでも国際治安支援部隊(ISAF)のアフガニスタン駐留は、
2014 年末までに順次終了する予定であった。しかし外国軍撤退はなかなかすすまなかった。それはなぜなのか、この分析研究は、カルザイ政権13年の施策を振り返りながら、タリバンなどアフガニスタンの反政府勢力であるタリバン、ハッカニー・ネットワーク、ヒズベ・イスラミ、パキスタンタリバン運動、ウズベキスタン・イスラム運動などの具体的な動きの分析を通してアフガニスタン問題解決の困難性を分析する。その現実は2021年の現在もまったくと言っていいほど変わらない。【クリックしてpdf本文を読む】

●パキスタンのテロとの闘い
<東アジア戦略概観 2010>
アフガニスタン問題とは、つまるところ、パシュトゥーン問題である。イギリス帝国のインド亜大陸植民地支配によって数千万人を優に超えるパシュトゥーン人の居住地がアフガン側とインド側に真っ二つに分割された。インドとパキスタンのイギリスからの独立の過程でもデュラントラインが残り、アフガニスタンとパキスタンの国境問題として残されている。パキスタンはインドに対抗するためにアフガニスタンに自国に都合のよい政権を打ち立てるためパシュトゥーン人を利用し、またパシュトゥーン人もパキスタンを利用する。そこにイスラム過激主義が浸透し国家、民族、宗教、軍事のしがらみと周辺諸国とのしがらみが絡み合い、事態は限りなく複雑化している。本研究は10年前のものではあるが、パキスタン内部の政治軍事事情がいかにアフガニスタン内政と深く連動しているかを解明している。現在を紐解く基礎的な知識を提供してくれる。【クリックしてpdf本文を読む】

~joukou

●上皇上皇后両陛下のフィリピン御訪問-「慰霊の旅」の集大成として
<NIDS コメンタリー第98号>
第2次世界大戦でのフィリピンにおける日本人の犠牲者数は、約51万8000人(兵士:約49万 8600人)で、単一の戦域としては中国を凌駕して最大。他方、フィリピン人の犠牲者数は、全人口の約7%に当たる約111万人と言われる。
日本・フィリピン両国ともに甚大な人的被害が生じたため、戦後当初はフィリピンの日本に対する国民感情は、きわめて厳しいものがあった。
上皇上皇后両陛下(当時、天皇皇后両陛下)による海外における「慰霊の旅」の最後となった平成28年1月のフィリピン訪問は国交正常化60周年の国際親善と慰霊を目的とした、天皇として初めての訪問であった。
本コメンタリーはこの訪問を下記のようにまとめている。
〝「上皇上皇后両陛下による「慰霊の旅」は、単なる「慰霊」に留まるのではなく、「想起」と「記憶の継承」、「感謝」、そして「和解」という様々な意義を有しており、それは時間的・空間的広がりを持つ奥深いものであった。」〟
〝「先の大戦において甚大な被害を受けたフィリピンの大統領(アキノ大統領)が、「畏敬の念」という表現で、「慰霊の旅」を続けられる両陛下を讃えたのであった。フィリピン御訪問は、まさに、両陛下による「慰霊の旅」の集大成であったと言えよう。」〟
また、本論文ではつぎのようなアキノ大統領の言葉も記されている。
〝「両陛下にお会いして実感し、畏敬の念を抱いたのは、両陛下は生まれながらにしてこうした重荷を担い、両国の歴史に影を落とした時期に他者が下した決断の重みを背負ってこられねばならなかったということです」〟
戦争に直接の責任のない世代は上皇上皇后陛下の精神的あり方を共有しなければならない。
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 アジア経済研究所 

●史上初めて政府とターリバーンの和平交渉開始 2020年のアフガニスタン
<登利谷正人著>
本論考は、日本貿易振興機構(ジェトロ)が発行するアジア動向年報2021年版に収録されている。アフガニスタン政府、ターリバーン、アメリカの3者の和平交渉が本格化し、2021年9月までの米軍完全撤退にいたるまでの和平交渉の過程を、アフガン現地の当事者間の衝突や経済状況、コロナ状況などを俯瞰的に追いながら、詳細に後づける労作。軍事衝突の全国展開図や交渉経過政治動向日誌、諸社会経済図表などがまとめて収録してある。アフガニスタンのこの間の内政、軍事、交渉過程を追うには最適の手引書となっている。【クリックしてpdf本文を読む】

●「アフガニスタン 問題」とパキスタン
<深町宏樹著>
本論考の発表時期は2008年と若干古いが、「アフガニスタン問題」とパキスタンとの関係を歴史的視点を交えて考察しながらいくつかの論点があげられている点が参考になる。さらにその考察の上にインドをふくむ3国関係が対象にされる。アフガニスタン問題解決のむつかしさは、3国間の国境国益問題と民族問題、宗教問題の桎梏にあり、問題の解決は絶望的に困難であり、それは現在もなんら解決されることなく継続している。【クリックしてpdf本文を読む】

 

 中東調査会 

●中東かわら版<アフガニスタン>
中東調査会では会員の研究成果をホームページ上で閲覧できるようにしておりその中には貴重な研究があるが会員でなければ閲覧できない。しかし、「中東かわら版」という随意しかし比較的頻繁に発行されるニュースメールがあり、そのアーカイブは非会員でも閲覧できる。深堀した研究や論考は閲覧できないが、2007年より主なトピックごとにニュース化されているので時系列でアフガン情勢を顧みるとき有用である。「中東」とあるように、同研究会のメイン対象は中東でありアフガニスタンは重要ながら「その他」のあつかいである。【クリックして本文を読む】